天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐
どうぞ、食を文化をご堪能ください
勝本浦郷土史
勝本浦郷土史14
勝本浦郷土史14 朝鮮捕虜と日本の文化 豊臣秀吉の朝鮮侵攻は、朝鮮はもとより大きな被害をうけたが、日本側としても、人的物的、被害を余儀なくされ、結果的には彼我共に評判のわるい結果となった。秀吉の朝鮮侵攻四百年を経過した今日、当時の状況を正しく判断して記す事は不可能な事ではあるが、秀吉の大陸侵攻に際しては肥前名護屋、壱岐対馬、特に壱岐の勝本港での果たした役割は、秀吉の事を起こしたその善悪は別として、...
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勝本浦郷土史13
勝本浦郷土史13勝本朝鮮出兵の兵站地となる 第一陣の主将小西行長は、天正二〇年(文禄元年一五九二)三月上旬、名護屋を出発して、壱岐風本(勝本)に向かった。行長は松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前等の諸氏と、風本で落ち合い、船揃を完了、三月十二日風本を出港して、対馬の府中(厳原)に向かった。同日府中へ上陸して、宗義智軍と合流した。ついで三月二三日、行長は船団を対馬の東海岸にそって、木浦港に回航させ、行長自...
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勝本浦郷土史12
勝本浦郷土史12 第三章 倭寇について(海賊) 壱岐の倭寇 壱岐国史に倭寇の語源について、次のように記されている。日本国史大辞典に倭寇について、「我が邦人の支那朝鮮沿岸を寇(こう)略せるを、彼の国にてとなえた呼称」倭(わ)とは支那朝鮮にて、我が国を呼びし称にて、倭寇の定義について、「海上往来の船を却して、物を奪い取る盗賊、南北時代より江戸時代のはじめにかけては、船師の意に用いられたり」とある。 そ...
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勝本浦郷土史11
勝本浦郷土史11 第二章 元寇 第一節 文永の役 元冠の文本弘安の役については、最も悲惨な被災島として、壱岐の多くの郷土史に記されている。本史も勝本町史、対馬島史、真鍋十香の元寇楊史等を参考に、詳細を記し終えたが、都合により改(かい)竄(ざん)せざるを得なくなり、戦況等についてはできるだけ略し、批判的に記したので物足りない感もする。 文永五年(一二六八)蒙古の使者が、対馬の宗氏に案内されて太宰府に...
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勝本浦郷土史10
勝本浦郷土史10 船舶徴発準備 天平宝字三年(七五九)太宰府、壱岐、対馬等要害の地をして、船百艘以上を用意せしめ、以て不虞に備えんと之を許す。(続日本紀) 按ずるに先に天智天皇、朝鮮半島より退嬰の策をたて、沿海の地に防人を置き、烽火を備え、以て九州二島沿岸の防禦を厳にし給いしより、以降相承け孜々として、諸種の兵備を整え、専ら外敵侵入に備えしが、今又両国に令して、輸送船舶百艘以上の微発準備を成さしむ...
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勝本浦郷土史9
勝本浦郷土史9 魏志倭人伝と原の辻󠄀遺跡 原の辻󠄀遺跡については弥生遺跡の項に、一支国(壱岐国の主都)であった事を公式に確認された事を記した。魏志倭人伝に登場する三〇ヶ国の国都が特定されたのは、全国でもトップニュースであり原の辻󠄀が初めてである。 近年、歴史的、観光的必要性や開発の必要から、遺跡の発掘調査が盛んに行われ、その中には邪馬台国のロマンを求めて、多くの候補地が挙げられた。前述しているので...
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勝本浦郷土史8
勝本浦郷土史8 女王卑弥呼 さて多くの考古学者、歴史学者間で長年探し求められる、当時三〇ヶ国を治めた女王卑弥呼は、何処に住んでいたのであろうかという事は、考古学的にも又観光的にも重要な事であり、今日まで多くの学者が探求しているが、結論は出されていない。今後結論が出るとすれば、大事に葬られているであろう女王卑弥呼の墓が、発掘されて確認された時であるが、確認するといっても一七五〇年前の事である。 卑弥...
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勝本浦郷土史7
勝本浦郷土史7 古墳 壱岐には数多くの古墳がある。自分達の子供の頃は、古墳という学名は教えられなかったようである。鬼の岩屋、鬼が住んでいた住家と大人もそう信じていたのであろうか、大正の終わり頃、この中に入ってた事を臆えている、蝙蝠が飛び交っていた、何か恐い感がした。 壱岐は鬼ケ島といわれる程に、鬼に関係する事物が多い。 現在では子供でも古墳を鬼の岩屋、鬼の住家であったと思う者はいない程に、古墳は歴...
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勝本浦郷土史6
勝本浦郷土史6天ヶ原遺跡と、串山見る目浦遺跡 天ヶ原は勝本の北端にある。昭和三六年二月、防潮堤築堤の際に、この波打際から、中広型銅鉾三本が発掘されたが、未調査のまま三ヶ所に分配保存されているが、いつの時代の物であるか判定されていない。 この附近には箱式石棺も発見されて、無文土器片も表採されている。 見る目浦遺跡は、串山半島の西南にあり、昭和五五年に勝本町は、九州大学考古学研究室に、発掘調査を依頼し...
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勝本浦郷土史5
勝本浦郷土史5 第二節 壱岐の遺跡 日本列島からはみ出している壱岐の島は、いつ頃から人が生息してどんな生活をしていたのであろうか、非常に興味ある大切な事であるが、我々は過去のあまりむずかしい事は考えないようにして生きている人が多いのであるが、壱岐の古代人の生活を知るには、壱岐の各所より発掘された土器、石器、鉄器、銅器、古墳その他多くの遺跡発掘調査による、発掘品を考古学者の鑑定によって大体を知ること...
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勝本浦郷土史4
勝本浦郷土史4 第二六章 勝本の灯台・・・・・・・・・・677 第一節 概要 航路標識の種類、若宮灯台、勝本港西防波堤灯台(こしき瀬防波堤)、勝本港辰の島灯台、手長島灯台 第二節 導灯 勝本港第一号導灯(前灯後灯)、勝本港第二号導灯(前灯後灯) 第三節 照射灯 鞍馬滝鼻の亀瀬照射灯 第四節 女の一念灯台を改善す大野二三四女史 第二七章 壱岐の風水害・・・・・・・・・・687 第一節 概要 第二節 ...
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勝本浦郷土史3
勝本浦郷土史3 第一節 古来の漁業 第二節 近世の漁業 第三節 明治時代の勝本の漁業 第四節 大正より昭和初期の漁業の変革 第五節 近年における勝本の漁業 第六節 勝本漁業組合の変遷 香椎村漁業組合及び勝本漁業組合、壱岐ブリ飼付組合との対立、飼付の全廃を叫んでゼネストを行う、七里ヶ曽根にブリ飼付漁許可されブリ飼付組合設立、勝本漁業協同組合設立、勝本町漁業会となる、充電所の設置、漁業協同組合として再...
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勝本浦郷土史2
勝本浦郷土史2第十一章 勝本港湾・・・・・・・・・・215第一節 沿革第二節 島嶼・甑小島・寝島 若宮島、遠見番所と烽台、植林と放牧場、灯台及び海上自衛隊第三節 名鳥島 自然の防波堤、砲台を築く第四節 辰の島 海水浴場、蛇ヶ谷、海浜植物群落(天然記念物に指定)、イルカと辰の島第五節 甑小島第六節 寝島第七節 港湾の施設の整備 防波堤概要、弁天防波堤、聖母波止、小敷瀬防波堤、鵜の瀬防波堤、固定機構の...
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勝本浦郷土史1
勝本浦郷土史1 第一章 古代、中世の壱岐・・・・・・・・・・1 第一節 壱岐の地層 勝本層 第二節 壱岐の遺跡 縄文遺跡、弥生遺跡、古墳 第三節 壱岐の島名 第四節 魏志倭人伝と壱岐 概要、魏志倭人伝とは、邪馬台国の中の壱岐、女王卑弥呼、九州説と畿内説、里程について、魏志倭人伝と原の辻遺跡、邪馬台国を求めて野生号勝本港に来る 第五節 古代壱岐及び勝本の防備 壱岐・対馬・筑紫に防と烽をおく、船舶徵発...
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