般向けの料理本の先駆けとして寛永20(1643)年に出版された料理物語(作者不詳)には、「アジ、汁、おきなます、酢いり」などとあり、ほぼ同時代に刊行された古今料理集(作者不詳)には、「あじ、焼物(第一なり)、吸い物、汁、すし、酢いり」などアジを使う料理が記されています。このなかの鮨については、享保15(1730)年に発行された料理網目調味抄には、アジはタイ、スズキ、サバ、カツオなどと共にこけら鮨に...
源頼朝が鎌倉に幕府を開いた鎌倉時代から豊臣秀吉が天下を平定した安土桃山時代は武家が台頭した時代でした。この時代には、平安時代には重用されていたアジは、この時代の大事な行事食にはあまり使われなくなってきています。承元3(1209)年の任大臣大饗には、鯉、鮒、鯛、鮎などは使われていますが、アジの名がなく、元仁元(1224)年の大饗にも干鮑や鯉、鱸、鯛の名がりますが、アジは使われなかったようです。 それ...
奈良時代から贄として貢納されていたアジは、この時代には2つの法律によって集められていました。その一つは諸国の特産物を集めていた宮内省の規定であり、もう一つは天皇家の食事を担当した内膳司が定めた規定でしたが、いずれの法律でも、アジは和泉国からタイともに貢納されていました。内膳司が定めた規定は、延喜11(911)年に六箇国日次御贄の制という法律によって義務化されたもので、六箇国というのは、山城(現京都...
万葉の時代の食品は、諸国の地誌や生活誌を記した風土記や藤原京跡、平城京跡、長屋王邸宅跡から出土した木簡から知ることができます。 天平5(733)年2月30日に成立した出雲風土記には、阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこ)という神の名がありますが、食の体験文化史の著者森浩一同志社大学教授によると、阿遅(アジ)は8世紀頃のアジの表記だそうです。出雲風土記には、アジがとれる土地は示されていませんが、神にア...
現在の相模湾では、アジは名産品の一つとして知られていますが、今から2千年前以上の原始時代には、当時の人々はアジを食べていたのでしょうか。 原始時代の相模湾は、今よりも海面が上昇していたために、現在の海岸線よりも内陸部にありました。東京湾側で見れば、海面が3m以上も上昇した縄文海進の時には、群馬県藤岡市付近まで海岸線が奥深く入り込んでいたといいます。 相模湾でもこの影響を受けて藤沢市から平塚市にかけ...
うに 海胆と書けば生ウニを雲丹と書けば塩蔵したものを呼びます。 旧幕時代に、越前で盛夏に採取したものは、尾張のこのわた、肥前のからすみとともに日本の三大珍味と呼ばれてい ます。 食べるところは、生殖巣といわれる部分で、生のまま食べたり、塩漬けに加工します。 名前の由来 ウニは放射状にトゲがついていて、見た目が栗に似ていることから、 「海栗」と書いて、「ウニ」と読むようになり ました。 しかし、一般...
壱岐の観光すまっぽん!作っちゃいました。 いつまで待ってもですね。僕、民間人なんで。 イルカパークは市の管轄、辰の島遊覧は漁協の管轄です。以前も書きましたが、僕が作るのは筋が違うと。 今、勝手に作ろうとも思い直したりしましたが、月々5,000円の出費は、今はちと痛い(笑) すまっぽん!は新規顧客獲得じゃありません。また、壱岐に来て頂くためのツールです。 お客様は『素晴らしい!』と思っても日常生活に...
これは、この一年間ずっと不思議に思っていたことなんですが、シーズンって僕にはわからなかったりします。 例えば、真冬に海水浴しろとはいくら愚鈍な僕でも言えないです。 温泉、シーズンといえばシーズンなのかな?と思いますが、夏でも入りますよね?まあ、盛況とは言えないにしろ。 実は先日、萩を訪れた時に観光案内所の方、3名とお話をしていて、僕が人がいないから驚いている旨、お話すると『今、シーズンじゃないから...
今回の勝手な旅報告 【Biz構想ついて】 1,200円の報酬をセンター町に支払うと豪語した我が壱岐市、及び市長、全く理解できませんでした。 いろんな言葉を頂きました。 それはさておき、とりあえず近場でどこかやってるところないかと思い、宮崎県日向市が来年から、ということで旅のルートに入れました。 そもそも、Bizとは何かご存じです?恐らく、これを企画した方、またfacebook上で踊ってらしゃる方も...
今回の勝手な旅報告 【観光業について】 今さっき、旅行代理店の中を見て周りパンフレット系を調べました。←怪しいものですw 【壱岐x対馬】プランが一種類ありました。 寂しい限りです。 鹿児島県、宮崎県よりも強烈に感じる熊本県南の壱岐に対する認知度の低さを今回も改めて知らされました。 『韓国人でいっぱいやろ?』、『仏像返って来た?』どこの話やねん・・・。 そこからいつものように喋りまくります...