天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

アジの食品史 Ⅰ太古の時代

現在の相模湾では、アジは名産品の一つとして知られていますが、今から2千年前以上の原始時代には、当時の人々はアジを食べていたのでしょうか。

 原始時代の相模湾は、今よりも海面が上昇していたために、現在の海岸線よりも内陸部にありました。東京湾側で見れば、海面が3m以上も上昇した縄文海進の時には、群馬県藤岡市付近まで海岸線が奥深く入り込んでいたといいます。

 相模湾でもこの影響を受けて藤沢市から平塚市にかけての海岸線が現在よりも内陸にありました。この海岸線に沿って、貝塚が点在しています。

 アジの骨はこれらの貝塚から出土していますので、原始時代の人々もアジを食べていたことがわかります。横須賀市鴨居にある中台貝塚からはアジ科の魚の骨が出土し、その南側にある吉井貝塚からはマアジの骨が出土しています。ところが、中台貝塚より北側にある野島貝塚や夏島貝塚からはアジの骨が出土していないようですので、原始時代もアジは観音崎以北の東京内湾には入り込まなかったようです。

 東京湾口にある三浦市松輪間口東洞穴遺跡からはマアジやムロアジの骨が、相模湾の東側にある三浦市諸磯の諸磯貝塚からはマアジの骨が出土しています。相模湾奥部にある藤沢市善行立石にある立石遺跡からはアジ科の魚が、高座群寒川町の岡田遺跡からはアジ類の骨が出土していますので、アジは神奈川県沿岸の広い範囲で食用にされていたことがわかります。
 
汐彩屋のアジのひらき
 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社