天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

アジの食品史 Ⅲ貴族の時代

奈良時代から贄として貢納されていたアジは、この時代には2つの法律によって集められていました。その一つは諸国の特産物を集めていた宮内省の規定であり、もう一つは天皇家の食事を担当した内膳司が定めた規定でしたが、いずれの法律でも、アジは和泉国からタイともに貢納されていました。内膳司が定めた規定は、延喜11(911)年に六箇国日次御贄の制という法律によって義務化されたもので、六箇国というのは、山城(現京都府)、大和(現奈良県)、河内(現大阪府)、和泉(現大阪府)、摂津(現兵庫県)、近江(現滋賀県)のことで、これらの国から集める特産物や送る日などが決められていました。アジは、和泉国からタイやセイゴと共に4、10、16、22、28日に送られ、摂津国からは鯉、鮒(ふな)、スズキ、干ダイなどと共に5、11、17、23、29日に送られてきています。他の4ヶ国は海に面していないため、鯉、鮒、鮎、スズキなどが和泉・摂津国の送付日以外の日に送られています。

 このように、この時代のアジは神饌魚として重用され、宮廷の行事のときに出される饗膳などにも用いられていましたが、承平4年(934年)に発行された和名類聚抄(源順編)にはアジの記述がありますので、庶民の間でも食用にされていたようです。ちなみに、アジの漢字「鯵」はこの時代から使われ始めています。
 
汐彩屋のアジのひらき
 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社