天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

宮崎県・日南市20160527

日南市役所


基本情報
所在地:〒887-0021 宮崎県日南市中央通1-1-1
電話:0987-31-1100



【Official site】


日南市
日南市(にちなんし)は、宮崎県の南部に位置する市。九州の小京都と称される飫肥(おび)や風光明媚な日南海岸国定公園などを抱える、歴史と自然あふれる観光の街である。
日本海流の影響により温暖な気候で、雨量も豊富である。また、夏から秋にかけては頻繁に台風が接近し、しばしば甚大な被害を受けることもある。
2004年度下半期に放映されたNHK朝の連続テレビ小説「わかば」の舞台のひとつとなった。

地理
鰐塚山系の山地に囲まれている。市の面積の約78パーセントを森林が覆い、その多くは特産の飫肥杉に占められている。森林セラピー基地認定地域。
市内を東西を貫くかたちで酒谷川(さかたにがわ)が流れる。この川は河口付近で広渡川(ひろとがわ)と合流し、太平洋に注ぐ。

歴史
戦国期は、天然の良港油津(あぶらつ)港を扼す飫肥城を巡って、戦国大名の伊東氏と島津氏の100年以上にわたる国盗りの舞台となった。江戸時代は一貫して伊東氏飫肥藩5万7千石の城下町として繁栄した。
市としての歴史は1950年1月1日の南那珂郡飫肥町、吾田町、油津町および東郷村の4町村の合併から始まる。この合併協議においては、城下町としての歴史と文化を色濃く残す商業の中心・飫肥町と、古くから漁師町として知られ、漁業や海運業を中心とした活気ある港町・油津町の、双方の住民の意識や性格の相違、庁舎設置の主導権争いなどが原因で何度も協議が決裂しそうになった。それでも協議を続け、新庁舎を両町の中間であり、新市の中央にある吾田町に置くなど、双方が歩み寄ったことでようやく調印できる段階にまでこぎつけた。しかし、新市名の協議で油津町は「油津市」、飫肥町は「飫肥市」を提案した事でまたしても両町が対立。再び協議の決裂が起こりかねない状況になった。その際、他にも「日向市」や「吾平津市」など様々な意見が出されたものの、結局古くから一部で用いられており、日向国(宮崎県の旧国名)、日本の「日」とその南にあるということで「南」の2文字を取って「日南市」に落ち着いた。つまり、この市名そのものが合併の苦難や当時の住民の志を象徴するものとなっている。なお、この合併は昭和の大合併のさきがけになったとされ、当時はまだ珍しかった市町村合併での成功例として参考とすべく多くの市町村が当地を視察に訪れたという。
その後南那珂郡細田町および鵜戸村(1955年2月11日)、南那珂郡榎原村(一部は南郷町に編入)および酒谷村(1956年4月1日)の編入合併を経た。
平成の大合併の流れに沿い、2004年8月に住民発議により隣接する南那珂郡北郷町および南郷町と『日南市・北郷町・南郷町合併協議会』を設置し、合併の検討を進めた。しかし、両町の住民投票による賛成過半数を受け合併の調印まで行なったにもかかわらず、北郷町議会が合併議案を否決したため計画が頓挫し、2005年5月に協議会を解散した。その後、両町の議会が改選され合併賛成派が多数を占めたことや北郷町の町長選挙で合併賛成派の候補が当選したことなどから、2007年9月28日に合併協議会を再設置。2009年3月30日に合併し、(新)日南市となった。

沿革
1889年4月1日 - 町村制施行に伴い南那珂郡に以下の町村が成立。
油津町 ← 油津町
飫肥村 ← 楠原村, 吉野方村, 板敷村, 本町, 今町
吾田村 ← 星倉村, 隈谷村, 戸高村, 平野村, 西弁分村
東郷村 ← 益安村, 松永村, 東弁分村, 平山村, 風田村, 殿所村
細田村 ← 毛吉田村, 萩之嶺村, 上方村, 下方村, 塚田村
鵜戸村 ← 宮浦村, 伊比井村, 富土村
榎原村 ← 大窪村, 橋之口村
酒谷村 ← 酒谷村
南郷村 ← 津屋野村, 谷之口村, 脇本村, 中村, 潟上村, 贄波村
北郷村 ← 北河内村, 郷之原村, 大藤村
1900年1月1日 - 飫肥村が町制施行して飫肥町となる。
1940年12月1日 - 南郷村が町制施行して南郷町となる。
1941年1月1日 - 細田村が町制施行して細田町となる。
1948年5月3日 - 吾田村が町制施行して吾田町となる。
1950年1月1日 - 油津町,飫肥町,吾田町,東郷村が合併して日南市が成立。
1955年2月11日 - 細田町,鵜戸村を編入。
1956年4月1日 - 榎原村の一部,酒谷村を編入。
榎原村の残部は南郷町へ編入。
1959年1月1日 - 北郷村が町制施行して北郷町となる。
2009年3月30日 - 北郷町,南郷町と合併して日南市となる。


経済
産業
主な産業は農林水産業。王子製紙日南工場があり、企業城下町としての一面もあわせ持つ。この他にも自動車用冷間鍛造部品メーカー、株式会社ニチワの本社も立地する。


主な地域
ここでは、それぞれの地区に属する町や大字についても記述する。

吾田(あがた)地区
人口…約18,800人。 市庁舎や消防署、警察署が立地し、日南市発足当初から行政の中心地区である。もとが田園地帯で用地確保がしやすかったことから、住宅地が造成されて人口も市内で最も多い。また、ここ数年様々な郊外型商業施設の出店が加速、商業の中心としての役割も担っている。

町・大字
吾田村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
隈谷(甲~丙)
戸高
西弁分
星倉
平野の一部
のちに、区画整理や住居表示実施により以下の町が発足した。
上平野町1丁目~2丁目(平野より。1971年)
中央通1丁目~2丁目(平野より。1971年)
時任町(星倉より。1982年)
戸高1丁目~4丁目(戸高より。年不詳)
西弁分1丁目~5丁目(西弁分より。年不詳)
星倉1丁目~6丁目(星倉より。年不詳)
吾田東1丁目~11丁目(戸高・星倉より。2001年)
吾田西1丁目~4丁目(戸高・星倉より。2003年)

油津地区
人口…約5,700人。 日南市の中で面積が最も小さい地区。かつて東洋一のマグロ漁港と言われた油津港を中心とした港町であり、往時を偲ぶ観光地としても脚光を浴びている。サーフィンスポットとして有名な梅ヶ浜がある。
市内最大の商店街や日南山形屋、サピア日南ショッピングセンターなどを擁す古くからの商業集積地だが、サピアは核テナント寿屋日南店の撤退以後精彩を欠き、商店街のシャッター街化も既に末期的な状況で、前述の吾田地区に押されているのが現状である。

町・大字
かつて油津町は、全域で大字を設置していなかったが、のちに吾田村平野の一部を編入し油津町の大字とした。日南市発足時、大字のない部分は大字油津となり、平野は吾田地区の平野と統合された。
油津
平野の一部(かつては油津平野と通称された)
のちに、区画整理や住居表示実施により以下の町が発足した。
油津町→油津1丁目~3丁目→油津1丁目~4丁目(油津より。1957年→1979年→年不詳)
岩崎町→岩崎1丁目~3丁目(油津・平野より。1957年→1979年)
春日町(平野より。1957年)
材木町(平野より。1957年)
園田町→園田1丁目~3丁目(平野より。1957年→1985年)
木山町→木山1丁目~3丁目(平野より。1967年→年不詳)
瀬貝町→瀬貝1丁目~3丁目(平野より。1967年→年不詳)
中平野町→中平野1丁目~4丁目(平野より。1971年→年不詳)
西町1丁目~2丁目(平野より。1984年)
梅ケ浜1丁目~3丁目(油津より。年不詳)
瀬西1丁目~2丁目(平野より。年不詳)
天福1丁目~2丁目(平野より。年不詳)
乙姫町(平野より。2000年)

飫肥地区
人口…約6,400人。 江戸時代まで飫肥藩の城下町として繁栄した。1977年に九州・沖縄地方で最初の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け城下町らしい景観と飫肥城を復元をするために大規模な改修を行った。現在は日南の観光地区の役割を果たしている。

町・大字
飫肥村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
板敷
今町(のちに今町1丁目~2丁目となり消滅)
楠原
本町(のちに飫肥1丁目~10丁目となり消滅)
吉野方
のちに、住居表示実施により以下の町が発足し、2大字が消滅した。
今町1丁目~2丁目(今町より。年不詳)
飫肥1丁目~10丁目(本町より。年不詳)

東郷地区
人口…約5,000人。 吾田地区の北にあり、農業が盛んな地区である。 東九州自動車道のインターチェンジの建設予定地でもあり、田んぼが比較的多い。
大字
東郷村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
風田
殿所
東弁分(甲・乙)
平山
益安
松永
以後、町名設置は行われず現在に至る。

鵜戸地区
人口…約1,000人。 日南市の北東部にある。市内で最も人口の少ない地区。漁業や地形を生かしてポンカンの栽培が盛んである。中心部には鵜戸神宮があり、多くの参拝客が訪れる。また、地質の違いによってできた鬼の洗濯岩、世界で唯一イースター島から複製を認められたモアイ像が設置されているサンメッセ日南がある。台風や大雨の際には土砂崩れなどが起こりやすいことから生活道路である国道220号が通行止めになり一時孤立することもある。
大字
鵜戸村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
伊比井
富土
宮浦
以後、町名設置は行われず現在に至る。

酒谷地区
人口…約1,200人。 日南市の中で最も西にある地区。山沿いのため降水量が多い。道の駅酒谷や日本の棚田百選にも選ばれた坂元棚田、キャンプ場など自然を生かした観光地が多い。
大字
酒谷村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
酒谷(甲・乙)
以後、町名設置は行われず現在に至る。

細田地区
人口…約4,200人。 日南市の南部に位置。旧榎原村の一部であった大窪地区も含む。沿岸には大堂津港や大堂津海水浴場がある。農業が盛んで早期水稲で栽培された米や極早みかん、スイートピーが特産である。また、地鶏のひとつであるみやざき地頭鶏の生産も盛んである。
町・大字
細田村発足時、ならびに日南市発足時には以下の大字があった。
上方
毛吉田
下方
塚田(甲・乙)
萩之嶺
のちに、榎原村の一部を編入し、以下の大字が当地区として扱われるようになる。
大窪
また、日南市発足直後に町名設置が行われ、のちに、住居表示が実施された。
大堂津町4丁目~5丁目→大堂津1丁目~5丁目(下方より。住居表示実施の年は不詳)

北郷地区
人口…約4,700人。 旧日南市の北側に位置する地区。林業やスイートピーなどの栽培を中心とした農業を基盤産業とする。詳細は北郷町を参照。
大字
日南市に合併した際に、それまでの大字が引き継がれ、大字の前に「北郷町」を冠するようになった。
大藤(甲・乙)
北河内
郷之原(甲・乙)

南郷地区
人口…約11,000人。 旧日南市の南側に位置する地区。漁業が盛んである。
町・大字
日南市に合併した際に、それまでの町・大字が引き継がれ、大字の前に「南郷町」を冠するようになった。
潟上
谷之口
津屋野
中村
贄波
脇本(甲・乙)
榎原(旧榎原村大窪の一部。大窪の残りは日南市に編入)
榎原(甲~丙)(旧榎原村橋之口)
東町(中村より。1971年)
南町(中村より。1971年)
西町(中村より。1978年)

教育
高等学校
公立
宮崎県立日南高等学校
宮崎県立日南振徳高等学校

私立
日南学園高等学校(学校法人日南学園)

専門学校
日南看護専門学校(学校法人日南学園)

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
日南海岸国定公園
飫肥城
飫肥の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)
伊東家累代廟所
サンメッセ日南
鵜戸神宮
北郷温泉
ジェイズ日南リゾート
堀川運河
日南市天福球場(広島東洋カープの春秋のキャンプ会場 主として1軍が使用)
日南総合運動公園野球場(東光寺球場。同上 主として2軍が使用)
南郷中央公園野球場(埼玉西武ライオンズの春秋のキャンプ会場)
名物
サボテンステーキ
厚焼卵
おび天
サボテンハーブ園 - 2005年3月31日閉園




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社