天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

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宮崎県・串間市20160525

串間市役所

基本情報
〒:888-8555
住所:宮崎県串間市大字西方5550
電話0987-72-1111



【Official site】

串間市
串間市(くしまし)は、宮崎県の最南端に位置する市である。

地理
宮崎県の最南端、県都宮崎市の南南西約70kmの場所に位置している。東部は日向灘、南部は志布志湾に面する。海岸沿いは日南海岸国定公園に指定され、幸島・都井岬といった観光地がある。市域西部は鹿児島県と県境をなしている。市域全体において、あまり平坦ではなく、丘陵地帯が多い。
山: 男鈴山(783m)、高畑山(518m)
河川: 福島川、大矢取川
岬: 都井岬
島: 築島
東西南北端[編集]
東端:東経131度23分
西端:東経131度09分
南端:北緯31度21分
北端:北緯31度39分

気候
夏は暑く、黒潮の影響により冬も比較的温暖である。夏から秋にかけては台風の通り道になることが多く影響を受けやすい。冬の温暖な気候を利用し、かつてはプロ野球チームの中日ドラゴンズが春季キャンプを行っていた。

隣接している自治体
宮崎県
日南市
都城市
鹿児島県
志布志市

地名
旧福島町
高松
西方
奴久見
旧北方村
秋山
北方
串間
南方
旧大束村
一氏
大平
大矢取
奈留
旧市木村
市木
旧都井村
大納
都井
旧本城村
崎田
本城
市発足後の追加町名
寺里1丁目~2丁目(西方より。串間都市計画事業中央第一土地区画整理事業により1996年3月16日)
西浜1丁目~2丁目(西方より。串間都市計画事業中央第一土地区画整理事業により1996年3月16日)
東町(西方5700~6630、南方150~1940。串間都市計画事業串間駅東部土地区画整理事業により2004年10月22日)

歴史
大覚寺義昭事件
室町幕府3代将軍足利義満の子・義昭(ぎしょう)が現在の串間市北方にある永徳寺にて自刃した事件。室町最後の将軍である足利義昭とは別人であり、区別するために「大覚寺義昭」とも呼ばれる。室町6代将軍足利義教とは兄弟関係であるが、義昭は義教に謀反の疑いをかけられ京から逃れた。各地を転々とした後、日向国櫛間(今の串間)を治める野辺氏を頼って永徳寺に身を潜めるも居場所を突き止められ、嘉吉元年(1441年)3月13日義昭は永徳寺にて自刃した。永徳寺の敷地内には義昭の墓といわれる五輪塔が建てられている。
義昭の記事も参照。

江戸時代
江戸時代は鹿児島藩・飫肥藩に隣接していたが高鍋藩の飛び地(櫛間領)であった。串間の統治に腐心した藩は、代官、郡代の制度の上に更に都合職なるものをおいて、統治の強化をはかった。
江戸時代の末期、串間から古代中国の王が権力の象徴として持っていたといわれる玉璧(ぎょくへき)が見つかったという記録がある。

近現代
1889年(明治22年)5月1日 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の村が発足。
南那珂郡福島村・北方村・大束村・本城村・都井村・市木村
1926年(大正15年)10月1日 福島村が町制施行し、福島町となる。
1951年(昭和26年)1月1日 福島町が北方村を編入。
1954年(昭和29年)11月3日 福島町・大束村・本城村・都井村・市木村が新設合併し、串間市が発足。

市政
市長:野辺修光

汚職
野辺は過去に2度市長を務め、2度とも不祥事に伴い辞職又は失職している。過去2度の事件は以下の通りである。
1990年に市長選初当選を果たすものの、1992年に電算機導入をめぐる収賄容疑で逮捕されて辞任(後に有罪も確定)。当時、現職市長が収賄で逮捕されるのは、全国で初めてのケースであった。
2000年に市長へ返り咲きを果たすものの、2002年に(返り咲き時の)選挙違反事件にからみ拡大連座制の適用を受け失職。現職市長が拡大連座制適用により失職するのは、これもまた全国で初めてのケースであった。野辺氏の失職を受けて、市長に立候補・当選したのが現市長の鈴木重格である。鈴木は当時(串間市選出)県議会議員であったため、議員を辞職しての立候補であった。その鈴木の辞職に伴う県議会議員補欠選挙に立候補したのが、失職間もない野辺である。選挙結果は野辺の圧倒的な勝利。野辺は以後も当選を重ねて現在に至っている。

市町村合併
2003年(平成15年)2月17日 串間市・日南市・北郷町・南郷町の4市町で「南那珂地域任意合併協議会」を設置したが、同年中に協議会は解散し、当面単独市制を継続することとなった。

原発誘致をめぐる経緯
1990年(平成2年)5月30日、原発推進派の野辺、市長選にて勝利。10代串間市市長となる。
1992年(平成4年)、九州電力による、串間市への原発建設計画が表面化。
1992年(平成4年)10月5日、野辺が収賄容疑で逮捕される。それを受けた市長選にて、11月29日、山下茂が再選。11代串間市市長となる。
1995年(平成7年)4月23日、市議選にて、原発立地阻止JA連協が推薦した市議候補10人全員が当選する。同年9月26日、住民投票を市長裁量で実施できる条例改正案を市議会が賛成多数で可決。それを受けて12月1日、九州電力が立地活動凍結を宣言。
1996年(平成8年)、原発立地の是非を問う住民投票条例の制定。
1996年(平成8年)11月29日、原発反対を掲げる山下、市長選にて三選。12代串間市市長となる。公約は、「原発誘致の是非を問う住民投票の開催を、就任後1年以内に行う」であった。
1997年(平成9年)3月、「串間原発立地を断念」と、九州電力副社長が明言。それを受けて山下は住民投票の予算を議会に計上せず、事実上の公約の撤回となる。
1997年(平成9年)7月28日、九州電力社長が「川内、玄海に加え第3の立地が必要」と発言。
1997年(平成9年)8月11日、「串間反原発住民投票対策本部」が原発誘致の是非を問う住民投票の即時実施を求める署名活動をスタート。
1999年(平成11年)4月、市議選にて、原発反対派議員が11人から5人に激減。
1999年(平成11年)6月、市議会にて1996年に可決された「原発立地反対決議」を撤回する決議を行う。14対5の賛成多数で可決。これにより「原発立地反対決議」は撤回された。
1999年(平成11年)9月20日、「串間市原発阻止JA青年部連絡協議会」が、串間原発立地の是非を問う住民投票実施の公約(96年11月選挙)が守られず、精神的苦痛を受けたとして山下茂市長に750万円の損害賠償を求めた裁判について宮崎地裁は、「串間市原発阻止JA青年部連絡協議会」の請求を棄却。「住民投票を実施するという約束は、選挙における公約でしかなく、司法上の契約ではない。」と判決。
2000年(平成12年)4月19日、串間市議会の企業誘致特別委員会は、原発誘致の方針を全会一致で確認。
2000年(平成12年)11月19日、任期満了にともなう串間市長選挙の投票が行われる。川崎永伯 3616票、野辺修光 9353票、田中勝 4159票という結果で、野辺が13代串間市市長となる。翌年1月、野辺は、「誘致は考えておらず、原発の是非を問う市民投票条例に対しても、自分から条例の廃止を持ち出す考えはない」と述べた。
2001年(平成13年)9月、野辺市長の元後援会会長が、串間市長選にて有権者16人に野辺市長への票の取りまとめを依頼、報酬として計24万円を渡した罪により、最高裁、2000年11月の宮崎県串間市長選に絡む公職選挙法違反事件で、野辺修光市長の当時の地区後援会会長を有罪判決。宮崎地方裁判所にて懲役2年、執行猶予5年、追徴金38万円の判決が確定。 
2002年(平成14年)1月25日、福岡高検が、2000年、11月の宮崎県串間市長選に絡む野辺市長の公職選挙法違反事件で、当時の地区後援会会長の有罪が確定した野辺市長について連座制適用を求めた件について、福岡高裁宮崎支部は福岡高検の請求どおり、野辺市長の当選を無効とし、串間市長選への5年間の立候補を禁じる判決を言い渡した。
1994年の公選法改正以後、現職の自治体首長が連座制の適用を受け、当選無効の判決を受けるのは初めてのことだった。
2002年(平成14年)2月4日、野辺修光市長は、福岡高裁宮崎支部の下した判決「当選無効と同市長選への立候補禁止」の判決に不服申し立て、最高裁に上告。しかし、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は6月6日、この上告を棄却、野辺市長は失職する。
2002年(平成14年)7月8日、鈴木重格、市長選に勝利。14代串間市市長となる。
2006年(平成18年)7月28日、鈴木重格、市長選に再選。15代串間市市長となる。
2010年(平成22年)7月、原発推進派であり「市民投票における推進と反対の決着」を公約に掲げた野辺が市長選三選。16代串間市市長となる。同年12月、原発誘致の是非を問う住民投票を提案し、可決された。4月10日に実施となる。
2011年(平成23年)3月14日、東日本大震災の余波を受け、4月10日に実施予定だった原発誘致を巡る住民投票が白紙撤回となる。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

幸島(芋を洗うニホンザルで有名)
都井岬 - 日南海岸国定公園
都井岬灯台 - 日本の灯台50選
岬馬およびその繁殖地(天然記念物)
ソテツ自生地(特別天然記念物)
恋ヶ浦(サーフィンの名所)
都井岬火祭り(毎年8月第4金・土曜日)
西林院(戦国大名秋月種実の墓所)
串間温泉
志布志湾大黒イルカランド

百選
日本の灯台50選:都井岬灯台
日本の渚百選:日南海岸

串間市を舞台にした作品
※ロケも含む
砂の器(串間市長浜)
LIMIT OF LOVE 海猿(幸島)
串間市出身の有名人
加藤正(画家)
東村アキコ(漫画家)
津曲勝利(バレーボール選手)
HAKUEI(ミュージシャン、ロックバンド・PENICILLINボーカル)
古川禎久(衆議院議員)
西村徳文(プロ野球選手)
水谷実雄(プロ野球選手)
日高逸子(競艇選手)
いであやか(シンガーソングライター、同市在住)
草竹幸一(大相撲力士)




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社