天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

佐賀県20170922

20170922
 
佐賀県庁


基本情報
所在地:〒840-8570 佐賀県佐賀市城内1-59
電話:0952-24-2111


【Official site】

佐賀県庁
佐賀県庁(さがけんちょう)は、地方公共団体である佐賀県の執行機関としての事務を行う役所である。

概要
佐賀県庁では「改進プログラム」を掲げて改革を現在進めている。県庁組織は民間企業同様にサービス追求型への転換を目指している。また、2004年度から実施している行財政改革緊急プログラムでは佐賀県内の各自治体(市町)への権限委譲や分権、外部委託(アウトソーシング)を積極的に行っている。代表的なものが2007年10月、九州地方の県では初めてパスポート発給業務を各市町に全面委譲した点である。

組織
佐賀県の地方議会については佐賀県議会を参照。
知事
副知事
統括本部
企画・経営グループ(経営改革推進グループ、政策監グループ)、秘書課、情報・業務効率課(総務事務効率化センター)、危機管理・広報課、消防防災課
くらし環境本部
企画・経営グループ、男女参画・県民協働課、人権・同和対策課、こども未来課、くらしの安全安心課、地球温暖化対策課、原子力安全対策課、有明海再生・自然環境課、循環型社会推進課(環境監視指導室)
健康福祉本部
企画・経営グループ(粒子線治療普及グループ、地域医療体制整備グループ)、地域福祉課、長寿社会課、障害福祉課(就労支援室)、母子保健福祉課、医務課(新県立病院プロジェクト推進室)、健康増進課、薬務課、国民健康保険課、生活衛生課
農林水産商工本部
企画・経営グループ、新産業課、新エネルギー産業振興課、企業立地課、雇用労働課、流通課、商工課、観光課(生産振興部)、生産者支援課、農産課、園芸課、畜産課、林業課、水産課
県土づくり本部
企画・経営グループ、建設・技術課、土地対策課、まちづくり推進課、河川砂防課、港湾課、下水道課、農山漁村課、農地整備課、森林整備課(交通政策部)、空港・交通課、新幹線活用・整備推進課、道路課、入札・検査センター
経営支援本部
企画・経営グループ(歳入戦略グループ)、総務法制課、職員課、財務課、税務課、市町村課、統計調査課、国際課
出納局
会計課、用度管財課
東部工業用水道局
選挙管理委員会
監査委員
人事委員会
労働委員会
海区漁業調整委員会
収用委員会
教育委員会(佐賀県教育委員会)
佐賀県教育庁
公安委員会
警察本部

主な出先機関
経営支援本部
県税事務所(佐賀、唐津、武雄)
健康福祉本部
保健福祉事務所(佐賀中部、鳥栖、唐津、伊万里、杵藤)
農林水産商工本部
地域農業改良センター(佐城、三神、東松浦、西松浦、杵島、藤津)
家畜保健衛生所(中部、北部、西部)
水産振興センター(玄海、有明)
県土づくり本部
農林事務所(佐賀中部、鳥栖、唐津、伊万里、武雄、鹿島)
土木事務所(佐賀、神埼、鳥栖、唐津、伊万里、武雄、鹿島)


佐賀県
佐賀県(さがけん)は、日本の九州地方の北西部にある県。県庁所在地は佐賀市。
唐津・伊万里・有田などは古くから陶磁器の産地として有名である。玄界灘と有明海の2つの海に接する。
令制国の肥前国東部に相当する。明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の2県として分立した。県名は佐賀郡(現在の佐賀市)から採られたもので、『肥前国風土記』に伝えられる、楠の木が生え盛るこの地を指して日本武尊が言った「栄の国」に由来する。

地理・地域
日本の中では西部(西日本)あるいは南部(南日本)に位置しており、九州地方の中では北部(北部九州)または西部(西九州)に位置している。人口・面積共に九州7県の中では最も少なく、また人口・面積ともに全都道府県中42番目である。しかし、人口密度は全都道府県中16番目と中位にあり、九州でも2番目に高い。
県内の地域区分は、佐賀藩と唐津藩に二分されていた歴史的経緯から、唐津市を中心とした北部(北西部)と佐賀市を中心とした南部(南東部)に分ける2区分が最もよく用いられる。より細かく分ける場合は、北部・東部・西部の3区分や三神・佐城・杵藤・唐松・伊西の5区分が用いられる。
県名の認知度調査においては2002年の調査(小学4-6年生対象)で44位、2004年の調査(中学生対象)で30位となっている。

地勢
県の形は凹凸のある逆三角形に近い。北西部はリアス式海岸と砂浜の玄界灘、南東部は干潟と干拓地の有明海という、海岸の様子が全く異なる2つの海に接している。有明海沿岸から筑後川沿いには県の面積の3割を占める佐賀平野が広がり、玄界灘から佐賀平野西部までは杵島丘陵などの丘陵地帯である。北東部に脊振山地、南西部に多良岳山系といういずれも1,000m級の山地があって丘陵地帯を挟んでいる。
人口が多いのは佐賀市(約24万人)、唐津市(約13万人)、鳥栖市(約7万人)など。県面積の3分の1を占める南東部の佐賀平野に県人口の半数である40万人が暮らしている一方、玄界灘沿岸や杵島丘陵の盆地にも人口集積があって、平地に偏っていることを除けば人口分布に大きな偏りはない。総人口に占める DID(人口集中地区)人口の比率が28.4%(2005年国勢調査)と島根県に次いで47都道府県中2番目に低く、人口が都市に偏らず比較的分散している傾向にある。土地利用の特徴として、耕地が県面積の39%に上り国内平均の2倍と高い割合である一方、森林・荒地は同49%と国内平均の7割に留まっていて、相対的に平野の割合が高いという地形の影響が現れている。
県北東部を東西に連なる脊振山地は、唐津市浜玉町から鳥栖市までその稜線が福岡県との県境になっている。鳥栖市で山脈は途切れるが、その延長線には福岡県の耳納山地が延びている。鳥栖市・基山町は隣接する久留米市とともに山地の合間にあり、北の福岡平野と南の筑紫平野を結ぶ道路網・鉄道網の分岐点となっている。交通の要所かつ工業地域で福岡都市圏のベッドタウンでもあるため、住宅開発が進んでおり人口減少が続く県内では例外的に人口増加率が高い。山地は南方に広がっていて、県中央部に位置する天山まで連なっている。
脊振山地の南麓は緩やかな洪積台地からなる細長い丘陵地帯で、それより南側には幅の広い平坦な沖積平野である佐賀平野が東西に広がっていて県の東部から中央部を占める。佐賀平野は筑紫平野の西半分を指す別名で、古くより穀類の生産が多い穀倉地帯である。筑紫平野の中央を縦断する筑後川が福岡県筑後地方(筑後平野)との境である。平坦な低地が内陸まで広がり大小多数の河川が流れるため20世紀半ばまで洪水被害が頻発していたが、治水が進んだことにより現在は被害が大きく抑えられている。佐賀平野の南には有明海があり、遠浅の広い干潟が広がり干潟独特の生物相がみられる。沿岸には江戸時代以降の干拓により造成された地域が分布している。県内の干拓面積は江戸時代から累計100km2前後に達しており、佐賀平野の1割・県面積の4%程度に達する。
北西部は日本海と東シナ海の接続水域である玄界灘に面する。海に突き出た東松浦半島(上場台地)や北松浦半島は玄武岩で構成された溶岩台地であり、温暖で部分的に照葉樹林も分布する。リアス式海岸で半島や離島が点在、唐津湾や伊万里湾には砂浜が分布する。この一帯の海岸沿いは玄海国定公園に指定され、唐津城や呼子などの海沿いの観光地がある。
玄界灘沿岸の河口低地より南側、県南西部には杵島丘陵が広がり、長崎県との県境をなす多良岳山系へと続く。杵島丘陵には芳ノ谷層(始新世)や佐世保層群(漸新世後期)の石炭を含む層(挟炭層)があり、かつて炭鉱として栄えたが閉山により急速な地域衰退と人口減少を経験した。また、有田泉山で陶石が採れたことをきっかけに創始された伊万里焼(有田焼)は、県を代表するブランドである。武雄温泉や嬉野温泉などの温泉街も点在する。
多良岳が活動していない火山であるほかは、県内に火山はない。地震の被害を受けることは少ないが、梅雨などの大雨による洪水、台風の被害は多い。また、森林面積の3割強を占める自然林・二次林のほとんどが常緑広葉樹林で、玄界灘沿岸部には照葉樹林も見られる。残りの7割弱はスギとヒノキを中心とする人工林で、森林面積に占める人工林率66%(2002年)は日本の都道府県の中で最も高い。

県内の主要地形・自然公園
平野 : 佐賀平野(筑紫平野)
山地
脊振山地(筑紫山地):脊振山 (1,056m)、天山 (1,046m)、井原山 (982m)、金山 (967m)、雷山 (955m)、羽金山 (900m)
多良岳山地:経ヶ岳(県内最高地点、1,076m)、多良岳 (996m)
丘陵地:上場台地、杵島丘陵
河川:筑後川(佐賀県内を流れる分は15.5km)、嘉瀬川 (57.5km)、松浦川 (45.3km)、六角川 (43.6km)
湖沼: 北山ダム、嘉瀬川ダム

有明海:諫早湾
玄界灘:唐津湾、伊万里湾、壱岐水道(対馬海峡)
半島:東松浦半島、北松浦半島の一部

有明海側:竹崎島(たけさきじま)、沖ノ島(おきのしま)
玄界灘側:高島(たかしま)、神集島(かしわじま)、小川島(おがわしま)、加部島(かべしま)、加唐島(かからしま)、松島(まつしま)、馬渡島(まだらしま)、向島(むくしま)
自然公園
国定公園:玄海国定公園
県立自然公園:黒髪山県立自然公園、多良岳県立自然公園、天山県立自然公園、八幡岳県立自然公園、脊振・北山県立自然公園、川上・金立県立自然公園
県の領域
北端 唐津市加唐島エヌオノ鼻 - 北緯33度36分57秒
東端 鳥栖市飯田町 - 東経130度32分31秒
南端 藤津郡太良町大浦甲(竹崎) - 北緯32度57分1秒
西端 唐津市馬渡島大瀬 - 東経129度44分12秒
隣接する都道府県
北海道、長崎県、沖縄県を除く全ての都府県には、陸上で隣接する県が2つ以上あるが、佐賀県はその隣接県同士が全く接していない唯一の県である。すなわち、福岡県から長崎県の間を陸上で移動する場合には必ず当県を通過する。

気候
佐賀県は、日本の中では比較的気候が温暖であるが、冬の寒さは緯度の割りには厳しく、東京よりも寒い。2016年1月25日には県内全観測地点で真冬日を観測した。日本を広域的に見た場合、県内全域が太平洋側気候に入るが、北部の玄界灘沿岸部は曇が多いが、降水量の面で日本海側気候とは明確に異なる。台風の通過・被害が多いが、九州のほかの県と比べると少ない方である。県内の気候は大きく3つに分かれる。
佐賀市を中心とした南部の平野部
夏に降水量が多く、冬は少ない。年間を通しても降水量1800mm程度である。気温は熊本市などの盆地に近い傾向で、1日の気温差が大きい傾向にあり、夏は暑さが厳しく猛暑日、熱帯夜が多い。平野部は海抜が低いため水害(洪水)が多いほか、有明海から吹き付ける塩分を含んだしぶきが塩害を発生させることも多い。また、内陸のため冬季を中心に乾燥しやすい。
唐津市、伊万里市などの北部の玄界灘沿岸
夏も降水量が多いが、冬も季節風の影響で降水量が比較的多く降雪も年に数回記録される。海洋性気候を呈し、1日の気温差が小さい傾向にあり、猛暑日や冬日は少ない。
嬉野市嬉野地区、佐賀市三瀬地区などの山間部
三瀬地区で年間降水量約2400mmとなっており、全体的に降水量は多く、特に夏に多い。1年の気温差、1日の気温差がともに大きい。冬は県内では特に低温となり、雪や霜の日数も多い。平年の天山の初冠雪は12月4日。

自治体
現在佐賀県内には10市6郡10町、併せて20市町がある。2004年(平成16年)12月時点では7市8郡38町4村の計49市町村だったが、市町村合併により、最後の合併が行われた2007年(平成19年)10月1日に現在の数となって市町村数は半分以下に減少した。合併ですでになくなった市町村については、佐賀県の廃止市町村一覧を参照のこと。
なお、2006年(平成18年)3月20日に脊振村が神埼市になったのを最後に、佐賀県内の村は全て消滅した。佐賀県では、江北町が「まち」としている他は、「町」はすべて「ちょう」と読む。
都道府県別の面積順位が42位と小さな県であり県全体を一つの地域とすることも多いが、大きく分ければ佐賀平野を中心とした南部と東松浦半島を中心にした北部に分けられる。また、さらに細かい区分では佐城(佐賀市・小城市・多久市)三神(鳥栖市・神埼市・三養基郡・神埼郡)杵藤(武雄市・鹿島市・嬉野市・杵島郡・藤津郡)唐松(唐津市・東松浦郡)伊西(伊万里市・西松浦郡)の5地区に分けることが多い。


歴史
県名の由来
県名である「佐賀」は明治の県設置時に県庁所在地となった佐賀郡にちなむものだが、古来は「佐嘉」の表記が主に使われていた。やがて「佐賀」も使われるようになり、明治維新の時に「佐賀」に統一された。古い「佐嘉」の表記は佐嘉神社などに残されている。「佐嘉郡」は、風土記の一つである『肥前国風土記』に記された、以下の記述に由来すると言われている。
昔者(むかし)、樟の樹一株此の村に生ひたりき。幹枝秀高く、莖葉繁茂り、朝日の影には、杵嶋の郡の蒲川山を蔽ひ、暮日の影には、養父の郡の草横山を蔽へりき。日本武尊、巡幸しし時、樟の茂り榮えたるを御覽はして、勅りたまひしく、此の國は榮(さか)の國と謂ふべし、とのりたまひき。因りて榮の郡といひき。後改めて佐嘉の郡と號く。
— 肥前国風土記(書き下し文)
これは、「日本武尊が御巡幸の時、楠樹(クスノキ)の栄え繁る有様を見られ、この国は『栄の国』と呼ぶがよかろう、と申され、その後『栄の都』といい、改めて佐嘉郡と呼ぶようになった。」といった意味である。この文中に見られるクスノキは、佐賀平野を中心として県内各地にあり、天然記念物指定の古い大楠が多数あるほか、佐賀県の県木にも指定されており縁が深い。
また、「佐嘉郡」の由来としては、もう1つ説があり、同じく肥前国風土記の以下の記述に由来する。
一云、郡西有川、名曰佐嘉川、年魚有之、其源出郡北山、南流入海。此川上有荒神、往来之人生半殺半。於茲県主等祖大荒田占問、于時有土蜘蛛大山田女、狭山田女。二女子云、取下田村之土、作人形馬形、祭祀此神、必有応和。大荒田即随其辞祭此神々、此祭遂応和之。於茲大荒田云、此婦如是実賢女、故以賢女欲為国名、因曰賢女郡、今謂佐嘉郡訛也。
— 肥前国風土記(原文)
これは、「郡の西にある佐嘉川(現在の嘉瀬川に当たる)という川があり、「荒ぶる神」によって川が氾濫し多くの人々が亡くなっていた。これを鎮めるために、土蜘蛛(天皇に恭順しない土着の豪傑を意味する蔑称)の2人の賢女(さかしめ)が「下田の村の土で人形や馬形を作り、神を祀れば、鎮まるでしょう。」と言い、大荒田がその通りにしたところ、氾濫が鎮められた。大荒田はこの2人の賢女を讃え、この地域を「賢女の群(さかしめのこおり)」と呼ぶようにした。現在はこれが訛って佐嘉の郡(さかのこおり)と呼んでいる」といった意味になる。

古代[編集]

復元された吉野ヶ里遺跡の環濠集落
旧石器時代の遺構がいくつか発見されている。多久市の三年山遺跡や茶園原遺跡などでは、近くの鬼ノ鼻山産のサヌカイトを用いた狩猟に特化した尖頭型の石器が出土している。伊万里市の腰岳遺跡群は黒曜石の産地で、ここから旧石器時代後期 - 縄文時代に産出された黒曜石が本州 - 沖縄 - 朝鮮半島南部にまで広がっていることが確認されている。また佐賀市の東名遺跡では縄文時代前期にあたる7,000年前の網籠、木製装身具、貝塚等の生活遺構がまとまって出土している。
県北西部の玄界灘に面した地域は福岡県北西部と並んで、大陸方面から伝来した稲作の日本における発祥地域とされ、宇木汲田遺跡では縄文時代晩期の炭化籾、菜畑遺跡では縄文時代晩期の炭化米や水田跡が見つかっている。
『魏志倭人伝』に見える「末廬国(まつらのくに)」が現在の唐津地方にあったとされ、大陸由来の青銅器や銅器が多数出土する遺跡が点在する。また、吉野ヶ里町・神埼市の丘陵地帯には弥生時代の大規模環濠集落である吉野ヶ里遺跡があり、その近辺にも九州北部に特徴的な甕棺墓が多く見つかっている。
また、古墳時代初期の建造の前方後円墳である唐津市の久里双水古墳をはじめ、東松浦地区や佐賀平野北部には幅広い年代の古墳が分布している。665年には基山町と福岡県筑紫野市の境に古代山城の一つである基肄城が築かれ、防人を招集して大宰府防衛線の一角を担った。また同じ頃、武雄市のおつぼ山神籠石や帯隈山神籠石などの山城と考えられる遺構も成立している。この頃(7世紀末まで)までには令制国として、今の長崎県本土と佐賀県全域を領域とする肥前国が成立した。
平安時代後期には神埼荘・長島荘などの荘園が形成されるようになる。
中世・近世・近代[編集]

名護屋城の配置図
鎌倉時代から室町時代にかけて、百以上の氏族が地頭として配置されていたと考えられている。その中でも規模が大きかったのが、九州千葉氏、高木氏、綾部氏、松浦氏、少弐氏、波多氏、後藤氏などであった。また、玄界灘沿岸は松浦党の影響力も強かった。この頃の代表的遺構としては、南北朝時代に建造された大きな環濠を特徴とする平城である、神埼市の姉川城がある。
戦国時代に入ると龍造寺氏が一気に勢力を伸ばし、肥前・肥後北部・筑後・筑前南部まで領地を広げた。しかし、戦国末期には島津氏の攻勢が強まり、沖田畷の戦いによって龍造寺隆信が没するとその勢いを失い領地を少しずつ狭めていく。ただ、豊臣政権による1587年(天正15年)の九州国分によって、現在の佐賀県内のほとんどが龍造寺氏の領下に入り版図が決まる。
1591年(天正19年)には東松浦半島に名護屋城が築かれ、文禄・慶長の役の拠点とされた。同城は両戦役の後役目を終え、一部が唐津城築城時に利用されるなどして数年で解体された。一方龍造寺領内では隆信の没後鍋島直茂が国政の代行を行うようになって徐々に勢力を増し、1607年(慶長12年)には龍造寺氏の支配領をほぼすべて鍋島氏が継承して佐賀藩主となった。この前後に両一族の確執があり、鍋島藩の化け猫騒動の話を生み出したともいわれている。一方、唐津藩では波多氏が改易されて寺沢氏に換わり、唐津藩の初代藩主となった。

唐津城
江戸時代には、佐賀藩、その支藩である蓮池藩、鹿島藩、小城藩の3藩、および、唐津藩が置かれていた。そのほか、現在の鳥栖市・基山町付近に対馬府中藩の田代領、唐津市浜玉町付近に同藩浜崎領があり、それぞれ対馬府中藩の飛地となっていた。また、現在の唐津市浜玉町海岸部や唐津市南東部などが幕府直轄領となっていた。
佐賀藩およびその支藩は鍋島氏とその庶流家、龍造寺氏の分家などによる支配が続き、政治的には比較的安定していた。しかし、長崎の警備費用がかさむなどして財政は当初から厳しく、享保の大飢饉や1828年(文政11年)のシーボルト台風による甚大な被害はそれに拍車を掛けた。ただ、広大な有明海の干拓によって農地を拡大できるという地の利を生かして江戸時代初期から盛んに干拓を行ったことで、1840年代には約67万石と、200年前の2倍近くにまで石高を伸ばすことに成功している。また、19世紀中頃に入って鍋島直正は財政の建て直しに努め、役人の削減、伊万里焼や茶・石炭といった特産品の保護育成に努めた。また、地理的に長崎に近いことや長崎警備を担当していた関係などから海外の情報の入手が比較的容易であったため、反射炉や蒸気機関車模型といった先進的な科学技術の実験・研究も進んでいた。
一方の唐津藩は寺沢氏が島原の乱の影響を受けて改易され、その後も領主が大久保氏、大給松平氏、土井氏、水野氏、小笠原氏と目まぐるしく変わり、政治はあまり安定していなかった。寺沢広高は松浦川の改修を行うなどしたが、その後水野忠任の代の1771年(明和8年)には虹の松原一揆が起こるなどした。
佐賀藩は戊辰戦争以降、明治維新に尽力する人物を多く輩出した。明治維新期に活躍した大隈重信・副島種臣・大木喬任・江藤新平・佐野常民・島義勇の6人に、彼らを育てつつ幕末期に活躍した鍋島直正を加えて『佐賀の七賢人』と称することがある。幕末時に薩長土の志士たちが中心であった明治新政府は、戊辰戦争半ばから肥前有志を仲間入りさせ「薩長土肥」体制としたため肥前出身者も明治政府の主要官職を占め続けていたが、藩閥打倒を叫ぶ民権派の影響などもあり大正以降は薩長土同様に藩閥的な勢力ではなくなった。
1871年の大規模府県統合時、旧肥前国の範囲は伊万里県(佐賀県)と長崎県に二分された。このような処分は全国でも2例だけで、他は旧武蔵国(埼玉県・東京都・神奈川県北東部)である。これには、日米修好通商条約で開港の対象となった5港を管轄する県の領域をできるだけ狭く収める目的があったとされている。現在の佐賀県が成立するまで、明治初期には統廃合が繰り返され、1876年(明治9年)には全県が他県に併合される事態も起きた。全県併合の背景には、1874年の佐賀の乱への処分の意味があったと言われている。併合後の根強い復県運動によって、7年後の1883年(明治16年)に佐賀県が復活する[4]。
佐賀県成立までの沿革
1871年(明治4年)旧7月14日 - 廃藩置県により当時の藩がそのまま県となり、佐賀県(第1次)・蓮池県・小城県・鹿島県・唐津県・厳原県となる
1871年旧9月4日 - 厳原県が佐賀県(第1次)と合併し、伊万里県成立(県庁は松浦郡伊万里町)
1871年旧11月14日 - 蓮池県・小城県・鹿島県・唐津県が伊万里県に合併する
1872年(明治5年)1月 - 伊万里県のうち、旧佐賀藩の諫早・神代・伊古・西郷・深堀の各地方が長崎県に編入
1872年旧5月29日 - 伊万里県が佐賀県(第2次)に改称(県庁が佐賀郡佐賀に移転)
1872年旧8月19日 - 伊万里県のうち対馬(旧厳原県)が長崎県に編入
1876年(明治9年)4月18日 - 三潴県に合併
1876年5月24日 - 三潴県の杵島郡・松浦郡の区域が長崎県に編入
1876年6月21日 - 三潴県の藤津郡の区域が長崎県に編入
1876年8月21日 - 三潴県が廃止され、佐賀郡・小城郡・神埼郡・基肄郡・養父郡・三根郡が長崎県に合併
1883年(明治16年) 5月9日 - 長崎県の10郡(佐賀郡・小城郡・神埼郡・基肄郡・養父郡・三根郡・杵島郡・藤津郡・東松浦郡・西松浦郡)が分離独立し、現在の佐賀県(第3次)が成立(明治16年太政官布告第15号により、富山県および宮崎県と同日に分県が成立した)
明治時代には殖産興業の一環として杵島や唐津一帯の炭鉱では機械の導入による増産が進められ、鉄道の建設がそれを後押しした。1889年(明治22年)12月11日に現在の鹿児島本線にあたり県内区間を含む博多 - 千歳川(現在は廃止)間が開業。1891年(明治24年)8月20日には鳥栖 - 佐賀間、1895年(明治28年)5月5日には武雄まで、1897年(明治30年)7月10日に長崎県佐世保市早岐までそれぞれ延伸して現在の長崎本線・佐世保線に当たるルートができた。また1898年(明治31年)8月7日に九州鉄道西九州線有田 - 伊万里間に当たるルートが開業、1898年12月1日から1903年(明治36年)12月14日にかけて順次現在の唐津線に当たるルートが開業した。1916年(大正15年)には佐賀市に佐賀紡績(後の大和紡績佐賀工場)が設立、1920年には従業員1,500の工場へと拡大するなど、近代化により製造業が発展した。一方では、各地で労働環境の問題なども生じるようになった。
農村では近代化は顕著ではなかったが、1922年の電気灌漑導入をきっかけとして品種改良や肥料導入が急速に普及したことで米は大幅な増産となり、1933年(昭和8年) - 1935年(昭和10年)には1反(10a)当たり収量日本一を記録、「佐賀段階」と呼ばれ、主産業であった農業の発展とともに人口も増加した。
現代[編集]
県内の都市は工業集積が進んでおらず米軍の攻撃の優先順位が低かった上に、太平洋戦争末期の空襲の被害は県内最大の攻撃目標である県都佐賀市への誤爆も重なり近県に比べて少なかったが、戦災を免れた故に都市基盤が旧態依然で戦後の発展も著しいものではなかった。商業の発展があったものの、従事者や生産額ともに依然として第一次産業の比率が比較的高い農業県であった。この頃災害復旧費などの財政支出増加から県財政が悪化し1956年度から財政再建団体に転落、財政再建策としての大規模な教職員削減を背景に佐教組事件が発生するなどしている。1960年代には、治水・灌漑の進展と集落協働による農法改善を原動力とした「新佐賀段階」が起こり、1967年に10a当り収量542kg(全国平均403kg)を記録するなど、農業は発展を見た[5]。
しかし、1960年代後半より減反が進んだことで米中心の農業は打撃を受け、加えて炭鉱の閉鎖が加速し、多久・杵島・東松浦などの旧炭鉱地域を中心として、高度経済成長期に急速な過疎化が進んだ。これに対して1970年代以降、農業は米だけではない野菜や果実などへの多品目化に移行し、また佐賀平野では二毛作による麦の生産が浸透して農業の維持を図った。工業では、高速道路の整備以降は高速周辺での工場誘致が各地で起こった。これによって、鳥栖市を中心とした県北東部では集積した製造業が基幹産業へと成長した。1990年代からは半導体や自動車部品産業が割合を高めている。

沿革
佐賀城(鯱の門)。1602年築城、1874年佐賀の乱の際に戦闘が行われ建物の大半が失われた。

佐賀線のディーゼルカーと筑後川橋梁(筑後川昇開橋)
紀元前3万3,000年頃(更新世) 犬塚山遺跡成立
紀元前6世紀頃(縄文時代晩期) 菜畑遺跡成立
紀元前1世紀頃(弥生時代中期) 現在の吉野ヶ里遺跡にむらが栄える
665年 - 白村江の戦いの敗戦により大宰府防衛のため基肄城が築かれる
733年(天平5年) - 肥前国風土記が成立
836年(承和3年) - 神埼荘が初期荘園として開墾、以後拡大し日宋貿易の拠点にもなったと見られている
1274年(文永11年) - 文永の役
1281年(弘安4年) - 弘安の役
1591年(天正19年) - 名護屋城普請、以降文禄・慶長の役を経て1598年(慶長3年)に廃城
1602年(慶長7年) - 唐津城、佐賀城築城
1607年(慶長12年) - 佐賀藩の実権が龍造寺氏から鍋島氏に移る
1732年(享保17年) - 享保の大飢饉。冷害とそれに伴う蝗害により穀物に大被害。餓死者は8万人で、当時の藩人口の2割に及んだと伝えられる。
1771年(明和8年) - 虹の松原一揆
1781年(天明元年) - 佐賀藩校弘道館成立
1828年(文政11年) - シーボルト台風により甚大な被害、有明海で高潮が発生するなど佐賀藩だけで死者1万人以上と推定
1871年(明治4年)
旧7月14日 - 廃藩置県。現在の県域には6県が成立し、以後統廃合を繰り返す。
1874年(明治7年) - 佐賀の乱
1876年(明治9年) - 佐賀の乱への懲罰として、佐賀県が消滅(長崎県等へ編入)
1883年(明治16年)
5月9日 - 現在の県域と一致する、最終的な佐賀県が成立(佐賀県復県)
1889年(明治22年)
4月1日 - 佐賀市に市制施行
1891年(明治24年) - 九州鉄道長崎線、鳥栖-佐賀間開通。1895年(明治28年)佐賀 - 武雄間、1897年(明治30年)武雄 - 早岐間、1903年(明治36年)佐賀 - 西唐津間開通。
1932年(昭和7年)
1月1日 - 唐津市に市制施行
1933年(昭和8年)・1934年(昭和9年)・1935年(昭和10年) - 10aあたりの米収穫高が日本一になる(佐賀段階)
1935年(昭和10年) - 国鉄佐賀線開通
1945年(昭和20年)
3月25日 - 玄海町外津浦に第118震洋特別攻撃隊が編成。県内唯一の特攻基地。
8月5日 - 佐賀市空襲。死者61名。
8月11日 - 鳥栖市空襲。死者110名。
1953年(昭和28年) - 昭和28年西日本水害発生。筑後川や嘉瀬川などが氾濫し、県内のみで死者59人。8万棟近くが浸水した。
1954年(昭和29年) - 昭和の大合併により、鳥栖市、伊万里市、武雄市、鹿島市、多久市の5市が誕生(7市8郡18町35村)
1965年(昭和40年)・1967年(昭和42年) - 10aあたりの米収穫高が再び日本一になる(新佐賀段階)
1969年(昭和44年) - 佐賀市で佐賀大博覧会開催
1972年(昭和47年) - 西杵炭鉱の閉山により県内の炭鉱すべてが閉山
1975年(昭和50年) - 玄海原子力発電所の営業運転開始
1976年(昭和51年) - 第31回国民体育大会(若楠国体)開催
1980年(昭和55年)
国営有明干拓事業完工により有明海沿岸の干拓が収束
初の熱気球大会開催(後の佐賀インターナショナルバルーンフェスタ)
1987年(昭和62年) - 国鉄佐賀線が廃止
1989年(平成元年)
吉野ヶ里遺跡が日本最大の環濠集落であることが明らかになる
第34回スナイプ級ヨット世界選手権開催
第9回熱気球世界選手権開催。アジア初開催
1990年(平成2年) - 長崎自動車道の県内区間が全通
1994年(平成6年)
静岡県浜松市からジャパンフットボールリーグ所属チームPJMフューチャーズ(翌年より鳥栖フューチャーズに改称)が移転
第76回全国高等学校野球選手権大会で、佐賀県立佐賀商業高等学校が優勝
1996年(平成8年)
JR鳥栖駅操車場跡地に鳥栖スタジアムが完成
有田町・西有田町(両町とも現有田町)で世界・炎の博覧会開催
1997年(平成9年)
鳥栖フューチャーズが解散。実質的な後継チームとしてサガン鳥栖発足
第13回熱気球世界選手権開催
1998年(平成10年) - 川副町に佐賀空港開港
2001年(平成13年) - 国営吉野ヶ里歴史公園開園
2004年(平成16年) - 佐賀県立佐賀城本丸歴史館完成
2005年(平成17年) - 合併により1市1町が誕生。3月20日に福岡県西方沖地震が発生し、みやき町で県内観測史上最も強い震度6弱を観測。
2006年(平成18年) - 合併により2市1町が誕生
2007年(平成19年)
全国高校総体(2007青春・佐賀総体)開催
第89回全国高等学校野球選手権大会で、佐賀県立佐賀北高等学校が優勝
2009年(平成21年)
玄海原子力発電所で国内初のプルサーマル運転を開始
レーザーラジアルヨット世界選手権開催
2011年(平成23年)
九州新幹線(鹿児島ルート)県内区間が開通・全線全通
サガン鳥栖がJ2リーグを2位で終了し、翌年のJ1初昇格を決める。
2013年(平成25年) - 九州国際重粒子線がん治療センター開設
2014年(平成26年) - レーザー4.7級ヨットユース世界選手権2014開催
2015年(平成27年) - 420クラスヨット世界選手権2015開催

人口
佐賀県の人口は2012年4月現在、約84万3千人で全都道府県中42位(6番目に少ない)。合計特殊出生率 1.56(2002年)は同4番目に高く、年少人口(0 - 15歳)も 15.8%(2002年)と同3番目に高い。また人口ピラミッドを見ると18歳までの人口割合が比較的高く、20歳前後での進学・就職による転出が多いことが特徴である。これに合わせる形で生産年齢人口(16 - 64歳)は 62.8%(2002年)、同38番目と割合が少ない。高齢者人口(65歳以上)は 21.4%(2002年)、同21番目と中位にある。平均寿命は男女間で差があって、男性は78.31歳・同32番目で国内平均の78.79歳よりも短く、女性は86.04歳・同17番目で国内平均85.75歳よりも長い(平成17年(2005年)都道府県別生命表)。
県人口(後述)は戦前の60万人台から、第一次ベビーブームを経て1954年(昭和29年)頃に97万7,000人とピークを迎えたが、高度経済成長の進展とともに急速に減少して1973年(昭和48年)には82万2,000人と底を打った。その後緩やかに回復して80万人台の半ばを推移し、1990年代後半以降は減少し続けている。また2007年の推計によると、2020年に80.4万人、2035年に71.2万人に減少すると予想されている。人口減少と少子高齢化が進行しているものの、出生率が高いため少子化は比較的緩やかである。

政治・行政
国政
詳細は「衆議院小選挙区一覧#佐賀県」および「佐賀県選挙区」を参照
衆議院の小選挙区は第47回衆議院議員総選挙から1つ減らされ県全体で2に。参議院では、全県で1区を構成。
衆議院(2018年(平成30年)改選)
佐賀県第1区:岩田和親(自民)
佐賀県第2区:古川康(自民)
比例代表:今村雅弘(自民)[9]
比例代表:大串博志(民主)
比例代表:原口一博(民主)
参議院
佐賀県選挙区:福岡資麿(自民、2016年(平成28年)改選)、山下雄平(自民、2019年(平成31年)改選)
県政[編集]
詳細は「佐賀県知事一覧」、「佐賀県庁」、および「佐賀県議会」を参照
知事 現職:山口祥義(やまぐち よしのり)
2015年(平成27年)1月14日[10] - (1期目、第58代)
前任の古川康が衆議院議員に転じ辞職したことに伴う2015年1月11日の選挙で初当選。13日までは副知事が職務代理。
県政の課題・主な政策[編集]
城原川ダム建設問題 - 建設賛成派と反対派の対立が続き、1979年(昭和54年)の計画策定から30年以上経過した現在まで着工に至っていない。
諫早湾干拓事業の漁業影響を巡る問題 - 干拓事業に伴う「潮受け堤防」閉め切りが有明海産の魚介類や養殖ノリの不漁の原因であるとして漁業者らが堤防開門を求める訴訟を起こし、佐賀地裁(2008年)・福岡高裁(2010年)で開門を命じる判決、菅総理(当時)による国としての上告断念(2010年12月)により、2013年12月までに「5年間の開門」を行うこととなっている[11]。しかし、干拓地の営農者や干拓地周辺住民による開門差し止め訴訟(2011年4月-)が提起されて対立構図が広がりつつあるほか、ほぼ同じ内容の別訴訟では長崎地裁(2011年6月)で開門を認めない判決が出るなど、混迷を極めている[12]。
佐賀空港問題 - 1998年の開港以来続く赤字は累計30億円(2011年時点)に達しており、経営改善への取り組みが課題となっている[13]。
九州新幹線 長崎(西九州)ルート問題 - 九州新幹線長崎(県は西九州の呼称を用いる)ルートの武雄温泉 - 諫早間の建設をめぐり、JRより経営分離される並行在来線と指定された長崎本線沿線の鹿島市・江北町が反対していたため、着工できない状態が続いていた。2007年(平成19年)12月に並行在来線は経営分離をしないといういわゆる「三者合意」により2市町の反対の意思をいわば「無視」する形で着工が決まった。2008年4月着工、2018年に区間完成予定。『県民だより』の建設推進ありきの広報活動に対する批判も起きた。また、県も建設に疑問を持つ県民が多いことを認めており、今後理解を求める活動を行う、としている。また2012年には諫早 - 長崎間の着工認可が下り、残る新鳥栖 - 武雄温泉間は狭軌としフリーゲージトレインを用いることとされているが、車両開発の難航、標準軌(フル規格)への格上げの可能性などが課題となっている。
ネットモニタリング - 2006年11月の報道により、危機管理・広報課が「佐賀」や「古川康」などのワードを含む書き込みについてチェックを行い、内容によってお礼や説明などの対応をとっていることが明らかになった。一部からは「ネット監視」との批判もあった。
玄海原子力発電所プルサーマル問題 - 九州電力による導入発表後反対運動が展開されたが、地元と県の了解により、2009年(平成21年)12月から3号機で日本初のプルサーマル営業運転を開始した。依然として、安全性などへの不安を理由とした反発の声が上がっている。
玄海原子力発電所再稼働問題 - 2011年(平成23年)福島第一原子力発電所事故に伴う安全性不安により、定期検査後3月 - 4月に営業運転再開する予定だった2号機・3号機の運転が中止された。再開に際しての地元同意を形成する段階で九州電力やらせメール事件が発生し、関与が取り沙汰されている古川知事の責任問題も浮上したことから、議論が停滞している。
サガハイマット - 国内4か所目の重粒子線がん治療施設として建設。1割弱が県、残りは民間という出資形態は国内初であり、利用の推移や資金運用が注目されている[16]。

財政
平成24年度
標準財政規模 2564億2635万円
財政力指数 0.30(都道府県平均 0.46)
佐賀県は財政力指数が0.3〜0.4のDグループ(12自治体)に分類されている
経常収支比率 90.5%(都道府県平均 94.6%)
将来負担比率 123.5%(都道府県平均 210.5%)
実質公債費比率 14.0%(都道府県平均 13.7%)
人口100,000人当たりの職員数 1,539.95人(都道府県平均 1,110.90人)
ラスパイレス指数 107.8(都道府県平均 107.4)
地方債残高
普通会計分の地方債現在高 7220億5000万円
上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 27億6200万円
平成23年度
財政力指数 0.31(都道府県平均 0.47)


経済・産業
2007年度(平成19年度)の県内総生産は3兆115億円である[23]。47都道府県では第43位であり、世界で85位前後の「国」に相当する経済規模を有している[24]。
産業別就業者数では、他の都道府県に比べて第一次産業の割合が多いことから、農業県と言われることも多い。
統計[編集]
所得・生活
1世帯当たり人員 2.94人(2005年(平成17年)、全国3位の多さ)
一人当たり県民所得 245万3000円(2004年(平成16年)度)
常用労働者の一人当たり月間給与額 32万5863円(2002年(平成14年)度)
1人1日当たりごみ排出量 884g(2004年(平成16年)、全国最少)
産業
農業産出額 1342億円(2002年(平成14年))
製造品出荷額等 1兆3971億1800万円(2002年(平成14年))
商業年間商品販売額 1兆8750億円(2002年(平成14年)度)
年間観光客数 3032万1千人(2005年(平成17年))
その他
耕地利用率 132.6%(2004年(平成16年)、全国1位の高さ)
道路舗装率 94.8%(2002年(平成14年)4月)
年間総労働時間 1,956 時間(2002年(平成14年)、全国最長)
人口10万人当たり薬局数 58.8(2005年(平成17年)、全国最多)
人口1,000人あたり消防団員数 23.8人(2003年(平成15年)、全国最多)[25]
第一次産業[編集]
佐賀平野を中心に穀類を中心とした農業が、入り江の多い玄界灘に面する北西部では果樹農業や畜産、沿岸漁業が盛んである。有明海に面した県南地域では海苔の養殖が盛んである。
農業[編集]
佐賀県は、県の面積に対する耕地の割合(耕地率)が24%、後述する二毛作の影響で耕地面積に対する作付面積の割合(耕地利用率)が133%(1986年(昭和61年)から20年以上連続で全国1位)と、ともに日本全国の中でも高く、農業が盛んな県である。
主要農産物の米は古くより、特に力が入れられている。1930年代には、耕地整理と電気による機械灌漑の導入によって1反当たりの収量(反収)が日本一となり、その原動力となった効率的な農業手法の改良は「佐賀段階」と呼ばれた。1953年(昭和28年)の大水害等を受けて治水と平行して利水が展開されたことで1950年代に大規模灌漑施設が整備され、さらに佐賀平野で古くから根付いていた集落共同を生かして農法の改良や統一を行ったことで、1960年代にも反収日本一となった。1970年代頃まで米が県の農業生産額の半分以上を占めていたが、減反の流れなどから米を取り巻く環境は一変した。県などによる大規模な耕地整理により効率化が図られたものの、転作と多品目化が進み、2000年代には25%程度に減少した。一方で、野菜・果実・畜産物の占める割合は約6割に上昇した。また、米の生産額の割合は減っているが、依然佐賀県の耕地の4分の3は水田であり、米作りは盛んである。品種別ではヒノヒカリ、コシヒカリ、夢しずくなどが多い。近年は高温登熟障害による減収が頻発しているため、高温に強い「さがびより」の生産が拡大されている。また、ヒヨクモチを中心としたもち米の生産は非常に多く、生産量では全国1位(2002年(平成14年))となっている。
佐賀平野は米だけではなく大豆や大麦など、農産品に占める穀類の比率が高い穀倉地帯である。佐賀平野では、夏の表作として稲を栽培する一方、温暖なため冬でも早い生育が見込め、冬の適度な乾燥があることから、冬の裏作として小麦や大麦を栽培する二毛作を行っている。ビールや焼酎の原料などになる二条大麦の年間収穫量は34,000トン(2006年(平成18年))で全国最多。大豆の年間収穫量は14,200トン(2005年)で全国4位。
近郊や西日本を中心とした大都市向けの野菜類の生産も多い。野菜では、タマネギ、レンコン、アスパラガスの生産が多い。塩害に強いため干拓地で多く栽培されるたまねぎの年間収穫量は162,400トン(2006年(平成18年))で全国2位。脊振山地(筑紫山地)では、標高が高いため降水量が多く冷涼な気候を生かして小規模ながら高原野菜の栽培も行われている。
果実では、イチゴ(主要品種は、さがほのか、とよのかなど)、ミカン、ナシなどの生産が多い。ミカンの収穫量は年々減少傾向にあるが、温室栽培で出荷期間が長いハウスみかんの年間収穫量は11,200トン(2005年(平成17年))で全国1位、シェア約22%となっている。
畜産では、九州の他県と同じように、鶏、肉牛、豚の飼育頭数は多い。肉牛に関しては、伊万里市を中心に生産される『佐賀牛』(「伊万里牛」)ブランドが近年広くPRされている。
また、嬉野市など県内各地で、茶の生産も多い。嬉野茶ブランドで販売されている。
国内の農産物消費の頭打ちなどを考慮し、米や果実、牛肉などを「佐賀ブランド」で輸出する試みも行われている。
漁業[編集]
北西部の玄界灘(日本海)と南部の有明海とで、特徴が大きく異なる。
有明海では、海苔の生産が特に多く、貝類の漁獲量も多い。板のりの年間収穫量は21億8,570万枚(2005年(平成17年))で全国1位、シェア約22%である。特に贈答品として特化しており、最高級品を『佐賀海苔 有明海一番』として販売している。アサリ、タイラギ、ガザミ、コハダ(ツナシ)、アカシタビラメ(クチゾコ)、スズキなどの漁獲量が多いのが特徴。ガザミのうち太良町近海で獲れるものは『竹崎カニ』と呼ばれている。また、筑後川の下流域では初夏にエツ漁が行われ、本県南東部は福岡県筑後地方と並ぶ産地として知られる。
近年有明海は多くの海産物で収獲量変動が激しくなっており、就業者の減少も加わり、水産業の衰退が深刻化している。また1990年代以降、海苔の不作や魚介類の不漁が増加しており、諫早湾干拓事業の影響が指摘されていることから漁業者が反対運動を起こしている。
玄界灘では、アジ、サバなどの魚類やイカ、タコ、エビなどの漁獲量が多く、以上でこの海域の漁獲量の9割以上を占めている。呼子漁港、仮屋漁港、唐津港などで水揚げ量が多い。
第二次産業[編集]
鉱業[編集]
県内では明治時代から本格的な石炭の採掘が始まった。杵島炭鉱や古賀山炭鉱、唐津炭田の諸炭鉱など、炭鉱は県中部や北西部に集中しており、最盛期には賑わいを見せた。しかし1950年代以降、埋蔵量・採掘量の減少やエネルギー政策の転換により規模は縮小し、1970年代までにすべての炭鉱は閉山した。
また、有田町の泉山では磁器の原料として、李参平が発見した陶石の採掘が行われていた。しかし、明治中期から使用が始まった天草産の陶石に押され需要が低迷したため、1992年(平成4年)で採掘は終了し、現在は一部で在庫が使用されているのみになっている。
製造業[編集]
佐賀県では、日本全体の傾向と同様に重化学工業の比率も高いが、特に食品の出荷額が多い。また、窯業の出荷額が占める割合が大きい(下の項目参照)。工業出荷額自体は、1960年代から1980年代にかけて大きく伸びている。
地域的には九州の交通の要衝である鳥栖市や、県庁所在地の佐賀市周辺で工業が盛ん。鳥栖市・基山町などには、特に多くの企業の工場が進出しており、周辺の福岡県久留米市などとともに一大工業地域を作っている。また、伊万里湾では、造船・半導体を軸として水産加工・食品・木材などの工場が並ぶ臨海工業地域が形成されている。
自動車部品、機械、半導体部品などの製造は比較的盛んであり、シリコンウェハーについては大規模工場が立地する関係で年間生産額が全国最多の1,320億円(2010年(平成22年))となっている。
雇用創出や税収増加、人口流出の抑制を狙って、1980年代頃から工場団地への工場誘致が盛んになった。現在も市町村や県が中心となって工場誘致を行っている。
窯業[編集]

伊万里市大川内山、鍋島焼の窯元の風景。
有田町など佐賀県西部では、陶磁器関係の産業が特に盛んで、有田焼(伊万里焼)、唐津焼などのブランドも多い。有田では、17世紀に朝鮮から渡来した陶工の李参平が泉山で良質な陶石を発見したことで有田焼(近世には伊万里焼と呼ばれた)を創始し、古くは輸出もされたブランド品が生産され、近年は日用品も含めて様々なジャンルの陶磁器が生産されている。有田町は、陶磁器の生産量で県の6割を占め、年間出荷額でも200億円-300億円を数える。このほか、伊万里市などでも盛んである。
その他[編集]
江戸時代に長崎街道を伝って砂糖が豊富に流通したため製菓業が盛ん。小城市の羊羹、佐賀市の丸ぼうろ、唐津市の松露饅頭など、各地に伝統的な菓子が残っているほか、江崎グリコの創業者江崎利一、森永製菓の創業者森永太一郎は共に佐賀県出身であるなど人材も輩出している。
全国でも有数の米どころであることもあり清酒の醸造が盛んで、鎌倉時代には「肥前酒」として幕府に献上していた。製造、消費共に清酒より焼酎が多い傾向が強い九州においては異色となっている。
第三次産業
佐賀県の商業は、人口規模や県民所得からして特に盛んという訳ではない。2000年代初頭から、郊外型の大規模ショッピングセンターの建設が相次ぐ一方で、市街地の商店街の衰退が各地で進んでいる。また他方では、交通の便がよく県内よりも大規模な福岡市の商業街へも客は流出していたが、この傾向は現在もある。
サービス業人口は多いが、他県と比べて大きな特徴は見られない。観光業については、観光資源に乏しいとされることがあるが、その活用やPRがうまく進んでいないだけとも言われている。2005年(平成17年)からは知事が「ファミリーツーリズム」という考え方を提唱し、親・子・孫の三世代旅行を誘致する施策を展開している。
福岡や長崎といった運輸・貿易の集中地帯の中継地としての役割もあり、鳥栖ジャンクションを中心として高速道路沿いや幹線道路沿いに、運輸業や倉庫業の事業所が多い。
佐賀県内に本社を置く企業
製造業
久光製薬
祐徳薬品工業
東亜工機
戸上電機製作所
サンポー食品
竹下製菓
村岡屋
森永デザート
ヤクルト食品工業
ヨコオ
理研農産化工
佐賀LIXIL製作所
パナソニック デバイス佐賀
トヨタ紡織九州
九州積水工業
小糸九州
深川製磁
香蘭社
金融業
銀行:佐賀銀行、佐賀共栄銀行
信用金庫:佐賀信用金庫、唐津信用金庫、伊万里信用金庫、九州ひぜん信用金庫
信用組合:佐賀東信用組合、佐賀西信用組合、佐賀県医師信用組合
卸・小売業
ダイレックス
スーパーモリナガ
佐賀玉屋
まいづる百貨店
ギャザー
鈴花
その他
和多屋別荘
佐賀新聞
サガテレビ
NBCラジオ佐賀
エフエム佐賀
県内に拠点事業所を置く企業
味の素(佐賀市)
伊藤ハム(基山町)
江崎グリコ(佐賀市)
大塚製薬(吉野ヶ里町)
キユーピー(鳥栖市)
コカ・コーラウエスト(鳥栖市・基山町)
王子マテリア(佐賀市)
東洋製罐(基山町)
大和製罐(上峰町)
東洋新薬(鳥栖市)
不二家(吉野ヶ里町)
フランスベッド(鳥栖市)
SUMCO(伊万里市)
東和コーポレーション(唐津市・上峰町)
ブリヂストン(鳥栖市)
伊万里東洋(伊万里市)

生活・交通
防衛・治安
自衛隊
陸上自衛隊西部方面隊
目達原駐屯地(吉野ヶ里町)
鳥栖分屯地(鳥栖市)
航空自衛隊西部航空方面隊
脊振山分屯基地(神埼市)
海上保安庁
第七管区海上保安本部
唐津海上保安部(唐津市)
伊万里海上保安署(伊万里市)
消防
唐津市消防本部 - 唐津市
伊万里市消防本部 - 伊万里市・有田町
杵藤地区広域市町村圏組合消防本部 - 杵藤地区
佐賀広域消防局 - 佐賀・小城地区・神埼地区
鳥栖・三養基地区消防事務組合消防本部 - 鳥栖・三養基地区
警察
佐賀県警察
交通機動隊(佐賀市)
高速道路交通警察隊(佐賀市)
鉄道警察隊(佐賀市)
機動隊(佐賀市)
航空隊(佐賀市)
有明海機動警ら隊(白石町)
警察学校(佐賀市)
運転免許試験場(佐賀市)
運転免許センター(佐賀市)
警察署:佐賀北、佐賀南、神埼、鳥栖、小城、唐津、伊万里、武雄、白石、鹿島
裁判所
佐賀地方裁判所・佐賀家庭裁判所
武雄支部
唐津支部
簡易裁判所 : 佐賀・武雄・唐津・鳥栖・鹿島・伊万里

ライフライン
電力事業者
送配電
九州電力(60Hz)が県内全域に供給。
発電
九州電力玄海原子力発電所:4基、総出力3,478,000kW
九州電力天山発電所(純揚水):出力600,000kW
九州電力厳木発電所(水力):出力5,230kW
肥前南風力発電所(風力):8基、出力18,000kW
吉野ヶ里メガソーラー発電所(仮称)(太陽光):出力12,077kW[26]
上水道
佐賀東部水道企業団 - 神埼市、川副町、東与賀町、吉野ヶ里町、基山町、上峰町、みやき町に供給
佐賀西部広域水道企業団 - 多久市、武雄市、小城市、嬉野市、大町町、江北町、白石町、久保田町に供給
西佐賀水道企業団 - 小城市南東部、久保田町、白石町東部に供給
佐賀市、鳥栖市、唐津市、伊万里市、玄海町、鹿島市、太良町は各市町の水道局等が供給。
都市ガス
佐賀ガス (13A) - 佐賀市に供給
唐津ガス(13A) - 唐津市に供給
鳥栖ガス(13A) - 鳥栖市に供給
伊万里ガス(13A) - 伊万里市に供給
市外局番
0942 - 鳥栖市、基山町、みやき町
0952 - 小城市、神埼市、佐賀市、多久市、吉野ヶ里町、大町町、江北町、白石町(※旧白石町・有明町)、上峰町
0954
武雄MA - 嬉野市(※嬉野町)、武雄市
鹿島MA - 嬉野市(※塩田町)、鹿島市、白石町(※旧有明町)、太良町
0955
唐津MA - 唐津市、玄海町
伊万里MA - 伊万里市、有田町
市外局番が同一でも、MAが異なる場合市外通話となる。
郵便番号

県東端部は国道・高速道路・鉄道が集まる九州の交通の分岐点であり、その利便性のため東部には物流や製造業の拠点が多い。県内道路は福岡県と長崎県を結ぶ北東-南西方向の幹線上にあって佐賀市や唐津市を基点としつつ網状に広がっている。
九州の道路交通の大動脈である国道3号が県東端部の基山町・鳥栖市東側を南北に通っている。そのさらに東側を福岡県との県境に並行して九州自動車道が南北に通っている。
県南部の平野部を北東から南西へ斜めに横断する国道34号は鳥栖市から佐賀市・神埼市・武雄市・嬉野市などを経由し長崎市に至る幹線で概して交通量が多い。これと並行して長崎自動車道が走っている。鳥栖市で国道34号と国道3号が接続、また長崎自動車道と九州自動車道・大分自動車道が鳥栖ジャンクションで接続している。
武雄市から佐世保市へ至る国道35号、福岡市方面から唐津市や伊万里市を経由して佐世保市へ至る国道202号、佐賀市と唐津市を結ぶ国道203号、佐賀市から佐賀平野・筑後平野を南東に進み大牟田市を経由して熊本市へ至る国道208号も主要幹線である。山地を越えて佐賀市と福岡市を結ぶ主要路線として川上峡や三瀬峠・三瀬トンネルを経由する国道263号があり、また国道385号は神埼市を経由して柳川市と福岡市を結ぶ国道で、国道34号などと併せて佐賀市と福岡市を結ぶルートを構成しており、山地を越えるが、2006年に東脊振トンネルが開通し利便性が向上した。
有料道路では、福岡市から国道202号と平行し平戸方面へ迂回して佐世保を経由し武雄ジャンクションへ繋がる西九州自動車道が整備中で、武雄方面と唐津市東部の一部が開通している。国道203号のバイパスとして佐賀唐津道路が計画されており一部が厳木多久道路や厳木バイパスとして使用されている。また地域高規格道路として、大牟田から国道208号と平行して佐賀市を経由し、有明海沿岸を周回して鹿島へ至る有明海沿岸道路が整備・計画中で、県内の一部の区間が開通している。
その他の主な一般国道 : 国道204号、国道207号、国道263号、国道264号、国道323号、国道382号、国道383号、国道385号、国道444号、国道498号、国道500号
都道府県道 : 佐賀県の県道一覧を参照
バス[編集]
県内の主なバスターミナルは佐賀駅バスセンター、唐津大手口バスセンター、鹿島バスセンター、嬉野温泉駅など。
佐賀市交通局 - 佐賀市内
昭和自動車 - 唐津市を中心として主に県北・中部
祐徳自動車 - 鹿島市を中心として主に県南部や有明海沿いの地域
西日本鉄道グループ(西鉄バス) - 主に県東部ならびに福岡県への越境路線
西鉄バス佐賀 - 鳥栖市内ならびに、鳥栖・佐賀市内から福岡県への越境路線
西鉄バス久留米 - 佐賀市から福岡県久留米市・大川市・柳川市への越境路線
西肥自動車 - 伊万里市内・有田町内などの県西部ならびに、長崎県北部への越境路線
JR九州バス - 嬉野・武雄市内、長崎県との越境路線
佐賀市営・昭和・西鉄でnimocaをはじめとする交通系ICカードが利用できる。
鉄道[編集]
佐賀平野と有明海沿岸の鳥栖・佐賀・鹿島の各都市を通るJR長崎本線、武雄や有田を経由し西部を横断する佐世保線は、特急かもめ・みどり・ハウステンボスが運行し、幹線として利用されている。また短い距離であるが東端部を九州の大動脈である鹿児島本線と九州新幹線が南北に走る。そのほか、佐賀と唐津を結ぶ唐津線、福岡市方面から唐津を経由し伊万里へ至る筑肥線、有田から伊万里を経由し松浦方面へ至る松浦鉄道西九州線、基山と朝倉市甘木を結ぶ甘木鉄道甘木線がある。県内の主要な駅は、1日平均乗車人員の多い順に佐賀駅11,400人(2010年)、鳥栖駅6,700人(2010年)、基山駅3,600人(JRのみ,2009年)、唐津駅2,100人(2009年)、神埼駅1,500人(2008年)、武雄温泉駅1,400人(2005年)、けやき台駅1,300人(2009年)、有田駅1,200人(2010年・2社計)、肥前鹿島駅1,200人(2006年)、伊万里駅1,100人(2005年・2社計)、肥前山口駅1,100人(2005年)、吉野ヶ里公園駅1,100人(2005年)、中原駅1,100などである。2011年開業の新鳥栖駅はつばめとさくら全数が停車する乗換駅で、将来的には九州新幹線西九州(長崎)ルートの分岐駅となる予定。
空港[編集]
1998年に開港した佐賀空港は全日本空輸による1日5往復の東京便のほか、LCCの春秋航空が上海浦東便、ティーウェイ航空がソウル便、春秋航空日本が成田便を運航している。旅客数は年間約66万人(2016年度)[27]となっている。夜間貨物便の運行や、福岡・北九州とのマルチエアポート設定などが行われている。便数面や就航航空会社の選択性などの理由、また距離が近い地域では福岡空港(福岡市)や長崎空港(長崎県大村市)も利用される。
船舶[編集]
大型港湾は玄界灘沿岸に集中している。唐津港と伊万里港が重要港湾である。唐津港は貨物取扱量172万トン(2009年)で、セメント・砂利・砂・石油などの原材料系の受け入れ量が高い特徴がある。国際貨物として釜山航路があるが現在休止中。伊万里港は貨物取扱量164万トン(2009年)で、大連・青島航路(中国・民生輪船有限公司)、上海航路(日本・神原汽船株式会社)、華南ラウンド航路(韓国・興亜海運株式会社)など複数の海外航路がありコンテナ貨物の割合が高く、大型船に対応した水深13mの新岸壁・ガントリークレーンを備えた国際コンテナターミナルとして重点的に整備が進められている。地方港湾は、玄界灘側の呼子港(避難港)・仮屋港・星賀港、有明海側の住ノ江港・諸富港・鹿島港・大浦港の計7港である。
また、玄界灘では離島と本土を結ぶ定期旅客航路が運航している。唐津東 - 印通寺港便(九州郵船)は唐津と壱岐と結ぶ。唐津港からは高島便(唐津市漁業協同組合高島支所)、湊港からは神集島便(唐津市漁業協同組合神集島支所・ユージングボート宇野)、呼子港からは小川島便(川口汽船)、加唐島便(加唐島汽船)、松島便 (新栄)、馬渡島便(郵正丸)の計4航路、星賀港からは向島便(向島丸)、浦ノ崎港からは福島港便(金子廻漕店)がある。有明海では定期航路はない。
医療・福祉[編集]
三次救急医療機関(救急救命センター)
佐賀県医療センター好生館
佐賀大学医学部附属病院
唐津赤十字病院(地域救命救急センター)
国立病院機構嬉野医療センター(地域救命救急センター)
救急指定病院
佐賀県救急指定病院一覧
災害拠点病院
佐賀県災害拠点病院
老人福祉施設
参考外部リンク:佐賀県 高齢者関係施設名簿
介護サービス事業者・施設
参考外部リンク:佐賀県 介護サービス事業所一覧
障害者の更生・療護・授産施設
参考外部リンク:佐賀県 自立支援医療機関(育成医療・更生医療)指定一覧表
保育所
佐賀県保育所一覧
教育[編集]
佐賀県の大学進学率は37.4%(2003年(平成15年)高校卒業者)。
大学
国立
佐賀大学
私立
西九州大学
短期大学
私立
佐賀女子短期大学
西九州大学短期大学部
九州龍谷短期大学
専修学校
公立
佐賀県立有田窯業大学校
私立
佐賀工業専門学校
高等専門学校
県内に高等専門学校はない
特別支援学校
佐賀県特別支援学校一覧
高等学校
佐賀県高等学校一覧
中学校
佐賀県中学校一覧
小学校
佐賀県小学校一覧
幼稚園
佐賀県幼稚園一覧
学校教育以外の施設
佐賀県農業大学校(農業改良助長法に基づく農業者研修教育施設)

マスメディア
新聞
地方紙
佐賀新聞
西日本新聞も本県に総局・支局を置いている。
唐津新聞(2008年(平成20年)1月1日廃刊。日刊夕刊紙)
鳥栖新聞(隔週刊、無料配布)
夕刊佐賀(月2回発行)
全国紙
産経新聞以外の4紙(読売、朝日、毎日、日経)や専門紙の日刊工業新聞が県内に総局・支局を置いているほか、読売新聞、毎日新聞は鳥栖市に印刷工場がある(福岡都市圏や九州各県へ輸送する新聞を印刷)。なお、産経新聞は毎日新聞九州センター鳥栖印刷工場で九州・山口県で産経新聞西部本部発行の「九州・山口特別版」を委託印刷する。※九州・山口特別版が創刊される前の2009年(平成21年)9月30日付までは、産経新聞大阪本社発行で午後6時(18時)締切の早版(6版)を大阪から空輸して西日本新聞販売店(西日本新聞エリアセンター)より委託販売していたが。同年10月1日の九州・山口特別版創刊後の現在は、毎日新聞販売店より委託販売している。※佐賀市の一部では、朝日新聞・毎日新聞の販売店より委託販売している(※駅売店・コンビニエンスストアでも同日より販売している)。
県内は日経のみ朝夕刊セットで、日経を除く全国紙5紙と西日本新聞は朝刊のみの統合版で発行されている。なお、西日本・読売・毎日は、佐賀市中心部と鳥栖市・基山町の一部で夕刊を配達する地域が存在する。

テレビ放送局
佐賀県のテレビジョン放送受信は、現時点で県内向けの放送を行っている報道機関は以下の2局のみ。民放に至っては1局しか存在しない。
NHK佐賀放送局
サガテレビ(略称:sts、FNN・FNS系列)
しかし、県境付近では、隣接する福岡・熊本の2県の県域テレビ局の放送エリアのめやすとなっている。直接受信が困難な地帯向けにケーブルテレビ局も各地で整備されており、県内大半の地域では、福岡県の民放を視聴できるようになった。フジ系以外では福岡県の民放が佐賀県分の報道取材等を行っている。
地上デジタル放送の開始も遅れ、全国最後発となる2006年(平成18年)12月1日開始であった。当初は県内で在福民放が見られなくなるのではという不安の声が挙がっていたことから[要出典]、県が音頭を取り事業者を組織し、佐賀デジタルネットワーク社を設立。デジタル放送の県内事業者向け配信を一手に担うとともに、インターネット接続プロバイダ業務も行うこととなった。ただ、県外民放の再配信は福岡県分に限られ、熊本放送については各事業者が個別に許可を得る方式とした。
また、特に有明海沿岸ではところによってUHFアンテナを向ける方向がまちまちで、地デジではこれにより却って地元局視聴の障害となるケースが続出している。そのため、佐賀県地デジ推進協議会では、平田と古賀を起用して、有明海沿岸地域向けにアンテナ設備の点検を呼び掛ける啓発CMを制作し、繰り返し放送している。
県内でサービスを提供している(許可施設を有する)ケーブルテレビ事業者は2004年9月末時点で19社である。主な放送局は佐賀県のケーブルテレビ局を参照のこと。世帯普及率は2011年3月末時点で47.9%。
ラジオ放送局
AM
NHK佐賀放送局(第一放送のみ。第二放送は熊本放送局、福岡放送局のエリア[32])
NBCラジオ佐賀(長崎放送佐賀ラジオ放送局)
放送対象地域外のRKBラジオ[33]KBCラジオ[34]の放送エリアになる。
FM
NHK佐賀FM放送
エフエム佐賀 (FMS)
FMからつ(唐津市コミュニティFM)
えびすFM(佐賀市コミュニティFM)
外国語放送のLOVE FMが佐賀市のみ放送対象地域に、その他県内のほとんどの地域が放送エリアに、放送対象地域外のエフエム福岡、CROSS FM、エフエム熊本、エフエム長崎、が県内の一部の地域で放送エリアとなる。

その他
佐賀県は地域区分局に当たる郵便局が県内に存在しない唯一の都道府県である。県内全域を指す郵便番号84(上2桁)の地域区分局は、福岡県の久留米東郵便局となっている。 震度4以上の記録が残っている地震の回数は、92年間でわずか7回と日本一番地震が少ない県である。

文化・スポーツ
県民性
一般的に佐賀の県民性として、「いひゅうもん(異風者)」あるいは「ふうけもん(風変者)」という言葉が代表的に使われることが多い。両者とも変わり者、頑固、融通が利かないといったニュアンスがある。ただし、現代の佐賀弁では「ふうけもん」は馬鹿者といった否定的な意味が強いので、あまりそぐわない。また、特に男性に関してしばしば葉隠の武士道精神とも結び付けられ、上下関係やしきたりを重んじる、几帳面、まじめとされる場合がある。また「佐賀んもんの通ったあとにはぺんぺん草も生えん(佐賀の人が通った後にはぺんぺん草も生えない)」などと揶揄・自嘲される場合があるが、佐賀藩時代の厳しい財政下で大名家(鍋島家)自らの倹約から受け継がれた主に藩士の倹約家気質がさまざまな形で受け止められ、当時の言い回しが現代まで残ったものである。

方言
佐賀藩に当たる県東部-南部では佐賀弁が話され、同じ藩域だった長崎県諫早地方では似た言い回しが多い。唐津藩に当たる県北西部では唐津弁、対馬藩飛び地に当たる鳥栖市東部・基山町では田代弁が話される。
食文化
次のカテゴリも参照 - 佐賀県の食文化
郷土料理
詳細は「日本の郷土料理一覧#佐賀県」を参照
伝統工芸
経済産業大臣指定伝統的工芸品
伊万里焼・有田焼(陶磁器、1977年)
唐津焼(陶磁器、1988年)
伝統工芸品

スポーツ
プロスポーツチーム・社会人スポーツチーム
サガン鳥栖(鳥栖市・J1リーグ)
久光製薬スプリングス(神戸市=練習所=とのダブルホームタウン。加盟は佐賀県バレー連盟)
トヨタ紡織九州レッド・トルネード(神埼市・日本ハンドボールリーグ)
ダイワアクト(佐賀市・ソフトボール男子西日本リーグ)
佐賀魂(佐賀市・社会人野球)
佐賀LIXIL FC(鹿島市・九州サッカーリーグ)
川副クラブ(佐賀市・九州サッカーリーグ)
過去に存在したスポーツチーム
鳥栖フューチャーズ(鳥栖市・サッカー旧JFL、1997年(平成9年)解散)
スポーツ施設

J1サガン鳥栖のホームグラウンドであるベストアメニティスタジアム(鳥栖スタジアム)
鳥栖スタジアム(通称:ベストアメニティスタジアム)
佐賀県総合運動場陸上競技場(佐賀総合グラウンド)
佐賀県総合体育館
佐賀県立森林公園野球場(みどりの森県営球場)
佐賀市立野球場(佐賀ブルースタジアム)
佐賀市立体育館
グラスコート佐賀テニスクラブ(『ウィンブルドン九州』という名前で知られていたが、本家『ウィンブルドン』と混同するため改称)
市村記念体育館
体育の森公園
公営競技[編集]
佐賀競馬場
唐津競艇場
武雄競輪場

観光

佐賀インターナショナルバルーンフェスタ

唐津くんち

有田陶器市

武雄温泉・楼門

祐徳稲荷神社

塩田津の街並み

九年庵

カササギ
唐津市・東松浦郡は、虹の松原、七つ釜の海食洞、リアス式海岸、クジラのように急峻にせり出す形状の島々など、玄界灘・唐津湾に面した海沿いの自然景勝地として知られ、海水浴やサーフィン、ダイビングといったマリンスポーツなどが盛んである。また鏡山や丘陵地帯・海岸部の棚田などの自然景勝がみられるほか、丘の上に建つ唐津城、名護屋城跡(博物館)などの文化財が観光地となっている。11月上旬には日本三大くんちの一つである唐津くんち(唐津市)、6月上旬には呼子大綱引(唐津市呼子町)が行われるほか、呼子の朝市も有名である。
伊万里湾も同様に、湾口部のいろは島やリアス式海岸が特徴的な景観で、海水浴地でもある。10月下旬には伊万里トンテントン祭りが行われる。また、伊万里市・有田町・武雄市の黒髪山周辺は奇岩のなす地形や豊富な植物、各種伝説などで知られる。また、有田町を中心とした地域には有田焼(伊万里焼)、唐津市・伊万里市・武雄市を中心とした地域に唐津焼の、それぞれ古い窯跡や現存する窯元が数多く分布していて陶磁器にまつわる名所が多い。九州陶磁文化館、有田陶磁美術館、有田ポーセリンパークなどの文化施設もあるほか、ゴールデンウィークには有田陶器市が開かれ多数の客で賑わう。
日本三大美肌の湯である嬉野温泉(嬉野市)温泉は湯豆腐や嬉野茶でも有名で、武雄温泉(武雄市)は楼門と武雄温泉新館が国の重要文化財に指定されており、それぞれ趣の異なった温泉街として賑わう。
一方、県庁所在地佐賀市は平坦な田園地帯の中にあり、城下町時代の名残のある込み入った街路や水路網などの景観が特徴的である。江戸-明治期の建物が残る佐賀市歴史民俗館、佐賀城跡と佐賀城本丸歴史館、佐嘉神社、反射炉跡などの歴史遺産が点在する。10月下旬から11月上旬には佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開かれ、熱気球が舞う光景が広がるほか、8月には佐賀城下栄の国まつりが開催される。
県南部一帯には泥質干潟の有明海が広がり、玄界灘や伊万里湾とは大きく異なった景観となる。ムツゴロウ、シオマネキなどの希少生物や、紅葉のように変化するシチメンソウなどが見られる。また5月頃には鹿島ガタリンピック(鹿島市)が開催される。
県北部の北山ダム(佐賀市三瀬村)は避暑地となっており、どんぐり村などが観光地として整備されている。嘉瀬川を下って行くと古湯温泉や熊の川温泉(ともに佐賀市富士町)、川上峡などのスポットが点在する。
吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里町・神埼市)は、一部で発掘を継続しながら国営吉野ヶ里歴史公園として復元整備されている。
その他
城跡・史跡
肥前国庁跡(佐賀市)
基肄城跡(基山町)
寺社
与賀神社(佐賀市)
祐徳稲荷神社(鹿島市)
多久聖廟(多久市)
主な文化施設・観光施設
佐賀県立宇宙科学館(武雄市)
佐賀県立博物館・美術館(佐賀市)
マリンパル呼子(唐津市)
玄海エネルギーパーク(玄海町)
波戸岬海中展望塔
嬉野温泉 肥前夢街道(嬉野市)
武雄・嬉野 メルヘン村(武雄市)
肥前大和巨石パーク(佐賀市)
天山スキー場(佐賀市、県内唯一のスキー場)
小城温泉(小城市)
伊万里温泉(伊万里市)
佐里温泉(唐津市)
その他
炭鉱跡やボタ山(多久市周辺)
見帰りの滝や鵜殿石仏群(唐津市)

有形文化財建造物
重要伝統的建造物群保存地区
浜庄津町浜金屋町(鹿島市)
浜中町八本木宿(鹿島市)
塩田津(嬉野市)
有田内山(有田町)
文化財
有形文化財
国宝
催馬楽譜(佐賀市-鍋島報效会)
史跡
丸山遺跡(佐賀市)
東名遺跡(佐賀市)
銚子塚古墳(佐賀市)
吉野ヶ里遺跡(神埼市)
菜畑遺跡(唐津市)
中原遺跡(唐津市)
久里双水古墳(唐津市)
名勝
虹ノ松原(唐津市-特別名勝)
九年庵(神埼市)
主な天然記念物
川古、白角折神社、佐賀城址、与賀神社、稲佐神社、海童神社、青幡神社などのクスノキ
佐賀平野のカササギ生息地
伊万里湾のカブトガニ生息地
屋形石の七ツ釜
エヒメアヤメ自生南限地帯
千石山サザンカ自生北限地帯
高串のアコウ北限地帯
嬉野の大チャノキ
加部島暖地性植物群落
黒髪山カネコシダ自生地
八藤丘陵の阿蘇4火砕流堆積物・埋没林

 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社