壱岐という島には昔から多くの酒蔵がありました。
長崎県下で2番目に広い穀倉地を有する壱岐。古代より稲作が盛んで、豊富な穀物と良質な地下水を原料に清酒文化が発達し、多くの農家ではどぶろくがつくられていました。
大陸から蒸留技術が伝わったのは、室町時代から安土桃山時代にかけて(16世紀)。江戸時代(17世紀)には、平戸藩統治下の重税のため、島民は米でなく麦を主食としていました。その余った麦を蒸留した自家製の焼酎と、米麹を融合させたものが、壱岐の麦焼酎の原型です。日本独自の酒づくりの特徴である米麹を使い続けたところに、島民の誇りが表れています。
私が生まれ育った勝本町勝本浦にあった5蔵と芦辺町の1蔵が1984(昭和58)年に壱岐焼酎協業組合を創業し、現在の壱岐の蔵酒造となっています。
そこから壱岐初のブランド焼酎「壱岐っ娘」が生まれました。
デザインは壱岐出身の世界的なSFアートイラストレーター・長岡秀星氏。
この焼酎は今なお、日本国中の焼酎を嗜まれる方に愛されています。
【壱 岐 っ 娘】
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】