天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

勝本浦郷土史72

勝本浦郷土史72

にkの変遷、漁獲の豊凶に伴い、漁具漁法も漸次改良され、殊に漁船の如きはその構造堅牢にして、かつ大型となり、遂に今日のように、ほとんどの漁民が、中型小型のディゼルエンジンを取り付けるようになった。之によって従来より海上不安も少なくなり、従来の出漁日数及び、漁場を延長するようになったのである。

第五節 近年における勝本の漁業
 過去における勝本漁業の一端を記したが、昭和四十年代から漁法もすべて電化され、優れた投資をしなければ人並の漁はできず、借金せずに投資した人は別として、多くが借金によって設備投資して今日に及んでいるが、近年長く不漁が続き、今後の勝本漁業を心配する声をよく耳にする。実際の状態はかなり深刻で追いつめられた漁家もかなりあるようである。
 今年は漁がなくても来年はと、希望をもって漁をして来た人達であるが、近年不漁が続き、そうした暢気な事が通じなくなった事は、青年の漁業離れが多くなった事がそれを実証している。
 これは、勝本の将来のためには、大変憂慮すべき事であるが、こうした現象は勝本だけではない。全国の漁民、遠洋沿岸を問わず、日本全国的なものである。海の資源は無限といわれた時代もあったが、有限時代となり、多くの魚が急置に減少している事の原因として、先づ乱獲が挙げられている。日本の人口も一億二千数百万人となり、五十年間に倍増している。世界の人口も日本以上に増加の傾向にある。
 そうした事から各国でも、海の魚に食糧源を求める率が高くなり、乱獲になった事も考えられる。近年日本の若い人の魚離れの傾向が指摘されているが、日本人は世界中で最も魚を好む国民である。
 日本人の魚の需要高に対する、漁獲高は約七〇パーセントといわれている。
 三〇パーセントは外国の輸入品に頼らざるを得ない、その輸入品が滅法に安く、国産品の半値以下で輸入されている。それだけ日本の諸物価が高いという事になる。海の資源が減少すれば、当然価格は高騰するのが普通であるが、輸入品によって価格が低迷して、生産額全体を押えているといえる。輸入魚と国産魚のバランスをとるため、輸入魚に対して関税がかけられて調整がされているが、関税を多くかけると外国魚を締め出す事につながり、対外的問題となりかねない、むづかしい事である。次に海洋汚染である、海洋汚染には、工場排水、生活用排水、赤潮の発生、油汚染等がある。また、自然破壊には海水の温暖化がある、また、海洋周辺をコンクリートで固め、山や陸の微生物が海に流し難い事も一因であろう、近年勝本港湾内に台風後の流れ藻が少なくなり、海藻が極端に減少した、同時に、海岸周辺の小魚が少なくなった事にも因果関係がありそうである。
 判然と言えないが、乱獲と海洋汚染と、地球温暖化等が重なり、魚の住みにくい海となりつつあると指摘して間違いはない。
 主に魚の減少傾向に就いて記したが、今期の不漁不景気の原因は、不漁ばかりではない。漁価がここ十数年他の物価に比べて、安いことにも原因はある。十数年前の鰤の値もkg当り千円位であった、剣先イカも二半立てでkg千円位、三kg入って三千円位であったが、現在でも鰤の値も剣先イカの値も以前と変っていない。公務員の月給も三〇パーセント上昇している、職人の一日の工賃も二・五倍となっている、十五年前と変らないのは、魚価と鶏卵位である。消費者はよいが生産者は浮ぶ瀬もない、筆者も筆者なりに平成七年度における、漁家経済の実態をさぐって見る。平成七年度における漁業組合の総水揚高は、四十三億五千万円である、そのうち県外出漁船(特殊船)の水揚高は、四〇隻で約一七億円である。
 勝本の漁船数は、建網磯船遊魚船等含めて、六百余隻であるが、生活を支えている経営体数は約四四〇隻である。その中から県外出漁船四〇隻を差し引くと地元における経営体数はやく四〇〇隻となり、その水揚総高は二十六億二千七百万円である。一隻平均六二七万円となるが、大体において水揚全額の六〇パーセントが、船の建造資金の借入金の返済、油代、氷代、箱代、其の他に差引かれ、手取金は四〇パーセント位の二五〇万円位となり、一ヶ月平均約二十一万円となる。
 これは平均数値であり、借金無しに船を造った人、已に建造資金を返済した人は、四、五百万円位の実収入をあげている人もある。兎に角その人により大きく差異があるようである。
 三、四十歳の働き盛りで、年収二〇〇万位の収益で、生計している人もかなりあるが、現在では主婦が社会的に進出して、生計を支えている家が多くなっているが、女性の収入は一ヶ月十万円前後である。
 そうした中から子供の教育費、健康保険税、交際費、医療費、電気水道、瓦斯、汲取料等々、諸掛を差引いて、生活する事は容易でない。筆者の八十余年間の勝本の漁業者の生活の実態を思う時、決して漁業という職業は、楽な職業であるとは思わないが、他業者から見て羨しい時もあった。昭和五年勝本漁民に鰤餌付漁業が認可されてより、十年間はかつてない鰤の大漁に、浦中が湧き返る程の好景気に恵まれた。また中学校を卒業して県外出漁して、僅か十五、六歳で年間幾百万円の収入のある時代もあった。

 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社