天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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勝本浦郷土史67

勝本浦郷土史67

について、政治的に活動している、又軍恩妻の会も結成され、親睦をはかり、会の運営に、側面的に効果上げているが、終戦後四〇数年経た今日、会員も大きく減少している。

勝本町母子会
 昭和三四年五月二四日、母子寡婦家庭の、相互の親睦を深め、連帯意識の強化と複利増進を目指して、勝本町母子会が組織され、活動資金は物品販売によって得た益金を充てる等して、自らの力と勇気で生き抜くための精一杯の努力がなされて来た。またその家庭の、経済的自立と、児童の福祉を増進するため、新たに事業を始めたり、子供の就学結婚、住宅の増改等に要する資金の貸付制度もあり、活用されている。母子会の主たる事業は次の通りである。郡母の会レクリエーション大会参加、総会研修会、研修旅行、調理、着付等の知識、技能習得のための自立促進講習会。福祉衣料展示即売会を行っている。

身体障害者福祉協議会
 勝本町身体障害者福祉協議会は、昭和四〇年五月に結成された。身心に障害を持つ人達が、その障害を乗り越えて社会に復帰し、その幸せと向上を願って、又健康な人が障害を持った人を理解するために、国際連合が定めた、昭和五六年の国際障害者年が、全国的に繰り広げられた。記念事業は障害者問題に大きなはずみをもたらす契機となり、障害を持つ人達の社会への完全参加と平等を目標にして、爾来十年にわたる長期行動計画も前進した。こうした国民的運動の展開と、昭和四〇年結成以来の、身障者福祉協議会の努力と実績によって、障害者に対する町民の又国民の理解と認識は、大きく前進していった。福祉手当、心身に重度の障害があるために、日常の介護を必要とする在宅障害者に対し、その重度の障害があるために、日常の介護を必要とする在宅障害者に対して、その重度の障害故に生ずる特別負担の一助として、一定の定められた所得のない人に対しては、手当金が支給される。その他バス汽船汽車等を利用する場合、障害者手帳を持っている人には割引がされる。
 又勝本町は身体障害者に対しては、年間十二枚(一枚四五〇円)の湯の本温泉優待券を発行して優遇している。
 福祉協議会の事業としては、総会レクリエーション大会(五七年度より)、町身障者スポーツ大会(五八年度より)、県身障者スポーツ大会の参加、各町内地区別研修、部幹部研究会、福祉相談、郡身障者福祉大会等がある。
 次表は平成七年三月における、勝本町身体障害者手帳所持者等級等を記しているが、各障害合わせて一級は八二名、二級は一一七名、三級は六九名、四級は八二名、五級は五四名、六級四五名、合計障害者数は四四九名で、茲数年大きな変化はない。

勝本町防犯協会
 終戦後復員軍人、海外引揚者により、人口も膨張し衣食住にも困る者が多く、人心も敗戦の為極度に荒れ果て、従って青年の風紀も乱れ、特に浦部に於いては、青少年の軽犯罪事件が多発した。為に勝本町では昭和二九年三月十九日、斉藤町長を会長として、教育長を副会長として、防犯協会を結成した。
 委員には町議会議長、学校長、消防団長、青年団長、婦人会長、教育委員長、体育協会長、民生協議会長、保護司、公民館長等二七名よりなり、警察派出所々長を顧問として、各公民館活動、漁協青年部活動等と十分な連絡をとり、青少年の防犯につとめた結果、青少年の暴力的非行も鎮静化した。
 その後は商業高校開校によって、ほとんどの少年が高校に進学し、青少年の教養が高くなり、近年では青少年の非行も著しく減少した事によって、暴力による軽犯罪者も著しく減少して現在では、防犯の広報活動、交通防犯、青少年の武道大会等の事業を行い、今日まで防犯協会は存続されている。

引揚者会
 長年蓄積した資産を、終戦により海外に残して、悲惨な思いで引き揚げた者は、住む家も無い者が多く流転した。ほとんどの者が、闇商売して警察の目を盗んで、福岡方面に魚等の食糧を運んで、漸く生計を立てた。生計を立てるといっても、ただ食べるだけ一生懸命であった。その頃在外資産の保障を求めて、引揚者会が誕生した。
 そして幾百万の引揚者が、一体となって国に保障を求めながら、引揚者の団結をはかり、お互いに励まし合いながら、親睦を共にしてきた。一時は政治的に利用される程の、大きな団体であった。海外に雄飛した精神は、引揚後も郷里にあって、又島外に生活の場を求めて、凡ゆる苦難に耐えて、引揚者根性を発揮して、努力した甲斐あって、多くの引揚者が自立して家を起こしている事は、素晴らしい事である。勝




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社