勝本浦郷土史60
ある。
田間青年会 創立年月日は不明、会員は満十五歳より満三五歳までとし、但し二男は十七歳、三男は十九歳より入会、当時の会員数二九名、入退営軍人の歓送迎、年に一回の七社神社参拝、町内の溝の清掃を年二回行い、又毎月一回の質門協議会を開催して、智徳の啓発に精進する。
川尻青年会 以前は若者中と称して、創立年月日は不詳。満十五歳より満三五歳までを会員として、町内事務の率先履行、社会公共事業に努力、当時の会員数二九名。
正村青年会 正村青年会は、明治十七年頃の創立とされている。会員は満十五歳より満三五歳までとし、会員の和衷協同、相互扶助を図り、延いては当浦水難、火災の救助等、社会公共事業にも努力している。
仲折青年会及び馬場崎青年会 両青年会共に創立は調査したが不明で記録も残されていないが、仲折馬場崎共に勝本浦では、開発が遅れた部落であるので、明治初年頃は戸数も少なく、従って青年会の創立も他部落に比しておくれて創立されたであろうが、筆者の知る頃の大正初年頃は、人家も仲折町は三〇数戸、馬場崎も一四、五戸あったので、青年会の運営等も他部落と何等変わることなく運営されていた。
西部青年会 西部青年会は、明治四四年創立された。西部の各部落青年会の連合会とすべきであると思うが、西部青年会と名付けたのは、西部の各部落の青年会を一つにして、各部落の青年会は、支部とする計画であったのではと思われる。各部落の青年会は、伝統的な部落の行事を行っていたが、愛郷の熱情燃ゆるが如き、三代原田元右衛門は、従来の各町の青年会の行事には満足せず、西部青年会を組織して、自ら会長となり、青年の弊風の矯正につとめた。この時代のように、青年会の威令のゆき届いて行われた事は、かつてなかったという。歴代会長を挙ぐれば、初代原田元右衛門、次に大久保善助、小畑国太郎、篠崎清吉等の名があるが鮮明ではない。昭和五年九月二二日、郷ノ浦清月館で行われた壱岐鰤飼付組合の役員会に、西部青年会員を総動員して、漁民の窮状を訴え、飼付の全廃を叫んで、直接行動を行った時の西部青年会長は、篠崎清吉氏であった。その後第二次世界大戦に突入し、特に戦争の末期には、青年は殆ど出征し、青年会活動は十分できなかった。終戦により復員した青年は、西部八町青年会幹部の肝入りで、昭和二二年西村福太郎を会長として、新しく規約を作り、西部青年会は新発足した。新発足した西部青年会は、新制中学校の運動場の奉仕作業、西部八町の青年会対抗角力大会や、ソフトボール大会等を行っていた。
新発足後の青年会長は、西村福太郎、西吉高、大久保福次郎、香椎仁一郎、松尾利行の諸氏が引き継いで会長となっている。
松尾会長の昭和二八年六月、漁協青年部が発足するに及んで、会員の年代が合致する事から、西部青年会は発展的に解散したが、部落青年会は青年部の発足や、西部青年会の解散には関係もあったが、部落青年会の行事は、公民館や青年部の行事と合致してその存在は薄れている。
校友会
明治二六年、小学校令の改正によって、壱岐に四ヵ所の高等小学校がおかれた。香椎高等小学校は、字山田の現勝本中学校体育館の場所にあったが、明治四三年各小学校に高等科を併置する事になり、香椎高等小学校は、明治四三年廃止されたが、香椎高等小学校の時、すでに校友会が組織されていたが、香椎高等小学校廃止と同時に、校友会も廃止されたのを引き継いで、各小学校単位に校友会が結成されたのである。遅れて大正四年四月一日、勝本小学校に高等科が併置されるや、四月十七日には勝本校友会も結成されたのである。
当時発行された校友会報には、校友会発会式の事、勝本いちの準備から閉会までの様子が、生々しく記録され、夏季大会の折の敬老会ペーロン水泳競技、その他校友会の会則、役員名、会員名等詳細に記されているが、勝本いちは、いちの項に、敬老会もペーロンも、それぞれ行事の項に記しているので、事業内容については省略するが、校友会会則は十八条よりなり、第二条の目的については、本会は会員相互の親睦一致を図り、交誼を永久に失墜せざるを期すと共に、併せて産業の発展をはかるにありと記されている。校友会が産業の分野まで活動した事については、異様な感もするが、当時は受け容れられたのである。時代はこうして進展して来たのである。
当時の校友会役員の構成は、会長に武富亀太郎校長、副会長に原田謙造氏、顧間には殿川忠蔵、長島俊兄、原田元右衛門三氏の名があり、会計には中上菊太郎、松本徳衛両氏の名があり、庶務特務幹事長には、小学校教師十人全員の氏名がある。
各部落には下記の部落幹事長を設け、その下に幹事四、五名有力な人材が配してある。第一部より第五部の幹事長は次の通りである。品川要太郎、土肥恵三、福田梅二郎、小畑国太郎、永田源三郎、会員は三四五人である。こうして会員浦民の親睦をはかり、産業発展に寄与せんと当時としては、現在の勝本活性
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】