天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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勝本浦郷土史42

勝本浦郷土史42

 

凧あげ
最近では、子供の凧あげ(凧とばし)姿もあまり見かけなくなった。みかけるとしてもナイロン製の洋凧とかいうもので、以前都会あたりの子供が正月にあげた奴(やつこ)凧(だこ)と同じで、ただあげるだけである。
昔から勝本では漁家に男の子が生まれるとヨウキュウ(鬼凧)を必ず作り祝ったとのことで、大正時代まで続いたと伝え聞く。種類としては鬼凧、金時凧、とんび凧、みな凧などであるが、それぞれ強くたくましく育って欲しいとの親の願いが込められているようである。
昔から三月節句に凧をとばすのが習慣だった。当時の親は、凧とばしを奨励したようである。凧あげで糸をたぐるのが上手になれば、魚釣りも早く上手になると考えるからで、つまり釣糸たぐりの練習になるからであった。それに昔から伝わるとんび凧は、魚釣の練習用として格好のもので、動きが軽快で思うままに横転、宙がえり、急降下ができる。途中に「カマ」などをつけて、空中でケンカもさせた。そのために、延ばしたり、引っ張ったり、知らず知らずのうちにヨマたぐりが上手になるという大きな利点があった。
凧あげ用の糸は魚釣りのあがりのものでよいし、カサ張り紙だけ買えばよかった。安あがりのする練習法で、それこそ趣味と実益を兼ねたもので現在いわれる生活の知恵であった。

タイ一本釣り
勝本で一本釣りといえば、タイやチコ、バンジュウ、(レンコ)などの赤ものや、タカバなどの底もの釣りのことである。
和船時代は数人が乗り組み櫓でねらえながら釣っていたといわれるが、潮帆の普及でもっぱら潮帆流しとなった。従事する船は、エサの都合などから当時「モーター」と呼んでいた着火機関を据えた小型船が主で、一人か二人乗りであった。
エサは昔から、エビ、タコ、ゴカイ類、アマメ、イカなどをそれぞれの時期にあわせて使ってきた。しかしエサは何といってもエビにこしたことはないが、これらの調達は簡単にはできない。エビ網を用意して仲江などの砂浜で夜中に曳くのであるが、焼玉船では低速運転がむつかしいので(小型焼玉や若松モーターでエビ曳ぎをする場合は、ワザとプロペラに藻をどっさり巻いていた)モーター船の専業であった。それに小魚釣りはエビがいるから、だいたい二人の一日分を用意するには調子のよい網でも二回は曳かねばならず深夜までかかった。
また、たいまつをかついでタコ取りに行く(春)、干潮にムシ掘りに行く(ゴカイ、イッサキムシ)、寒い日にバケツを下げて磯ばたに行き手の爪をすり減らし小石を取り除いてアマメを捕える、といった手間のかかる作業が必要であったし、あらかじめ用意しておかねばならなかった。
ところが昭和一〇年頃、エサを持たずに漁に出て魚を釣って来る人が現れたのである。次頁の「エラカシ」である。このことを知った人達(主に東部地区)には、大きな驚きであった。そしてこのことは次々と浦中に拡がっていったのである。そして戦後いちはやくタイ釣組合が結成され(任意組合の項参照)、漁場や漁具の研究、エビの入手やタイの販売など熱心に行われてきたのであった。

ネズミ藻
大正時代から昭和初期にかけて、勝本浦のタイ一本釣りの餌の中に、二月―三月の期間に主に用いたアマメの他に、ネズミの尻尾のような形をしたネズミ藻というのがあった。このネズミ藻はどこの磯でも容易に採取することができた。使用する場合は、約一〇㌢―一三㌢ぐらいに切り、その端をオモリのネソに密着させてくくりつける。この場合通常三本から四本を用いる。特に餌付のタイは中層によく食い、海底より水深約五〇㍍まで早目にたぐることでかなりの漁獲があった。
昭和初期までは皆櫓押し船で、二月三月といえば西風が多く勝本沖合での操業はきわめて困難であった。そのためタイ一本釣船が、対馬の厳原を基地にする厳原沖合のタイ釣操業に出漁した。この時代の出漁用携行餌としてアマメとともに欠くことのできないのがネズミ藻であった。右図のタイ釣魚具には、ネズミ藻以外にエビ、イサキ虫、アマメ、イカなどを用いた。

エラカシ(タコ)
タイ一本釣り用のゴムエバとして登場したのが、タコエバである。昭和一〇年頃であった。おそらくこれ以前に人に知られないように使っていた人はいたであろう。当時一本釣りの専業者が多かった東部地区で先ず使用され、浦中に使用されだしたのは昭和一五、六年以降のことであった。
はじめこの道具のことを「エラカシ」と呼んだ。エサなしで、またはごくわずかのエサでタイなどが釣れ、大好評を得たのであった。
ブリ釣り専業船でもブリ釣りの合間にタコエバをおびくと、いろいろの魚が釣れて油代ぐらいにはなった。ガシラ、レンコ、タイなどの他にヒラメ、ヤズなどもよく釣れた。ブリが食いつくと大変であった。人造テグスの六厘ぐらいでは釣り上げるのに時間がかかるのである。
切るのは惜しいし、かといって釣り上げるには小ブリ(一貫ぐらい)で約三〇分から一時間、大ブリになると一時間以上、どうかすると二時間近くかかるのである。
また春先のブリ釣りや夏イカの流しなどにはタナ棒エビ(当時タナの下にいくらでもいた)をすくい桶に泳がせて持って行き、潮時の合い間や夕方にタコエバの先にかけておびくと何枚かのタイが釣れ思いがけない収入を得ることができた。
この頃のブリ釣り船は、このような魚を「生け間(マ)」に生かすこともなく夏場でもデッキ上に放置したままであった。それでも結構よい値で売れていたのだから、現在考えると不思議な気がする。

タコの作り方
二〇匁位の重さの鉛を細長く延ばして、下のネソは横から出し釣針を長短二本のシビリでつける。そしてネソと釣針のシビリに細長く切ったゴムを数本ずつつける、簡単なものである。
ゴムは、病気の時に使用する氷嚢(のう)を使う。「はさみ」より「かみそり」で切る方がきれいに切れる。これは戦時中でも入手できたようである。ただし製造会社が同じでないためか、色違い(赤や桃、カキ色等)や厚みに違いがあり、あちこちから買ってきて混ぜて使った。後年、ドンブリも改良されて「打込み形」のものが使用され、「かぐら」と呼ばれるようになった。
次に昭和三一年五月、青年部研究班主催の体験発表による道具の作り方、ゴム擬似餌の作り方を紹介する。
一、おもりは、一六匁―二〇匁ぐらいで長さは鯨尺約一寸五分。
二、ゴムの長さは、鯨尺二寸五分から三寸。ゴムの数は一二本―一三本で、ネソの長さは、おもりから釣まで二寸ぐらい(釣針は寸七分)。
三、ゴムは二段にスマートに結び、上に七―八本ぐらい下に四本で、ゴムの長さは一定しない。
四、ムシは頭の方をかける(四、五匹)。エビがあればエビの方がよい。
五、タグリ方は段をつけずスムーズにたぐり、タイがあたってもあわせない。

かぐら釣りの要領
かぐら釣りの要領はほぼ左記のとおりである。
一、ヨマの作り方。
京都マガエ三匁―二、二匁を六寸間隔でもりづめ(ビシ)六五匁の重さをつける。元ヨマはビシマの重さに応じて作る。サガリの合成は銀リンの一分を四尋、その下に小さい合成を四尋つける(タイ釣りの場合は七厘、チコ釣りの場合は六厘)。カグラの上二・五尺―三尺のところに枝をつけ、長さは八寸ぐらいにする。
二、カグラ用の鉛はなるべく固いものを使用すること。なぜならば、釣針が動かないようにするために鉛の選定も必要だからである。下釣のフクミ(シビリ)を作り、型に入れる。同時に打込釣もネソをつけて打込む。釣針は打込釣二寸一分―二寸二分、下釣は寸五―寸六。
三、釣り方(たぐり方)の要領。その日の食いつき具合により速さを変える。天候のよい時はゆっくりたぐる。このような日にはタイの気嫌が悪いから、追いかけてまでは食わない。なおしゃくってはならない。あくまでおびくことを忘れないこと。

体験発表
タイ一本釣り(保戸島、きく丸、重吉丸の各船長)
イ、タイを人より多く釣ろうと思えば、少しでも小さなヨマを使うこと。
ロ、タイ釣りで一番大事なことは、底踊りのよいヨマを作ることである。ビシヨマはビシが大きく数が少ない方が底踊りがよい。
ハ、元ヨマは麻に限る。質の良いもので小さいほどよい。合成でもタイ釣りは一分柄より大きいヨマは要らぬ。
ニ、マガエは一匁五分―一匁六分。
ホ、玉(どんぶり)に良否はない。玉は底がわかれば、鉛は小さいほど成績がよい。現在使用中のものは一〇匁玉。
へ、餌エビは、二匹を抱き合せ一匹を尾にかけてぶらさげる(三匹掛け)。二匹掛けは、二匹抱き合せる方法と一匹は釣に掛け一匹は尾に掛けるのと二通りある。エビは必ず合成でくくりつける。そうするとイカで餌をとられることが少ない。
ト、おびきにも上手下手はなく、二(ふた)そびきぐらいは早く、後は各人の考えにより七クリ―一〇クリぐらいまでおびく。ヨマをゆさぶってからおびいている人があるが、これはあまりよくない。できるだけ行きヨマは途中でとめないこと。タイがあたってもゴクッとくるまでそろそろたぐり、ゴクッときたら自分からかかる。この時のばす。
チ、大きいタイほど底であたる。最初からぐっぐっとするのは小さいタイ。
リ、玉は五〇年前、家室より保戸島につたえられたもの。
ヌ、エビの小さい時はゴムエバを使っているが、六―七割ぐらいしか釣れぬ。
ル、シラスの生き餌(一寸五分ぐらい)は二匹掛けで、ムギワラダイや秋口の大きいタイはエビより成績がいい。ウルメならば死に餌でもよい。(昭和三二年五月)

タイの生け方
(昭和三三年一二月、一本釣組合『すなどり)
今年度のタイは現在のところ、生け魚で渡した約三分の一程度が死んでおり、価格に大きく影響するので、タイの生け方について熱心なる研究をお願いする。
素人は釣りあげてから、つりもはずさずすぐにわきびれの下に親指と人差指を置き、クソヘリの方にさするように押して空気を出す。小タイの場合は注射はいらない。注射をする場合、たいていのタイは曲った方に浮袋があるので、腹部に添わして針をさす。もしその側に浮袋がない場合は、反対側にある(注射をさすところは、クソヘリの下方にある小さい膜のところ)。針は約六分ぐらいさす。腸が出た場合は、空気をぬいてからもみこんでやる。ひれの両脇を押すと非常によい。
タイは空気をぬくと横になるので、横泳ぎをさせないように桐の木の浮子を使用して正常の泳ぎにすること。浮子を着ける位置は、背びれの二番のけんの所が適当である。重りをつける場合は、下腹部のひれにつける。タイが正常な泳ぎになると、たいてい重りははずれる。生け間の角に突き当りして泳ぐのを防ぐ。タイが暴れて注射がしにくいという人があるが、掌に平均をとってのせると暴れない。
タボは細目の網を使用して鱗がはずれないように注意し、一匹ずつすくって渡す。活魚の売買には細心の注意を払い、今後の魚価向上に邁進されん事をお願いする。

昼イサキ釣
昼間トモ帆をかけて潮にねらえ、同じ場所をくり返し上りながらイサキを釣る漁法がはやった(イサキを勝本ではイッサキと呼ぶ)。エサをかけずに、擬似餌としてサバ皮を用いるものであった。
大分県保戸島船は、技の間は矢引(〇・八尋)で三、四寸の技を数十本つけていた。つけ方はイワシ釣りのように結んでいるが、これでは枝の取替えができない。サバの皮は幅一〇㍉、長さ三寸五分ぐらいである。勝本では幹糸六―七厘、技は五厘で六本―八本つけている(つけ方はホロサバ釣りの要領で、はさみ込むようにすると取り替えができる)。それ以上技をつけると、手さばきが悪くなる。釣針は八分―九分を使う(七分はのすことがある)。重りは五〇匁―七〇匁をつけるが、底があらいところでは一番下の技から重りまでを長くし、浜では短くする。重りは二人で一日一〇個ぐらい捨てることがあるから、束で用意しておく。
瀬の上のイサキは一〇尋ぐらいの上にいるが、浜中では底にはわせる。昼のイサキは密集しているようで、船三艘も離れたら食わない。
潮の早いとき釣れたら、潮休みにはほとんど釣れない。しかしにごったときは休みに釣れる。イサキも潮が早いときには、瀬の潮上手にのぼるようである。

釣ホロの皮
サバ皮、ハギ皮、ペンケイ皮、フグ皮、マビキ皮などいろいろ試してみたが、一番成績のよかったのはサバ皮であった。
ベタカレイの皮がいいといわれているが、当地にはいない。どの魚の皮でも、生きたのをすぐ加工しないとだめである。サバは生きたのをアゴを折って皮をむき、清水で洗ってビンか板ガラスに張りつける。
一〇回ぐらいかわいてはぬらして張り替える。年数の古いものほど固くなってよい。死んだ魚の皮と生きた魚の皮では、イサキは食いわける。よい皮は海に入れると青色になるが、死んだものは色が変わらない。
本漁法はかなり有望と思われるので皆さん実施されんことを願う。
昭和三三年七月 研究班

イサキ
硬骨魚綱スズキ~イサキ科の海水魚である。本州中部以南、南支那海、東南アジアに分布する。全長は三五㌢に達する。体は一様に灰黒色であるが、幼魚や春季には体側に三条の淡褐色の縦帯がある。昼間は藻場に群れて夜に接近して遊泳するが、成魚は大きな群をつくらない。五―七月に卵径〇・八㍉の分離浮性卵を産む。小甲殼類、ゴカイ類などを食べる。

晩の小アジ釣り
従来ガスランプ時代から、三本枝のハイカラに切り身などをかけて釣っていた。ところが発電機になり光も強くなったことでもあるから、ためしにエサをつけずに釣針だけで釣ってみた。すると空釣でも釣れたのである。
道具は、幹糸五厘で技間は二尺、枝一尺で枝数は六本とする。重りは五〇匁を使用する。釣り方は従来と変りはないが、枝が多いので一匹食うたら、そろそろ延ばす。たくさん食うと重りを浮かして軽くする。このときそろそろあげる。また最初釣針だけではじめたが、糸、サバ皮、ハギ皮などを釣針の長さに切ってつけて実験してみたところ、糸が一番よいようであった。
潮時の悪いときにはエサを一本飛びにかけてやるとよく、小さな釣針では離れることが多いのでイワシ釣りの丸型を使用している。
(昭和三二年七月『すなどり』から)

アジ
アジ類は、全世界の温帯ないし熱帯域に広く分布し、わが国ではイワシ類やサバ類とともに古くから親しまれてきた代表的な大衆食用魚である。
そのうち、マアジは最も北方にまで分布するアジ類で、北海道以南の日本各地沿岸沖合い及び大洋中の島の周りに分布している。
北日本での冬季二、三ヶ月間を除き、ほとんど一年中全国どこかの沿岸や沖合いで産卵しているらしく、孵化後数ケ月経った幼稚魚が一年中どこかで見かけられる。
稚魚期には流れ藻の下について沿岸域を漂流することが多く、ときには港の中にまで群をなして入ってくることがあり、釣りの対象となる。この時期のものは背面から見ると、赤みがかって見える。また稚魚期にはクラゲについて漂流することも知られているが、それが生物学的にどういう意味をもっているものかはまだ明らかでない。
若魚期には沖合いないし外洋の表層、中層を微小プランクトンを求めながら回遊する。しかしサバ類よりも動きが鈍く、また回游の範囲も狭い。より沿岸性で、小さい地方群を形成しやすく、大きくなると底魚的性質をおびる。これらの性質からも、アジ類は各大陸の沿岸域や大洋のうちの島の周辺に分布が限られてくることになる。マアジは全長五〇㌢程にも達するが近年はそういう大型のものは少なくなった。
栄養価値が低いので資源量の変動の幅は大きいが、世界的規模でみた場合、世界の海洋にはまだ開発利用されるべき種類と漁場が多い。アジの種類には、マアジ、ムロアジ、オアカムロ、アカアジ、クサヤモロ、マルアジ、カイワリ、シマアジなどがある。

 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社