天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
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勝本浦郷土史57

勝本浦郷土史57

公立壱岐デイサービスセンター
 従来我が国に於ける老人福祉については、施設(養護老人ホーム、特別養護老人ホーム)に収容して世話する施設福祉の方法がとられてきたが、近年の老齢人口の急速な増加に対応する方策として、両福祉施設と並行して、在宅福祉が国の重要施設として取りあげられるようになった。
 政府は昭和五一年より、在宅老人福祉対策事業を推進する事として、取り組んできたが、昭和六〇年代に及んで、老齢人口の予想以上の激増に対してより、強力に在宅老人福祉事業を実施することとなった。
在宅老人福祉事業には
一、老人福祉法に基づく、老人家庭奉仕員派遣事業。
二、老人日常生活用具給付事業。
三、在宅老人短期保護(ショートステイ)事業
四、在宅老人、デイサービス事業が揚げられている。
 壱岐広域圏町村組合では、国、県の勧めにより、既存の公立壱岐特別養護老人ホームに併設して、デイサービスセンターを建設することとなった。
 平成元年五月、デイサービスセンター設置を町村組合議会で議決。(規約改正)
 平成元年六月、郡内四町議会で規約改正を批准。
 平成元年八月、長崎県知事の許可証交付。平成元年九月建設に着工。
 平成二年二月完成、鉄筋コンクリート平屋建、三七六・五五平方米。
 建設設備事業費、八二、五九九千円。平成二年三月一日開所。
デイサービスセンター業務内容
 一、生活指導 二、日常動作訓練 三、養護 四、家庭介護者教室、五、健康チェック、六、送迎(バス二台、一台は車椅子乗用者)、七、入浴サービス、八、給食サービス、
 利用対象者は、おおむね六五歳以上の、虚弱老人、又はねたきり老人。
 利用料一日五〇〇円、一日利用定員一五名、利用日週五日
 平成二年三月利用実績、一日平均利用者数一四名。

壱岐常備消防署
 各町村には必然的に、自治消防団が組織せられて、火災はもとより、水防暴風等、天災地変にも出動して、町村の生命財産を守り、又町外の火災の場合も、お互いに応援に馳せていた。こうした統制ある唯一の団体として、町民の信頼に応えてその職責を全うしてきたが、国勢の急速な発展による、文化国家として、社会生活の著しい変遷は、建築構造の変化、油、瓦斯、電気等の多用化等、国民生活様式の変化、救急、救助等の社会的変遷に伴い、従来の消防団の活動のみでは、対応し切れなくなった。
 終戦後における、自治体消防再編成後の昭和二四年には、全国の市町村で僅かに二一八市町村が常備化していたが、今日では消防常備化に関する法令により、その設置率は市で一〇〇%、町村でも九〇%に達せんとしている。このように消防の常備化は進んでも、地域の消防団の活躍なくして、消防行政の十分なる遂行は達成されないのである。
 昭和四六年、壱岐郡町村組合も、各町村議会の承認を得て、常備消防を設置する事を決定、昭和四七年四月、壱岐の中心地である、芦辺町中野郷西触四一一番地の一に、壱岐郡町村組合消防署竣工、梯子車、化学車、ポンプ車、救急車等を配置して、二〇数名を以て発足した。
 昭和四九年四月、郷の浦支署設置、同五四年三月、郡消防本部及び郷の浦支署を、志原西触六七七番地に新築移転した。
 昭和五九年四月、壱岐空港の管理について、安全を期するため、壱岐空港出張所を開設して、職員と消防車を常駐させている。
 勝本町には昭和五七年四月に、出張所を設置、西戸触八四四番の二に勝本出張所を設置、ボンプ車救急車をおいて、常時定員八名を二交替にして、四人宛非常時に備えている。勝本出張所における救急車の利用は、平成元年度出動数は一五一件の多くに達し、常に年度の利用は、この位の数と思われる。出火件数の出動件数は、平成元年度は五件である。壱岐で現在署員は全部で五七名である。

壱岐郡葬祭場(火葬場)
 壱岐における埋葬は、昔は甕棺葬が多く行われていた、勝本浦においては地勢的条件もあったのであろう、浦部の住家はほとんど丘陵に囲まれ為に、墓地はその丘陵に多くある。墓所まで甕棺にして担ぎ上げる事は容易ではない、その為か、私の知る限り大正の始め頃も、箱棺であったが、在部では苦労して担ぎ




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社