天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐
どうぞ、食を文化をご堪能ください
長崎県(壱岐市)・住吉神社(壱岐)
国道沿いだから参拝しようという気になる壱岐・住吉神社。
よく『国道あるの!?』と鸚鵡返しに聞かれてたな(笑)
壱岐を出て福岡の道を走り、『なるほど』と思ったな。
梅?が咲き始めてる?
2月ももう少し。
卒業シーズン。
また壱岐から旅立つ若者が多いんだろうね。
一度は大きな世界を見て来てほしいな。
感謝
二拝二拍一拝
基本情報
所在地:〒811-5742 長崎県壱岐市芦辺町住吉東触470
電話:0920-45-3002
【Official site】
住吉神社 (壱岐市)
住吉神社(すみよしじんじゃ)は、長崎県壱岐市芦辺町住吉東触にある神社。式内社(名神大社)、旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
祭神
底筒男命・中筒男命・表筒男命を主祭神とし、「住吉大神」と総称する。八千戈神を相殿に祀る。
歴史
社伝によれば、住吉大神の守護によって三韓征伐を為し遂げた神功皇后が、その帰途現在の壱岐市郷ノ浦町大浦触に上陸して三神を祀ったのに始まるという(これを以て「日本初の住吉神社」を称している)。その後、神託により現在地に遷座した。『延喜式神名帳』では名神大社に列した。その他にも長崎県下筆頭神社を名乗っている。
明治4年(1871年)5月に国幣中社に列格した。
例祭
例大祭 - 11月9日
文化財
長崎県指定文化財
有形文化財
絹本着色高野四社明神像(絵画) - 室町時代中期以降の作。明治27年(1894年)大阪在住の芦辺町出身者から寄進。昭和50年(1975年)3月4日指定。
壱岐市指定文化財
有形文化財
住吉神社の神鏡 17面(工芸品) - 明治4年(1871年)に住吉神社境内の神池から発見された鏡。内訳は大陸系鏡12面、和鏡系5面。昭和51年(1976年)1月1日指定。
御幸船(工芸品) - 住吉神社例祭の舟祭神事で使用される船。昭和8年(1933年)の新造。
天然記念物
住吉神社のクスノキ 2本 - 昭和51年(1976年)1月1日指定。
壱岐は弥生時代~平安時代にかけて、対馬と共に朝鮮や中国に渡るときの交通の要所でした。
遣新羅使、遣隋使、遣唐使などの派遣の時にはここ壱岐の島に休憩するために立ち寄っていました。
住吉神社では、神功皇后が三韓出兵をしたときに、海上の案内をしたという住吉3神を祀っています。
古事記によりますと、住吉大神は、伊耶那岐命(イザナギノミコト)が、亡くなった妻に会うために黄泉の国(よみのくに)に行きますが、妻のひどいありさまを見て、長年の思いもなくなり、妻のもとから、命からがら、逃げるシーンがあります。
やっと、逃げることができた、夫は、筑紫の日向の小さな川のほとりで、体を洗って身を清めました。
このときに生まれたのが、住吉大神です。
伊耶那岐命は、この川で3回顔を洗いました。
先ず、川の底の水底で汚れを洗ったときに生まれたのが底筒男神(ソコツツオノカミ)、少し浮かんで水中で顔を洗ったときに生まれたのが中筒男神(ナカツツオノカミ)、そして水面まで浮かんで来て洗ったとき生まれたのが上筒男神(ウワズツオノカミ)です。
また、神宮皇后が、三韓征伐から帰る時にも、住吉大明神が先導し、半城湾の御津浜(みつのはま)という海岸に上陸しました。
当初は、この浜に住吉3神を祀る神社を建てましたが、住吉大神が「波の音が聞こえないところがよい。」と言われたので、今の場所に落ち着いたということになっています。
海の神様なのに、波の音が嫌いなのか、とちょっと複雑な気持ちになります。
この島居は、2の島居で、平戸藩主松浦鎮信が建てたものです。
高さ4.4m。
肥前島居と呼ばれる立派な作りの鳥居です。
ちょっと見ると、少し傾いて、今にも倒れそうですが大丈夫です。
島居よりも低いところに神様がおられる神社はとても珍しいものです。
壱岐には神社登録が150あまりあります。現在、四二社巡りなどイベントなどが行われていますが、選別された大きな神社です。
福岡市で言えば、中央区、博多区、東区を合わせた程の面積の中に150社の登録。神社密度はかなり高いと言えます。
この壱岐という福岡市からジェットフォイルで1時間、フェリーで2時間10分の距離の島に。
また、長崎県の遺跡の6割が壱岐にあると言われています。
溫泉も神功皇后が産湯に使ったと言われ、1700年の歴史の?泉です。
溫泉の色も珍しい『赤湯』と呼ばれる珍しい色です。
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】