天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

長崎県(壱岐市)・爾自神社(壱岐)

真のパワースポット化しようと考えていたところ、文献がないと後回しになっている。

ところが壊されるという話を小耳に挟んだ。

なんでだろう?

道路拡張の必要はなさそうだし…。

感謝

二拝二泊一拝


基本情報
所在地:〒811-5107 長崎県壱岐市郷ノ浦町有安触979


【Official site】









爾自神社の本殿裏に祀られている高さ2.7m、玄武岩の「東風(こち)石」。神功皇后が三韓出兵のとき出航の順風を祈ったところ、この石が二つに割れ、そこからさわやかな東風が吹き出したという故事による。さらに江戸時代、平戸藩は朝鮮通信使の接待を勝本浦でおこなった。しかし風待ちで逗留が続くと藩の財政が逼迫するので、必死でこの東風石に順風を祈願したという。東風石の前に寄進された石灯籠は「寛文十一」(1671)と刻まれ、お伊勢参りの道中安全祈願と成就の献納だという。


この神社の本殿裏に、縦約3.9m、横約3.3m、高さ約2.7m、周囲約11.4mの大きな石があります。

玄武岩でできていて、「東風(こち)石」と呼ばれています。

以前は、宝殿の中にありましたが、中世に今の場所に移しました。

神功皇后が三韓出兵のとき、勝本浦に寄港しましたが、順風がないため出船できません。

そこで、この東風石と呼ばれている、この巨石に東風の順風祈願をしたところ、この石が二つに割れ、そこからさわやかな東風が吹き出しました。

神功皇后は、この風で出航することができました。

中世には、この付近は勝本の聖母宮の神領となっていました。
さらに江戸時代になると、朝鮮通信使とこの東風石が深い関わり合いを持つようになりました。

朝鮮通信使は、将軍が代るごとに、お祝いに訪れました。

朝鮮通信史は300から500人の大使節団で、平戸藩は江戸までの行き帰りに朝鮮通信使の接待を勝本浦でおこないました。

しかし、この接待、莫大なお金がかかりました。

風向きの関係で、壱岐での滞在が長くなると、藩の財政が苦しくなります。

そこで、神功皇后の故事にならって城代に命じ順風祈願をさせました。

祈願は、8人の神主による大神楽で行なわれました。

運良く東風が吹くと、白銀や米などが送られました。

大きな石のすぐ隣にある灯篭(とうろう)には、「寛文十一年十一月吉日」(1671)と刻まれ、15人の名前が刻まれています。

手前に見える白い灯篭ではありません。

お伊勢参りの道中、船旅の安全祈願をし、それが成就したので献納されました。

壱岐には神社登録が150あまりあります。現在、四二社巡りなどイベントなどが行われていますが、選別された大きな神社です。
福岡市で言えば、中央区、博多区、東区を合わせた程の面積の中に150社の登録。神社密度はかなり高いと言えます。
この壱岐という福岡市からジェットフォイルで1時間、フェリーで2時間10分の距離の島に。
また、長崎県の遺跡の6割が壱岐にあると言われています。
?泉も神功皇后が産湯に使ったと言われ、1700年の歴史の?泉です。
?泉の色も珍しい『赤湯』と呼ばれる珍しい色です。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社