基本情報
所在地:〒920-8577 石川県金沢市広坂1-1-1
電話:076-220-2111
【Official site】
金沢市
金沢市(かなざわし)は、石川県のほぼ中央に位置する、石川県の県庁所在地。旧石川郡および河北郡。1996年4月1日、中核市に指定された。
概要
江戸時代には、江戸幕府(約800万石と言われる)を除いて、大名中最大の102万5千石の石高を領した加賀藩(「加賀百万石」)の城下町として栄え、人口規模では江戸・大坂・京の三都に次ぎ、名古屋と並ぶ大都市であった。第二次世界大戦中にアメリカ軍からの空襲を受けなかったことから市街地に歴史的風情が今なお残っている。空襲の被害者やその遺族が少ない地域という理由から、終戦間もない頃には国際交流を目的として来日するアメリカ市民の滞在先としても選ばれた。また、長年の都市文化に裏打ちされた数々の伝統工芸、日本三名園の一つとして知られる兼六園、加賀藩の藩祖・前田利家の金沢入城に因んだ百万石まつり、さらに庶民文化(加賀宝生や郷土料理の治部煮等)などにより、観光都市として知られる。2009年にはユネスコの創造都市に認定された(国内では神戸市、名古屋市に続く3番目、クラフト&フォークアート部門ではアジア初)。また、北陸地方を管轄する国の出先機関や大企業の「北陸支社」「北陸支店」が置かれる場合が多く、政治・金融において北陸地方の中心的な都市としての機能も担っている。
地理
地理区分
地理区分は中部地方、北陸地方、北信越地方に属する。石川県内の地理区分では、加賀地方に属する。
地形
南東部は山地で、奈良岳(1,644m、金沢市の最高峰、犀川の水源)をはじめ、見越山 (1,621m)、大門山 (1,572m)、医王山(いおうぜん、939m)などがある。平野に近い部分は丘陵地となり、戸室山 (548m)、キゴ山 (546m)、野田山 (180m)、満願寺山 (177m)、卯辰山 (141m) などがある。戸室山・キゴ山は数十万年に形成された第四紀火山である。北西部は金沢平野で、犀川(別名おとこ川)、浅野川(別名おんな川)、金腐川(かなくさりがわ)、森下川(もりもとがわ)、伏見川、高橋川、内川などが流れる。犀川とこれに合流する伏見川は日本海へ直接注ぐが、他の川は河北潟へ流れ、大野川を経て日本海へ注ぐ。海岸部は砂丘となっており、河口部分は北向きに曲がっている。犀川上流には犀川ダムや内川ダムがあり、上水道や灌漑などに利用されている。犀川と浅野川は市内を並行して流れ、犀川北岸と浅野川南岸それぞれの河岸段丘に挟まれた台地が小立野台地である。小立野台地の西端に金沢城や兼六園がある。また、犀川南岸の河岸段丘は寺町台地と呼ばれる。
気候
日本海側気候で、年中湿度が高く、雲が発生しやすい。特に冬には雨・雪が降る日が多い[注釈 1]。平年の雷日数が全国の県庁所在地の中で最も多く、そのほとんどは晩秋から冬に起こる。比較的好天が多いのは4-5月と10月、夏にはフェーン現象が起きて最高気温が35℃を超えることもある。梅雨の影響は太平洋側と比較して少ない。台風が直撃することもあまりない。12月から2月にかけては雪や雨が多い。雷を伴ってあられや雹が降ることもある。1987年以降の暖冬に加え、1991年10月23日に気象台が中心部にほど近い弥生町から、海風の影響で気温が高めで雪が積もりにくい沿岸寄りの西念町へ移転して以降、観測される降雪量は急激に減っており、北陸の他都市はおろか鳥取市よりも積雪量が少なくなることが増えた。しかしながら、市の公表している積雪量[1] によると、気象台よりも兼六園のある市内中心部の方が積雪が多く、特に、金沢大学のある角間町などの内陸地域などは豪雪となりやすい。このように同じ市内であっても海側と内陸では積雪量が大きく異なっている。<-- 旧金沢地方気象台跡地は弥生さくら公園として整備された。-->
降雪の深さ合計は平年で278cmと前平年値(1971〜2000年平均)の360cmと比べて大きく減少した。気象台移転後の最深積雪記録は2001年1月16日の88cm、なお金沢地方気象台が現在の場所に移転する前の最深積雪極値は三八豪雪の1963年1月27日に記録した181cm。最後に積雪が1mを超えたのは1986年1月28日の113cmまで遡る。ただし、冬季の気温は曇りや雪の日が多く放射冷却が少ないため、最低気温は高め(1月平均最低気温0.9℃)であり、2000年代以降は暖冬傾向であること、また、除雪・融雪の体制が発達していることなどから、冬季の都市生活に支障は少ない。
湿度が高いため、伝統工芸の漆塗りや金箔製造に適している。
隣接自治体
北側に内灘町、津幡町、東側に倶利伽羅峠、医王山などの山地を挟んで富山県小矢部市、南砺市、南側に白山市(旧松任市、旧鶴来町)、野々市市と接する。
歴史
第二次世界大戦以前
「金沢」という都市名は「昔、山科の地(現:金沢市郊外)に住んでいた芋掘り藤五郎が山芋を洗っていたところ、砂金が出たため、金洗いの沢と呼ばれた」という伝説による。
「金洗いの沢」は、兼六園内の金沢神社の隣りにあり、現在は「金城霊沢」と呼ばれている。
古文書における「金沢」の初見は、『高野山正智院聖教目録』に文明13年10月8日(1481年10月30日)付で記載された「加州金沢惣持寺」が知られている。
天文15年(1546年)。戦国時代の一向一揆で本願寺の拠点が置かれた尾山御坊(金沢御坊)と、その周辺の寺内町を起源とする。天正8年(1580年)、織田信長配下の柴田勝家の甥佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、その地に金沢城を築城した。
金沢城址
賤ヶ岳の戦い以降、前田利家が金沢城に入り、加賀藩の原型が形成された。利家は金沢城を人心の一新(羽柴秀吉に敵対した佐久間盛政色の一掃および一向一揆に加わっていた真宗門徒との融和)を意図して自身の出身地である尾張国にも通じる「尾山城」と改名するが定着せず、利家の晩年もしくは次代の前田利長の時代には再び「金沢城」の名前に戻した。城下町には二重の惣構が掘られ、環濠都市となり、現在でもその遺構を確認することができる。それまで点在していた寺院は一向一揆を防ぐために、金沢城から南西の犀川流域、東側の卯辰山、南東の小立野台地の三ヶ所に集められ、それぞれが寺町寺院群、卯辰山山麓寺院群、小立野寺院群となった。
慶長5年(1599年)に利家が死去すると、翌年には関ヶ原の戦いが起こる。利家の遺領を相続した長男の前田利長は、東軍の徳川家康につき、西軍に属した弟の前田利政の所領を戦後に与えられ、加賀国、能登国、越中国を有する大大名となる。第三代藩主前田利常の時代には、十村制や改作法といった農政改革を進め、支配機構の整備が行われ藩体制が確立した。第五代藩主前田綱紀は名君として名高く、兼六園の前身にあたる蓮池庭(れんちてい)を作庭し、木下順庵や室鳩巣、稲生若水といった学者の招聘につとめ学問を振興した。また綱紀は和書や漢書、洋書などの多様な書物の収集にも努め、その書物の豊富さから新井白石は「加賀は天下の書府」と言ったと伝えられている。集められた書物や美術工芸品の収蔵品は尊経閣文庫と呼ばれ、現在では前田育徳会により保存管理されている。その後金沢は150余年に渡り、加賀百万石の城下町として繁栄することとなる。参勤交代の時、前田氏は約2,000人の家来を従え、現在の価値で片道約7億円をかけて江戸との間を往来した。最終的には130万石以上もの実高であったとされる。
以下江戸時代の藩政史料や地図、明治初期の統計書に記録されている金沢町の人口をまとめる。但しその多くが町奉行支配場(本町、地子町、旧門前地、大工地)の町方人口に関するものであり、主に寺社奉行支配地(門前地)に居住した僧侶・神職ほか、武家屋敷や一部町方・寺社方に居住した士分・武家奉公人については人口に関する資料がほとんど残っていない。
「今津甚四郎書出候人数一巻」 によると、享保6年(1721年)の金沢藩の15歳以上の御家中人口は6万7302人(おそらく武家奉公人を含む)。また『金沢市史』や『藩制一覧』によると、明治3年閏10月10日の旧家中人口は、華族1戸11人、士7797戸2万8683人、卒9703戸2万7038人、仲間・小者(平民扱い)2699戸5938人の合計20,200戸61,670人(但し戸数は成人男性数(名数))。江戸時代中期以降、金沢城下町に居住する武家・武家奉公人人口は4万〜5万人で推移したと推測される。以下に2人の研究者による江戸時代〜明治初期の金沢の推定総人口を列挙する。なお土屋敦夫の推計人口には神社仏閣数と僧侶・神官人口(明治4年2月の時点で298箇所1171人)が加算されていない。また斎藤誠治が明治11年調として『明治十一年共武政表』より引用している人口は、正確には明治12年1月1日調のものである。
江戸時代の金沢の人口は17世紀後半には10万人を超え、江戸、大坂、京の三都には及ばないものの、名古屋と並ぶ日本第4位〜第5位の都市として発達し、美術工芸など現在に受け継がれる都市文化が花開いた。幕末から明治維新の頃の金沢は人口において東京、大阪、京都、名古屋に次ぐ日本第5位の都市であったが、明治時代に入ると産業・交通発達の基軸が太平洋側へと移り、明治20年頃には六大都市を形成することになる神戸や横浜にも人口で抜かれる。しかしながら金沢には旧制第四高等学校(金沢大学の前身)や日露戦争の旅順攻囲戦で知られる陸軍第九師団が置かれ、学都・軍都として栄えた。
第二次世界大戦中は機銃掃射等(金沢空襲)があったものの大規模空襲を免れ、古い町並みが残った。(石川県内では、空襲で60人以上が死傷した。)
地名の移り変わり
現在の金沢市中心部は、古くは石浦村と呼ばれていた。尾山御坊が置かれたことで寺内町として発展し、南町、西町、松原町、安江町、近江町、堤町、金屋町、材木町といった町が成立した。これを総じて尾山八町、或いは単に「尾山」と呼んだ。なお、尾山という地名は、「二つの川に挟まれた台地の先端」という意味を持つ。後に、前述の芋掘り藤五郎の伝説から「金沢」と称するようになるが、こちらの地名も室町時代まで遡ることが確認されており2つの地名が併用されていた。前田利家が城主になると一度「尾山」に戻され、家督を長男の前田利長が継いだ後に再び「金沢」となった。
旧町名の復活運動
金沢市は、1962年(昭和37年)に「住居表示に関する法律」の実験都市に指定され、500余りの町名が消滅してしまった。しかし、長年慣れ親しんだ旧町名の復活を望む声が多く、主計町を皮切りに次々と旧町名が復活した。これを受けて長崎市など全国へ旧町名復活運動が広がっていった。
沿革
1878年(明治11年)12月17日 - 郡区町村編制法が施行され金沢城下534町に金沢区成立。
1889年(明治22年)4月1日 - 金沢区に市制施行され金沢市成立。10.40 km2。
1924年(大正13年)1月1日 - 石川郡野村字泉野の一部との境界変更。10.61 km2。
1925年(大正14年)4月1日 - 石川郡野村を編入。16.82 km2。
1925年(大正14年)4月10日 - 石川郡弓取村を編入。20.05 km2。
1935年(昭和10年)12月16日 - 石川郡富樫村・潟津村・米丸村・鞍月村・粟崎村・大野町を編入。51.55 km2。
1936年(昭和11年)4月1日 - 石川郡崎浦村・三馬村、河北郡小坂村を編入。90.71 km2。
1943年(昭和18年)10月1日 - 石川郡戸板村を編入。96.21 km2。
1943年(昭和18年)12月1日 - 石川郡金石町・大野村・二塚村を編入。111.09 km2。
1947年(昭和22年)5月3日 - 河北郡三谷村字釣部を編入(境界変更)。114.16 km2。
1949年(昭和24年)6月1日 - 河北郡川北村を編入。122.10 km2。
1954年(昭和29年)7月1日 - 石川郡安原村・額村・内川村・犀川村・湯涌谷村を編入。303.76 km2。
1956年(昭和31年)1月1日 - 石川郡押野村を編入。309.79 km2。
1957年(昭和32年)4月5日 - 河北郡浅川村を編入。393.40 km2。
1957年(昭和32年)4月10日 - 押野地区の一部を石川郡野々市町へ編出(境界変更)。391.34 km2。
1962年(昭和37年)6月1日 - 河北郡森本町を編入。458.78 km2。
1965年(昭和40年)7月30日 - 河北潟の一部埋立による面積増加。458.90 km2。
1967年(昭和42年)10月27日 - 河北潟の一部埋立による面積増加。459.18 km2。
1968年(昭和43年)4月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。459.19 km2。
1969年(昭和44年)3月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。459.21 km2。
1971年(昭和46年)3月2日 - 河北潟の一部埋立による面積増加。459.31 km2。
1980年(昭和55年)2月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。459.31 km2。
1980年(昭和55年)5月13日 - 大野町4丁目および粟崎町4丁目に隣接する公有水面埋立による面積増加。460.20 km2。
1980年(昭和55年)9月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。460.20 km2。
1981年(昭和56年)10月1日 - 河北潟干拓地境界決定。468.09 km2。
1988年(昭和63年)10月1日 - 国土地理院における新しい測定方法による修正。467.77 km2。
1992年(平成4年)3月1日 - 松任市との境界変更。467.77 km2。
1996年(平成8年)6月1日 - 河北郡津幡町との境界変更。467.77 km2。
1999年(平成11年)5月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。467.77 km2。
経済
農林水産業
市内から周辺市町村へ広がる金沢平野は、低温であるものの水利がよく適湿で、江戸時代から良質の農地であった。明治時代中期には、他地方に先駆けて近代的な耕地整理が行われ、生産性が飛躍的に向上した。現在でも、単作の稲作中心の農業が継承されており、北陸地方の他地域と並んでコシヒカリの主要な産地の一つである。
稲作だけでは採算が望めない農地については、小規模でも生産でき付加価値の高い作物、さつまいもや蓮根などの加賀野菜、梨などの果実の生産に移行する動きがみられる。
また、北前船の寄港地であった大野港や金石港から金沢港が整備され、ここを拠点とした水産業も盛んである。
製造業
伝統製造業・工芸品
製造過程の金箔
江戸時代に金沢を治めた加賀藩は、石高は高いものの外様大名であったため、幕府や周囲に警戒されないよう内向きの産業や工芸を奨励した。そのため、当時から絹織物の主要な産地であった。また、藩の財政に余裕があったため、京都などから職人を招聘し、加賀友禅などの染織工芸を育成することができた。これらを基盤として、明治時代には繊維工業や染織加工業が発達した。ただし現在では、中国などから安価な製品が輸入されるようになったため、高機能商品の生産に特化する動きがみられる。現在でも金箔の製造は全国シェアの98%、銀箔は100%、市民1人当たりの和菓子購入額全国第1位である。 また、大野地区では醤油の製造が昔から盛んで、現在も直源が製造している「直っぺ」などがある。
近代製造業・工業
繊維製品の生産に必要な織機の製造は現在でも衰退しておらず、ジェット・ルーム(高速の気流や水流で横糸を飛ばす方式の織機)を生産する津田駒工業本社工場は、世界最大の織機製造工場と言われている。また、こうした高速制御が可能な複合的な機械製造技術は他分野にも転用され、ボトリング・システム(瓶詰め機械)で世界一の澁谷工業や、自動給茶装置付き回転寿司コンベア機でトップシェアを持つ石野製作所など、一風変わった機械の製造に結びついている。
近年では、パソコン周辺機器に関する企業群が急速に成長している。市内で創業したパソコン周辺機器大手のアイ・オー・データ機器は、当地の小規模な繊維工場では手が届かなかったメインフレームではなく、マイコンを利用した工場制御用の周辺機器開発からスタートした企業であり、コンピュータ関連の大手企業が手がけなかった需要に応えて成長の軌道に乗った。また、織物用の柄を修正するディスプレイ装置の開発といった細かな需要の発掘でも、繊維工業が周辺産業へ影響を与えたことがうかがえる。
卸売・小売業
金沢市は北陸地方では二番目に大きな卸、小売業販売額をあげる商業都市であり(北陸3県に限ると最も多い)、百貨店・大型ショッピングセンター・や多数のブランドショップなどの集積がある。
中心部にある市内最大の繁華街、香林坊・片町地区には、百貨店大和本店をキーテナントとした香林坊アトリオや東急ハンズなどが入居する香林坊東急スクエア、アパレルなど多数の路面店が軒を連ねる竪町通りがある。 また、香林坊に隣接する片町地区は、約1500もの飲食店がある北陸最大の歓楽街となっている。 中心部の主な商店街は香林坊商店街、竪町商店街、広坂振興会(商店街)、柿木畠振興会(商店街)、片町商店街(5TOWN'S=ファイブタウンズと称する)である。その他木倉町商店街なども5TOWN'Sに属する。
一方、もう一つの繁華街である武蔵地区には名古屋鉄道系の百貨店めいてつエムザと近江町市場がある。なかでも近江町市場は、市場独特の風情が味わえることから訪れる観光客も多く、金沢市内の観光地のひとつとしても有名。2009年4月16日には市街地再開発事業により、近江町いちば館が開業した。
金沢駅周辺では北陸新幹線開業を控え、駅東口横にイオン系列のファッションビルである金沢フォーラスが開業、金沢百番街では2007年5月26日にくつろぎ館がオープン、2011年3月3日にはトレンド館を大幅に改装したRintoがオープンするなど、駅ビルや駅ナカの商業施設の集積が進んでいる。また、都市型マンションやビジネスホテルの集積も顕著である。そのため、駅周辺の商業地としての地位が向上し、テナントビルの空室率は駅周辺ビルを中心に大幅に改善している。それに伴い、商圏は香林坊・片町地区、武蔵地区、金沢駅前地区と三極化し始めている。 また、金沢大学や石川県庁などの公共施設が市街地から郊外へ移転したことや、イオンタウン金沢示野、アピタタウン金沢ベイ、ラパーク金沢(メガ・ドン・キホーテ)などのショッピングセンターやロードサイドショップが開業し、国道8号線沿いや山側環状道路および海側環状道路周辺などの郊外が著しく発展していることから、中心街の空洞化、購買客の流失が懸念されている。
本社を置く企業
上場企業
アイ・オー・データ機器 (東証1部)
今村証券(JASDAQ)
澁谷工業(東証1部・名証1部)
倉庫精練(東証2部)
大和(東証2部)
津田駒工業(東証1部)
日成ビルド工業(東証1部)
ハチバン (JASDAQ)
福島印刷(名証2部)
北陸電話工事(東証2部)
北國銀行(東証1部)
三谷産業(東証1部)
主な非上場企業
アール・ビー・コントロールズ
石川交通株式会社
石川コンピュータ・センター
石野製作所
一村産業
うつのみや
NTTデータ北陸
加賀製紙
カナカン
金沢倶楽部
金沢製粉
金沢名鉄丸越百貨店
カレーハウス・ターバン
カラフルカンパニー
北川ヒューテック
北日本観光自動車
キョーリンリメディオ
ゴーゴーシステム
コスモサミット
コマツ産機
シーピーユー
システムサポート
シブヤマシナリー
示野薬局
ジャックコーポレーション
伸晃化学
しん証券さかもと
竹松証券
玉田工業
東京ストアー
ドコモサービス北陸
日海不二サッシ
ネスク
箔一
富士ゼロックス北陸
富士通北陸システムズ
ファイネス
ブランドオフ
北陸製菓
北陸通信ネットワーク
北陸鉄道
北陸博報堂
北陸ミサワホーム
北陸名鉄運輸
北菱電興
真柄建設
明祥
森八
ヤギコーポレーション
山崎屋
米沢電気工事
菱機工業
輪島屋鮮冷
本店を置く企業
アパグループ本店
支社・支店・事業所を置く企業
アサヒビール北陸統括本部
味の素北陸支店
伊藤忠商事金沢支店
INAX北陸支社
江崎グリコ北陸支店
NEC北陸支社
NTTドコモ北陸支社
NTT西日本北陸事業本部
NTTファイナンス北陸支店
沖電気北陸支店
オムロン北陸支店
カゴメ北陸支店
京セラドキュメントソリューションズ ジャパン北陸営業所
キリンビール北陸支店
キリンビバレッジ北陸支社
熊谷組北陸支店
KDDI北陸総支社
佐川急便北陸支社
サッポロビール北陸支店
サントリー北陸支店
清水建設北陸支店
住友林業住宅事業本部北陸支店
全日空金沢支店
ゼンリン中部金沢支店
大正製薬金沢支店
ダイダン北陸支店
大和ハウス工業金沢支店
タカラスタンダード北陸支店
電通西日本金沢支社
東京書籍北陸支社
東芝テック北陸支店
TOTO北陸支社
トステム北陸支社
トッパンフォームズ北陸営業所
中日本高速道路金沢支社
JR西日本金沢支社
日本オラクル北陸支店
日本航空金沢支店
日本コムシス北陸支店
日本精工北陸支店
日本郵便北陸支店
日本ユニシス北陸支店
ゆうちょ銀行北陸エリア本部・金沢支店
かんぽ生命保険北陸エリア本部・金沢支店
協和エクシオ北陸支店
パナソニック
パナソニック モバイル開発研究所金沢開発研究所
日立ビルシステム金沢支社
日立プラントテクノロジー北陸支店
富国生命金沢支社
富士通北陸支社
ベネッセコーポレーション北陸事業所
北陸電気工事金沢支店
北陸電力石川支店
三菱電機北陸支社
明電舎北陸支店
森永製菓北陸支店
ほか
工場
コマツ金沢工場
日機装金沢製作所
ヤングドライ金沢工場
日本ケンブリッジフィルター北陸工場
横河電機金沢事業所
支店を置く主な金融機関
中央銀行
日本銀行金沢支店
政策金融機関
日本政策金融公庫金沢支店
住宅金融支援機構北陸支店
商工組合中央金庫金沢支店
日本政策投資銀行北陸支店
系統中央機関
農林中央金庫金沢推進室
信金中央金庫北陸支店
メガバンク・都市銀行・信託銀行・地銀・第二地銀
三菱東京UFJ銀行
みずほ銀行
三井住友銀行
新生銀行
あおぞら銀行
三井住友信託銀行
金沢支店(旧中央三井信託銀行)
金沢中央支店(旧住友信託銀行)
北陸銀行
富山銀行金沢営業部
北國銀行
富山第一銀行
福井銀行
福邦銀行
信用金庫・信用組合・労働金庫
金沢信用金庫
のと共栄信用金庫
北陸信用金庫
鶴来信用金庫
興能信用金庫
石動信用金庫金沢支店
金沢中央信用組合
石川県医師信用組合
北陸労働金庫
ゆうちょ銀行
金沢支店(富山、石川、福井3県の統括店)
拠点を置く主な生活協同組合
全労済石川県本部
教育
大学
国立
金沢大学
公立
金沢美術工芸大学(市立)
私立
金沢工業大学
金沢学院大学
金沢星稜大学
北陸大学
北陸学院大学
短期大学
金沢学院短期大学
北陸学院大学短期大学部
金沢星稜大学女子短期大学部
専修学校観光
金沢国際専門学校
金沢科学技術専門学校
ファーストコンピューター専門学校
金沢情報ビジネス専門学校
北陸デザイナー専門学校
国際デザインカレッジ金沢
金沢国際デザイン研究所
日本ビジネススクール金沢
石川県調理師専門学校
アリス国際学園
金沢福祉専門学校
日本動物美容看護学園
金沢調理師専門学校
石川県立保育専門学園
アットマーク国際高等学校(金沢中央キャンパス)
金沢医療福祉製菓専門学校
金城ファッションカレッジ
金沢文化服装学院
石川医療技術専門学校
北信越柔整専門学校
金沢リハビリテーション・アカデミー
石川県理容美容専門学校
金沢社会保険看護専門学校
金沢看護専門学校
石川県歯科技工士専門学校
石川県歯科衛生士専門学校
国際ペットビジネス専門学校金沢
東京アカデミー金沢校
石川県立総合看護専門学校
専修学校KIDI PARSONS
学校法人徳野学園北陸ビジネスアカデミーが2004年3月に廃校になったため、現在市内に技能連携向陽台高等学校北陸キャンパスがない。
観光
金沢市を含む「金沢地域」の観光入込客数は約761.8万人(2011年(平成23年))で、兼六園への来客が全体の2割を占める。伝統的な建造物や工芸、文化が遺り、「北陸の京都」とも呼ばれるが、江戸期に成立した町であることから江戸の町の典型を遺し、また、京都が伝統文化を対外的な売り物としている「観光都市」であるのに対し、金沢はそれらを生活の中で消費する「文化都市」であるとも一時は言われていたが[23]、2015年の北陸新幹線開通などを受け国際観光都市を目指した街づくりが推進されている。
主な観光地
兼六園
長町武家屋敷跡
茶屋街(東山ひがし)
茶屋街(主計町)
江戸時代に金沢城の庭園として作られた兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに日本三名園とされる。名称「兼六」の由来は、宋代の洛陽名園記が指摘する、庭園にとって両立しがたい六つの特性、宏大と幽邃、人力と蒼古、水泉と眺望を兼ね備えていることによる。
この兼六園から百間堀を隔てた金沢城跡には、当時の建造物のうち一部である石川門や三十間長屋などが現存している。この跡地には城の中の大学として金沢大学のキャンパスがあったが、郊外(角間)へ移転した。その後一部の櫓が当時の技術のままに復元され、一般に公開されている。
市内中心部の長町には石畳に整備された路地に並ぶ武家屋敷跡に野村家庭園があり、加賀友禅の長町友禅館(旧彩筆庵)と並んで内部を見学することができる。中には小さい滝があり、立体的な配置のため街中とは思えない奥行きがある風景を楽しめる。
市内には、犀川と浅野川の二つの川が流れている。浅野川沿いの東山周辺、東の茶屋街(旧東の郭)には江戸時代の遊郭に由来する古い町並みが残る。内部を改装して飲食店などに利用されている家もある。東山ひがし地区と主計町は重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。背後にある卯辰山からは市街地から遠く日本海までを見渡すことができる。 一方犀川沿いには、にし茶屋街(旧西の郭)がある。
犀川からほど近い寺町の妙立寺は、内部に外敵を避けるための隠し通路や階段などの工夫が施されていることから「忍者寺」と呼ばれ人気がある。海外のガイドブックにも紹介されている。
この他、2010年10月に東山に移転オープンした安江金箔工芸館では金箔の製造工程や箔打ちなどの実演を観ることができる。松根城は市の史跡に指定されている。
2004年に開館した金沢21世紀美術館は市街地の中心部に立地し、現代美術をテーマとした展示を行っている。開館1年で地方都市の公立美術館としては驚異的な157万人の入館者を集め、5周年にあたる2009年には累計入館者数700万人を突破し、兼六園と並ぶ新たな観光資源として注目されている。
金沢市の海に面した地域に大野地区は醤油の産地で、今でも醤油蔵が立ち並んでいる。 町並保存地区として独特の風情を楽しむことができる、商業の町である。
近年、台湾を始めとした日本国外からの観光客も増えており、仏ミシュランの2009年3月発行の「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン2009」では、兼六園が3ツ星、金沢21世紀美術館と長町武家屋敷跡の野村家が2ツ星を獲得している。
行事・イベント
金沢百万石まつりが有名。毎年6月に前田利家の金沢入城を模した行列が街の中を練り歩く。利家役には男性有名人が選ばれている。友禅灯籠流しや百万石踊り流しなどの協賛・関連行事も多く催される。
湯涌地区では、毎年6月30日に氷室開きと呼ばれる藩政期より伝わる伝統行事が行なわれる。
イベントでは、毎年2月初旬に石川県中央公園で行われるフードピア金沢、毎年5月初旬にクラシック音楽祭の楽都いしかわ風と緑の音楽祭(旧ラ・フォル・ジュルネ金沢)、8月には香林坊から武蔵が辻が歩行者天国となる金沢ゆめ街道が開催される。
寺社
市内には、神社が330余り、仏教寺院が390余りある。仏教寺院を宗派別に見ると、他宗派が17世紀からほぼ横ばいなのに対して浄土真宗の寺院のみが3倍あまりに増加し、寺院全体の半数を超える210寺が立つ。その内の192寺が真宗大谷派である。
神社
金沢五社
宇多須神社
小坂神社
神明宮
椿原天満宮
安江八幡宮
その他の主な神社
尾山神社(神門は国の重要文化財)
石川護国神社
大野湊神社
石浦神社
尾崎神社(本殿等は国の重要文化財)
豊国神社
金沢神社
久保市乙剣宮
波自加弥神社
中村神社
大野日吉神社
名産品
加賀料理
かぶら寿司(蕪で鰤の塩漬けを挟んで発酵させた熟れ鮨の一種)
ゴリ料理 (佃煮、唐揚げ、から揚げ、照り焼き、白味噌仕立てのゴリ汁など)
治部煮 (鴨肉を小麦粉にからませ、ダシ汁で煮たもの)
鯛の唐蒸し (鯛に卯の花を詰めて蒸し揚げた料理)
鱈の白子
えびす(生姜の入った寒天のだし汁に溶き卵を流し込み、固めた料理)
笹寿司 (笹で包んだ押し寿司)
くるみの佃煮
河豚の卵巣の糠漬け
醤油(大野周辺で作られている。他のメーカーに比べ、くどさがあまりなく、甘いのが特徴。)
菓子
金沢では加賀藩が茶菓子作りを奨励したため高度な菓子文化が育まれ、京都市や松江市などと並ぶ「日本三大菓子処」として知られてきた。正月に食べる福梅、辻占や、初夏に食べる氷室饅頭、婚姻の際に振舞われる五色生菓子や金花糖などのいわゆる縁起菓子は、菓子文化の成果の一つといえよう。
市内には今でも「森八」、「諸江屋」、「俵屋」、「柴舟小出」、「村上」といった和菓子の老舗が至る所にある。特に森八で作られている長生殿は日本三名菓 の一つである。
愛香菓
あんころ餅
梅鉢最中
鬼くるみ佃煮最中
加賀種の最中
金花糖
くるみ松風
黒羊羹
柴舟
じろ飴
千歳
長生殿
月よみ山路
辻占
中田屋のきんつば
花うさぎ
氷室饅頭
福梅
福徳せんべい
わり氷ほか
日本酒[編集]
加賀鳶(福光屋)
黒帯(福光屋)
福正宗(福光屋)
日榮(中村酒造)
加賀雪梅(中村酒造)
加賀鶴(やちや酒造)
海産物
甘エビ
加能ガニ
寒ブリ
香箱ガニ(ズワイガニの雌)
ノドグロ
農作物
加賀野菜
打木赤皮甘栗かぼちゃ
源助だいこん
さつまいも(五郎島金時)
二塚からしな
伝統工芸
金沢市では数多くの伝統産業が継承されている。
金沢箔(国内シェア 金箔98%、銀箔100%)
加賀友禅
金沢漆器
金沢仏壇
九谷焼
加賀刺繍
加賀象嵌
加賀水引
金沢表具
金沢和傘
加賀毛針
加賀提灯
二俣和紙
伝統芸能
加賀宝生(宝生流能楽)
金沢素囃子(邦楽)
加賀鳶
温泉
金沢温泉郷
湯涌温泉
犀川峡温泉
深谷温泉
曲水温泉
その他
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】