天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

鹿児島県・鹿児島市20160816

鹿児島市役所

基本情報
所在地:〒892-8677 鹿児島市山下町11番1号
電話:099-224-1111



【Official site】

鹿児島市
鹿児島市(かごしまし)は、九州の南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地でもある。
鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観がイタリアのナポリからヴェズーヴィオ火山を望む風景に似ていることから、『東洋のナポリ』と称される。

概要
鹿児島県中西部に位置する宮崎県・鹿児島県を範囲とする南九州地域の拠点都市で、政治・経済・文化・交通の中心地。古くから薩摩藩、90万石の城下町として栄えてきた。1889年4月1日に日本で最初に市制を施行した31市の一つで、現在は福岡市、 北九州市、熊本市に次ぐ九州第4位の人口を擁する。中核市では、船橋市に次いで第2位である。また、国際会議観光都市にも指定されている。
1996年に第一期の中核市に指定された。本市は、県人口の約三分の一(約35%)が集中している首位都市でもあり、周辺の自治体と鹿児島都市圏を構成する。九州新幹線の完全開業により更なる発展が期待されるが、元々鹿児島市は地理的要因により地域ブロックの拠点として発展してきた側面もあり、福岡都市圏と短時間で結ばれるようになることで、ストロー効果などのマイナス面も懸念されている。

市勢
人口:604,814人
自然動態率+1.3% 社会動態率-0.5% 出生率1.35(2007年)
世帯:262,897世帯
登録外国人数:2,027人
面積:547.06km2
DID面積:74.82km2
可住地面積:248.84km2
本土側可住地面積:214.64km2
人口密度:1106人/km2
DID面積内人口密度:6542人/km2
可住地面積人口密度:2432人/km2

町名
鹿児島市には2011年現在、町のみが設置されており、「○○町」又は「○○△丁目」と表記される。また、大字は1911年(明治44年)までは西田、荒田、塩屋が設置されていたが、西田の大半が常盤町、荒田の大半は上荒田町、塩屋は塩屋町(後の甲突町)となり、それ以降は設置されていない。
周辺の町村を編入した際にも合併時に既存の大字の区域を町に置き換えており、2004年の5町編入の際にも既に町として設置されていた牟礼岡一丁目から牟礼岡三丁目を除いた大字は編入時に大字の区域を廃止し、新規に町の区域が設定されている

地理[編集]

市内の降灰置場

爆発的噴火する桜島
九州の南端部近く、福岡市から南へ約280km、熊本市から南へ約180kmの場所に位置し、鹿児島県内の薩摩半島の北東部および桜島全域を市域とする。鹿児島湾(錦江湾)を望み、桜島などに年間約900万人の観光客が訪れる観光都市でもある。
平野部の大部分が商業地域、住宅地域、工業地域に占められ耕作地域はほとんどない。市街地に近い傾斜地や山間部の多くも宅地開発され団地やニュータウンが数多い。しかし、都市の発展に道路開発が追いついておらず、朝夕はいずれの幹線も渋滞が激しい。市街地が南北に細長いこともあって、とくに谷山地区や吉野方面からの通勤渋滞がひどく、大きな課題となっている。
国道10号線の吉野〜姶良間沿岸部での総雨量が200mm以上になると通行制限がされる(制限経緯:集中豪雨災害「平成5年8月豪雨」いわゆる。そのため、同じく平行して通るJR九州の日豊本線も独自の規定雨量近くに達した場合、運転を見合わせる時がある。
市域中心部の対岸(直線距離約4km)に位置する桜島は、1980 - 90年代に比べればかなり沈静化しているが、2000年以降もなお活発な火山活動を続けており、市中心部にもしばしば降灰する。活火山を抱えながら、これだけの人口規模を有する都市は世界的にも稀である。
山 : 城山、多賀山、桜島、八重山、花尾山、上宮岳、三重岳、三方塚山、雄岳
河川 : 甲突川、稲荷川、脇田川、新川、清滝川、永田川、神之川、川田川、思川
火山に近く泉源数が多いため、市内の入浴施設のほとんどが温泉である。詳細については「鹿児島市街地の温泉」を参照。
新島
桜島の北東部約1.5kmにあり、鹿児島市唯一の有人離島である。島へは鹿児島市高免町の浦之前港から行政連絡船によって渡る。
面積:0.13km2 周囲約2km 人口:4世帯6人 住所:鹿児島市新島町

隣接自治体
北:薩摩川内市 - 姶良市
東:垂水市
西:日置市
南:指宿市 - 南さつま市 - 南九州市

気候
温暖で多雨の太平洋側気候を呈する。年平均気温は18℃前後で、真夏日が年間80日前後、夏日は年間160日前後あるのに対して、冬日は年間数日程度であるが、郊外の丘陵地や山間部では明け方に0度を下回る事も少なくない。強い冬型の気圧配置となり西回りで寒気が流れ込む時には東シナ海からの雪雲が入りやすく、雪が降る。積雪は無い年が多いが、2011年1月1日には過去2番目となる積雪25cmを記録するなど、九州の県庁所在地の中で最南端ながら一度に積もる量は一番多い。しかし、南岸低気圧による降雪はまず無く、暖かい雨となる。大陸からの寒気の影響を受けやすいために、一時的に平年を5度以上も下回る寒さとなることもある。年間降水量は概ね2000〜2500mm前後と多雨。年間日照時間は約1800〜2100時間である[14]。
なお、鹿児島地方気象台は1993年に上荒田町から東郡元町へ移転している。近年は温暖化に加え、都市化によるヒートアイランド現象の影響を強く受け、最低気温が急速に上がっている。平年値の上昇率は全国官署地点のなかでもトップクラスである。
気温 - 最高37.1℃(2013年(平成25年)8月23日)、最低-6.7℃(1923年(大正12年)2月28日)
最大降水量 - 324.0ミリ(1995年(平成7年)8月11日)
最大瞬間風速 - 58.5m/s(1996年(平成8年)8月14日)
最深積雪 - 29cm(1959年(昭和34年)1月17日)
夏日最多日数 - 175日(2003年(平成15年))
真夏日最多日数 - 98日(2013年(平成25年))
猛暑日最多日数 - 28日(2013年(平成25年))
熱帯夜最多日数 - 72日(2006年(平成18年))
冬日最多日数 - 57日(1936年(昭和11年))

歴史

1549年にサンフランシスコ・ザビエルが上陸したとされる場所にあるザビエル上陸記念碑

1863年に勃発した薩英戦争の当時の新聞による戦況図

1872年頃の吉野村磯地区(内田九一撮影)。集成館事業に関連する建物が多く見える

西南戦争における城山の戦い

桜島の大正大噴火で火山灰に覆われた鹿児島市街

鹿児島大空襲後の鹿児島市街地
「鹿児島」という名の由来は、野生の鹿の子(鹿児)が多く生息していたからとか、多くの水夫(かこ)が住んでいたから、火山を意味するカグという言葉から由来した等諸説ある。[16]さらに、神話から来たという説もあり現在でもどれが正しいか確定していない。しかし、「カゴ」は崖という意味の古語であり、桜島の四方が崖になっていたので島名を鹿児島(麑嶋)と称する様になり、それが対岸の神社名(鹿児島神宮)として定着し、更には郡名に拡大したという説が有力である。
都市としての始まりは、島津家第6代当主島津氏久が東福寺城(鹿児島市清水町)を居城にしたとき(1340年頃)とみられる。1549年(天文18年)、フランシスコ・ザビエルが現在の市域に当たる場所(祇園之洲町付近)に上陸し、日本初のキリスト教伝来の地となる。
19世紀の中頃にはヨーロッパの機械文明を取り入れた研究が進み、第28代当主島津斉彬のもと集成館(現・尚古集成館)事業として反射炉や溶鉱炉が造られ、日本における近代工業化の発祥の地となり、近代日本の黎明期、明治維新において政治家、官僚、軍人等数多くの人物を輩出し、近代日本建設の礎となる。
中心市街地は、薩英戦争による砲撃、西南戦争による戦火、第二次世界大戦の鹿児島大空襲と三度も壊滅的打撃を蒙ったため、城下町としての面影は殆ど残っていない。

発祥
1549年(天文18年) - キリスト教日本初伝来の地(フランシスコ・ザビエルの上陸により)。
1853年(嘉永6年) - 日の丸発祥の地(第28代当主島津斉彬の幕府への提案により)。
1854年(安政元年) - 国産第1号軍艦昇平丸竣工。
1857年(安政4年) - 島津家の磯別邸(現・仙巌園)にて日本初のガス灯が灯る。
1865年(慶応元年) - 日本初の活版印刷による英和辞書を著す。

中近世
1341年(暦応4年) - 島津貞久が東福寺城を奪取し、鹿児島に拠点を獲得する。
1387年(嘉慶元年) - 島津氏久が清水城を築城し、守護所とする(城下町としての鹿児島開府)。
1394年(応永元年) - 島津元久が福昌寺を建立し、同氏の菩提寺とする。
1549年(天文18年) - フランシスコ・ザビエルによりキリスト教が伝えられる。
1550年(天文19年) - 島津貴久が御内館(内城)を築城し、清水城より守護所を移転する。
1601年(慶長6年) - 島津家久が鹿児島城を築城し、鹿児島藩庁を置く。
1658年(万治元年) - 島津光久が仙厳園を造園する。

近現代
1871年(明治4年)8月29日 - 廃藩置県により鹿児島府下山下町(現在の鹿児島市山下町)に県庁が設置される。
1889年(明治22年)4月1日 - 市制が施行されたのに伴い、旧鹿児島城下46町及び旧近在の内1町3村の区域を以て鹿児島市が成立[17]。
1901年(明治34年)6月10日 - 市内初の鉄道路線となる鹿児島本線(現・日豊本線)国分-鹿児島間が開業。
1913年(大正2年)10月11日 - 川内線(現・鹿児島本線)が開業。
1914年(大正3年)1月12日 - 桜島が大噴火し、同時にマグニチュード7級の桜島地震が発生[18]。死者58名。これにより桜島は大隅半島と地続きになった(大正大噴火)。
1916年(大正5年)10月14日 - 鹿児島電気軌道により日本で四番目である鴨池動物園(現・平川動物公園)が現在のイオン鹿児島鴨池店(旧ダイエー鹿児島店)敷地に開園[19]。
1928年(昭和3年)7月1日 - 市内の路面電車路線を市営に移管し、鹿児島市電気局(現・鹿児島市交通局)が発足。
1934年(昭和10年)11月3日 - 全国で七番目、九州で最初に青果・水産を併せ持った鹿児島中央卸売市場が住吉町に完成。
1945年(昭和20年)6月17日 - 鹿児島大空襲。死者約2,300名[20]。
1955年(昭和30年) - 山之口町などで公共下水道の供用開始。終末処理場を持つ公共下水道としては大阪市以西では最初で、同時に全国でも戦後最も早く工事に着手・完工し、戦中・戦後を含めて全国で7番目の公共下水道となる。
1967年(昭和42年)4月29日 - 南側に隣接する谷山市と新設合併し新制の鹿児島市となる。
1976年(昭和51年)1月31日 - 鹿児島市立病院で日本初の五つ子が誕生。
1980年(昭和55年)7月10日 - 人口50万人を突破[21]。
1984年(昭和59年) - 日本で初めて平川動物公園にてコアラの飼育が開始された[19](他に多摩動物公園・東山動物園がある)。
1989年(平成元年) - 市制施行100周年。
1993年(平成5年)6月12日より長期的な異常多雨。8月6日、甲突川が氾濫。死者・行方不明者81名。平成5年鹿児島大水害(いわゆる8.6水害)と呼ばれる。甲突川に架かる五石橋のうち、新上橋と武之橋が流出する。この年、鹿児島市では年降水量4,022mmを記録。
1996年(平成8年)4月1日 - 第一期の中核市に指定される。
1996年(平成8年)11月 - それまで山下町にあった鹿児島県庁が鴨池新町に移転。
2003年(平成15年)1月24日 - 鹿児島郡吉田町、桜島町、日置郡松元町、郡山町、揖宿郡喜入町とともに鹿児島地区合併協議会を設置。
2004年(平成16年)11月1日 - 上記合併協議会の各町を編入。人口60万人を突破。

沿革
行政区域の変遷
市制施行地
伊敷村・東桜島村を廃し鹿児島市に編入する件
鹿児島市・谷山市を廃し鹿児島市を置く件
吉田町・桜島町・喜入町・松元町・郡山町を廃し鹿児島市に編入する件
1889年4月1日 市制町村制施行に伴い、鹿児島城下47町及び鹿児島近在3村の区域より鹿児島市が発足。
同時に、現在の市域に相当する以下の各村が発足。カッコ内は郡制施行に伴う郡統廃合後の所属郡。
鹿児島郡:吉野村・中郡宇村・西武田村・伊敷村・吉田村
北大隅郡(鹿児島郡):西桜島村・東桜島村
谿山郡(鹿児島郡):谷山村
日置郡:上伊集院村・下伊集院村・郡山村
給黎郡(揖宿郡):喜入村
1897年4月1日【郡区画改正】郡の統廃合が行われる。
1911年9月30日 【編入】伊敷村大字下伊敷字草牟田(草牟田)および西武田村大字武の一部(武、天保山)⇒鹿児島市[22]
1920年10月1日 【編入】伊敷村大字下伊敷字紙屋谷(玉里)および伊敷村大字永吉(永吉、原良)⇒鹿児島市[22]
1924年9月1日 【町制施行】谷山村⇒谷山町
1934年8月1日 【編入】吉野村・中郡宇村・西武田村⇒鹿児島市
1950年10月1日 【編入】伊敷村・東桜島村⇒鹿児島市
1956年9月30日 【分割編入・町制施行】郡山村・下伊集院村大字有屋田および大字嶽⇒郡山町(下伊集院村の残りの区域は伊集院町・東市来町および日吉町に編入)
1956年10月15日 【町制施行】喜入村⇒喜入町
1958年10月1日 【市制施行】谷山町⇒谷山市
1960年4月1日 【町制施行・改称】上伊集院村⇒松元町
1967年4月29日 【新設合併】鹿児島市・谷山市⇒鹿児島市
1972年11月1日 【町制施行】吉田村⇒吉田町
1973年5月1日 【町制施行・改称】西桜島村⇒桜島町
2004年11月1日 【編入】吉田町・桜島町・松元町・郡山町・喜入町⇒鹿児島市

地域区分と市役所支所
北部
吉田支所:〒891-1392 鹿児島市本城町1696番地
郡山支所:〒891-1192 鹿児島市郡山町141番地
伊敷支所:〒890-0008 鹿児島市伊敷五丁目15番1号
吉野支所:〒892-0871 鹿児島市吉野町3256番地3
東部
桜島支所:〒891-1415 鹿児島市桜島藤野町1439番地
東桜島支所:〒891-1543 鹿児島市東桜島町863番地1
中部
本庁(本館・別館・東別館・みなと大通り別館):〒892-8677 鹿児島市山下町11番1号
鹿児島中央駅市民サービスステーション:〒890-0053 鹿児島市中央町1番1号鹿児島中央駅西口1階(出逢い杉前)
鴨池市民サービスステーション:〒890-0063 鹿児島市鴨池二丁目26番30号 イオン鹿児島鴨池店2階
鹿児島市教育総合センター(鹿児島市教育委員会本庁舎):〒892-0816 鹿児島市山下町6番1号
西部
松元支所:〒899-2792 鹿児島市上谷口町2883番地
南部
谷山支所:〒891-0194 鹿児島市谷山中央四丁目4927番地
喜入支所:〒891-0203 鹿児島市喜入町7000番地
消防
鹿児島市消防局:〒892-0816 鹿児島市山下町15番1号
鹿児島市消防団 (本部):〒892-0816 鹿児島市山下町15番1号 ※事務所管は鹿児島市消防局
第一方面隊
川内地区:川上分団・吉野分団・吉野東分団・坂元分団・竜水分団・清水分団・大竜分団・名山分団・中央分団・山下分団・城南分団・草牟田分団
吉田地区:佐多浦分団・本城分団・本名分団・宮分団・牟礼岡分団
第二方面隊
川外地区:城西分団・武分団・荒田分団・八幡分団・中郡分団・真砂分団・南分団・紫原分団・宇宿分団・田上分団・西別府分団
松元地区:松元分団・石谷分団・東昌分団・春山分団
第三方面隊
伊敷地区:伊敷分団・西伊敷分団・下伊敷分団・小野分団・武岡分団・犬迫分団・小山田分団・比志島分団・皆房分団
郡山地区:郡山中央分団・南方分団・花尾分団・八重分団・西有里分団・郡山岳町分団
第四方面隊
桜島東地区:湯之分団・桜塚分団・改新分団・黒神分団・高免分団
桜島西地区:桜洲分団・桜島中央分団・桜峰分団・赤生原分団・二俣分団
第五方面隊
谷山地区:谷山分団・宮川分団・山田分団・中山分団・和田分団・平川分団・福平分団・錫山分団
喜入地区:瀬々串分団・中名分団・喜入分団・一倉分団・前之浜分団・生見分団
病院
鹿児島市立病院:〒892-8580 鹿児島市上荒田町37番1号
水道
鹿児島市水道局(本局):〒890-0064 鹿児島市鴨池新町1番10号
交通(市電・市バス)
鹿児島市交通局(本局):〒890-0051 鹿児島市上荒田町37番20号
交通(フェリー)
鹿児島市船舶局(本局):〒891-1419 鹿児島市桜島横山町61-4

財政
当初予算規模(2009年度[24])
2045億0600万円(一般会計)
1008億0200万円(特別会計)
県の行政機関
行政
鹿児島県議会
鹿児島県庁
鹿児島地域振興局
かごしま県民交流センター
鹿児島県教育委員会
警察
鹿児島県警察
鹿児島中央警察署(中央本庁、桜島支所、東桜島支所、吉野支所、吉田支所(一部)、伊敷支所(一部)管内)
鹿児島西警察署(伊敷支所、吉田支所、郡山支所、松元支所管内)
鹿児島南警察署(谷山支所、喜入支所管内)
南九州警察署(谷山支所(一部)管内)

国の行政機関

鹿児島地方検察庁

鹿児島地方裁判所・家庭裁判所・簡易裁判所
総務省
鹿児島行政評価事務所
法務省
鹿児島地方検察庁
鹿児島地方法務局
財務省
九州財務局 鹿児島財務事務所
熊本国税局 鹿児島税務署
厚生労働省
鹿児島労働局
農林水産省
九州農政局 鹿児島農政事務所
九州森林管理局 鹿児島森林管理署
国土交通省
九州地方整備局 鹿児島国道事務所、鹿児島営繕事務所、鹿児島港湾・空港整備事務所
九州運輸局 鹿児島運輸支局
海上保安庁 第十管区海上保安本部:鹿児島、宮崎、熊本の南九州3県を管轄
防衛省
九州防衛局 熊本防衛支局 鹿児島防衛事務所
自衛隊鹿児島地方協力本部

裁判所
鹿児島地方裁判所
鹿児島家庭裁判所
鹿児島簡易裁判所

市内に本庁を設置する他の地方公共団体
十島村役場
三島村役場

経済
繁華街・商業地区
近年まで、鹿児島市やその周辺で「街」と言えば「天文館」と通じる程、市内中心部の天文館地区が絶対的な繁華街であった。これは、鹿児島市がその時間距離のため北部九州の影響を受けにくかったこと、また平地が極端に少なく、地価も同規模の都市と比較して割高で中央資本や大型ロードサイド店舗の進出が遅かったことなどの理由による。
しかし、九州新幹線の一部開業を契機とした鹿児島中央駅周辺地区の一体的大規模開発や都市計画用途指定の緩和に伴う郊外型大型店舗の増加によって、天文館地区以外の商業地も発展してきた。九州新幹線開業による北部九州へのストロー効果は今のところ限定的であるが、商圏内における鹿児島中央駅周辺地区や郊外大型店舗とのエリア間競争は激化している。

鹿児島県下最大の繁華街。天文館地域(その周辺も含む)には南九州地域を管轄する支社を各企業が設置しており、南九州地域の中心地的機能も有する。特に飲食エリアの千日町・山之口町は同規模の人口の街では最大級であり、全国でも屈指の夜の街である。
「天文館」という地名はエリア全体を指す通称で、島津家25代当主島津重豪がこの地に建てた天体観測所「明時館」の別名に由来する。
まちの輪郭と特長は、片屋根式アーケードが設置されているメインストリートの「天文館電車通り」を中心に、比較的道幅の狭い全冠式アーケードが迷路のように交わり、細い路地に至るまでカラー舗装され、エリア内は間口の狭い中小規模の雑居ビルがひしめきあい、散策には適した繁華街である。課題としては、同規模の都市に比べ大型複合商業施設が少なく、テナントビルの時代対応も遅れがちであるため、高級ブランド正規直営店などの進出もやや遅れがちであることや、電車通りなどのメインストリートは電線地中化・街灯敷設などの街路整備がほぼ完了しているが、これらに接する文化通りなどの街路や路地では整備途上であることが挙げられる。今後これらの課題を着実に改善すれば、繁華街としての魅力が更に高まることが期待できる。
近況としては、前述の商圏内におけるエリア間競争の激化の影響を受け、天文館・いづろ地区の歩行者通行量が1998年から2006年の8年間でマイナス45.1%という大幅な減少となり、2006年末には映画の灯が消え(2010年4月に復活)、街の中核となっていた老舗ホテル(いわさきホテルザビエル450)の解体更地化や、核店舗の一つであった三越鹿児島店が撤退するという事態となった。三越鹿児島店の後継店舗として2010年4月に複合商業施設マルヤガーデンズが開業するなど天文館復活に向けた取り組みも進められている。なお、空き店舗率は、2011年で9.9%に上ったが、2012年には6.6%に改善している。
なお、国土交通省の都市・地域整備局が2005(平成17)年にまとめた報告書、中心市街地再生のためのまちづくりのあり方に関する研究では、鹿児島市と旧静岡市が良い例として掲載されている。
主な商業施設
山形屋・マルヤガーデンズ・タカプラ・カリーノ天文館・さつま屋・キャパルポ・NCサンプラザ・ヴィストラルビル(丸善天文館店)・LAZO表参道(核テナント:天文館シネマパラダイス)・城山VIPプラザ他
アーケードおよび通りの総称
アーケード
いづろ通り・照国表参道通り・天文館通り・天文館本通り・天文館電車通・天文館G3(千日通り)・にぎわい通り・はいから通り・中町コアモール・中町本通り・中町ベルク・ぴらもーる(天神おつきや商店街)・金生通り・納屋通り
モール
テンパーク通り・ゴンザ通り・七味小路通り・セピア通り・グルメ通り・おつきや東通り・天文館一丁目商店街・呉服町通り
歓楽街
文化通り・中町別院通り・中町中通り・中町御堂筋通・銀座通り・プリンス松山通り・船津町通り・松原本通り・天文館文化通り・萩原通り・二本松馬場通り・山之口町中通り・山之口本通り・二官橋通り・樋之口本通り・山之口電車通り・高見馬場通り・山之口本通り・二官通り


鹿児島中央駅地区

夜のアミュプラザ鹿児島(2006年)
鹿児島中央駅を中心に、放射状に広がる商業地区。その多くは駅前の青空マーケットや神社の参道の商店街から発展したもので、どちらかといえば庶民的な商品や衣料品に強い商店が多い。最近、九州新幹線の開業を契機とした駅施設や県内最大級の大規模商業施設を含めたインフラ・アクセス等の一体整備により大きく変貌を遂げ、周辺地域の各種再開発構想に大きな影響を与えつつある。以下の商店街や施設及び通りから成る。
主な商店街
中央駅一番街アーケード(IっDO)・ベル通り・文化通り・都通り・宮田通り・西田一丁目黄金通り・黄金通り・西銀座通り・一條通り・中央駅前本通り・西田通り・中央町本通り・あけぼの通り・甲南本通り・ゾウさんのはな通り・中央駅前朝市通り
主な商業施設 - 鹿児島中央駅を軸として、全て連絡の公共地下通路(つばめロード)で連結されている。
アミュプラザ鹿児島(核店舗:東急ハンズ)・えきマチ1丁目鹿児島(核店舗:ビックカメラ)・キャンセビル(イオン鹿児島中央店)・鹿児島中央ターミナルビル(2012年4月開業)・かごっまふるさと屋台村(2012年4月開業)

上町地区
JR鹿児島駅の北東方向周辺などを地元では通称、上町(かんまち)と呼ぶ。500年以上の歴史を誇る古くからの商業地である竪馬場(たてばば)、離島や大隅半島への卸問屋街から派生した小川町・易居町(やすいちょう)などの商店街からなる。大型商業施設では、再開発により1990年代前半に完成したアーバンポート21がある。近隣にある通称「名山堀」といった市役所周辺の飲食店街も同エリアに含まれると解釈される場合もある。鹿児島本港の臨港再開発エリアにNHK鹿児島放送局の新会館(2006年12月竣工)が完成しドルフィンポートとの間に人の流れが出来れば、今後新たな展開が予想される可能性も残されている。
主な商業施設・商店街
ドルフィンポート、竪馬場通り商店街・小川町商店街・易居町商店街・滑川朝市・名山堀飲食街

鴨池地区
鹿児島県庁舎
与次郎ヶ浜エリア
与次郎1・2丁目と天保山町などを含む臨海部のエリアを指し、もともとは塩田に利用されていた干潟であったが、天保山町は、1930年代にNHK鹿児島放送局の開局、鹿児島水産専門学校(現・鹿児島大学水産学部)の開校により街が開かれる。与次郎ヶ浜地区は1972年の太陽国体の競技施設建設のために埋立られたエリアであったが、観光地区条例が制定されていたため、ごく最近まで居住人口がゼロに近かった。しかし条例解除後の最近は九州電力鹿児島ビル、南日本新聞会館も高層ビルを新築移転、県外資本を中心に大規模分譲マンションも増えてその姿を変えつつある。2006年10月、フレスポジャングルパークSC(TOHOシネマズ、半田屋などが入居)が開業した。
騎射場(きしゃば)エリア
荒田1・2丁目及び下荒田1〜4丁目及び上荒田町付近の商店群の通称。もともとは鹿児島大学周辺の学生街から発展、現在は学生向けの飲食店街を中心にダイニングレストラン、趣味の専門店、ディスカウント店、大型食品スーパー、パチンコ店、高層マンションなどが混在している。モスバーガー・リンガーハット等も1980年代初頭このエリアに鹿児島1号店が出来たために若者向けの客層を狙う業種は必ずこのエリアには出店する。
郡元(こおりもと)・宇宿(うすき)エリア
郡元2丁目、鴨池1・2丁目、鴨池新町、真砂町、真砂本町、東郡元町、宇宿1・2丁目の周辺を指す。鴨池新町は旧鹿児島空港跡地であり、1970年代中半に日本住宅公団により鴨池ニュータウンが開設された。同時期に郡元には鹿児島ショッパーズプラザ(ダイエー鹿児島店を経て現在はイオン鹿児島鴨池店)が開設され、商業地化が進行した。隣接する騎射場エリアや与次郎エリアとは相互に影響しあっている。歴史の浅い新興エリアながら1983年には鹿児島東急ホテルが開業、1985年にはJA鹿児島県経済連が新築移転、1992年には第十管区海上保安本部・鹿児島地方気象台などが入居する鹿児島第二合同庁舎ビルが完成、1990年代後半には鹿児島県庁・鹿児島県警察本部・鹿児島県議会議事堂が移転と年を追うごとに発展し続けている。同エリアには垂水フェリーの乗場・市電の郡元電停・指宿枕崎線と市電の相互乗換えが可能なJR南鹿児島駅など、公共交通の要衝も多数存在する。ただ幹線道路は、南北を縦貫する幹線を中心に先述の交通渋滞が激しい場所の一つである(国道225号と産業道路の分岐点が存在するため)。
谷山地区(鹿児島市南部)

イオンモール鹿児島
中山(ちゅうざん)エリア
東谷山1 - 7丁目、自由ヶ丘1・2丁目、中山1・2丁目、山田町などを指す。市南部の市道中山バイパスと笹貫バイパスの沿道は、市内では産業道路や吉野町に次いでロードサイド専門店が集積する数少ないエリア。周辺の丘陵部には桜ケ丘・皇徳寺(こうとくじ)・星ヶ峯(ほしがみね)などの大型新興住宅地がひかえ、産業道路や九州自動車道に接続する指宿スカイラインへのアクセスも便利。中山バイパスは、歩道も幅広で中央分離帯・水銀街灯も完全完備のゆったりした四車線道路のため、最近は県外大手チェーンもここに出店するようになった。
新たな商業施設
ラウンドワン鹿児島店・ニトリ鹿児島南栄店・スクエアモール鹿児島宇宿・サンキュー新栄店・N's CITYニシムタ谷山店・イオン鹿児島谷山店・イオンモール鹿児島(旧:イオン鹿児島SC)・オプシアミスミ・ホームセンターきたやま東開店・ホームセンターハンズマン宇宿店・ホームプラザナフコ 鹿児島東開店

本社を置く企業
薩摩恵比寿堂
鹿児島酸素
健康家族
河内源一郎商店
しか屋
鹿児島酒造
坂元醸造
薩摩酒造
横山醸造
東醸造
本坊酒造
小正醸造
山元酒造
サツマ酸素工業
ミドリ薬品
西日本シロアリ
日本ガス
コーアガス日本
アクシーズ
カクイ
サンケイ化学
セイカ食品
有村屋
原田屋
南海食品
南海堂
大阪屋製菓
康正産業
寿福産業
焼肉なべしま
さつま
Misumi
今別府産業
米盛建設
高島屋開発
川商ハウス
新日本科学
しんぷく
南っこ
ニシムタ
正一電気
タイヨー
インハウス久永
カコイエレクトロ
山形屋
山形屋ストア
鹿児島ターミナルビル
エーコープ鹿児島
コープかごしま
西原商会
迫田
靴の尚美堂
眼鏡の光学堂
南国殖産
加根又本店
南九州ファミリーマート
南九州サンクス
南九州ヤマダ電機
鹿児島ファコムセンタ
富士通鹿児島インフォネット
渕上印刷
センコウ
長島商事
城山観光
島津興業
鹿児島水処理
岩崎産業

鹿児島海陸運送
マリックスライン
鹿児島商船
市丸グループ
コスモライン
折田汽船
西川グループ
タイセイグループ
南国交通
鹿児島交通
いわさきバスネットワーク
鹿児島銀行
南日本銀行
鹿児島相互信用金庫
鹿児島信用金庫
鹿児島興業信用組合
エスライン九州
南日本新聞社
奄美海運
ソフトマックス
コーアツ工業

漁業
谷山漁港

文化
スポーツ
鹿児島レブナイズ(バスケットボールジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ)
鹿児島ユナイテッドFC(サッカーJリーグ)
ジュ ブリーレ 鹿児島(女子サッカー・九州女子サッカーリーグ)
鹿児島ホワイトウェーブ(社会人野球クラブチーム)
甲南クラブ(社会人ラグビークラブチーム)

名物
あくまき、春駒、かるかん、両棒餅、かすたどん、金生饅頭、げたんはなどの菓子全般、鹿児島ラーメン、鰹料理、キビナゴ刺身、酒寿司、薩摩揚げ、鶏刺し、薩摩地鶏の炭火焼、焼酎、白くま、そうめん流し、豚骨煮、味噌おでん (鹿児島風)、黒豚わっぜえか丼、鹿児島茶、ツルレイシ、タケノコ、サツマイモ、桜島大根、桜島小蜜柑等
県庁所在地における泉源数、温泉を用いた公衆浴場の数が日本一

観光[編集]
名所・旧跡[編集]

鹿児島城

仙巌園から望む桜島

尚古集成館

照国神社
鹿児島城
島津氏77万石の居城、別名「鶴丸城」。館造りで天守はなかった。現在は石垣と堀の一部が残る。
仙巌園(磯庭園)
明治時代は島津家の本邸となっており、桜島を庭園の一部に取り入れた「借景庭園」となっている。1958年(昭和33年)に国の名勝に指定された。
尚古集成館
薩英戦争後に集成館事業で建てられた日本初の洋式石造建築物。現在は当時の殖産興業の数々と島津氏800年の展示資料がある。明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産の一部である。
異人館(旧鹿児島紡績所技師館)
薩摩藩時代に外国人技師の宿泊所として造られた。1959年(昭和34年)2月25日に国の史跡に指定され、1962年には建造物として国の重要文化財に指定された。
照国神社
薩摩藩の名君島津斉彬が祀られている。
南洲神社
下竜尾町。西郷隆盛他、西南戦争の戦死者が祀られている。
花尾神社
花尾町。丹後局が祀られている。
城山公園
頂上は展望台、途中の道筋には西郷隆盛が西南戦争終結前の最期を過ごした「西郷洞窟」などの史跡がある。城山は永年、地元では神聖なる場とされ、一部を除き人の手が加わる事がなかったため、鹿児島市で唯一の原生林や手付かずの自然が多く残っている。
私学校跡
現存している石積の外塀には西南戦争の城山総攻撃時に出来た生々しい弾痕が多数見られる。 敷地は国立病院機構鹿児島医療センターとして利用されている。
若き薩摩の群像
幕末に英国に密航した青年薩摩藩士たちの勇気と功績を称える銅像。JR鹿児島中央駅前の広場に建つ。
西郷隆盛銅像
市立美術館の近く、国道10号沿い。陸軍大将の正装姿。
大久保利通銅像
甲突川沿いの高見橋(鹿児島中央駅近く)のたもとにある。
五代友厚銅像
幕末の薩摩藩士で大阪商工会議所初代会頭。朝日通り、国道58号沿いの泉公園の一角建つ。
小松清廉像
鹿児島県文化センター(宝山ホール)前に立つ。幕末の薩摩藩士で薩摩人には珍しく理知的かつ現実主義で非常に冷静な人物だったといわれる。像の姿は二条城内で徳川慶喜に対して大政奉還の書面に署名するように迫っている様とのことである。
道路開鑿記念碑
「県内の道路網建設の苦闘を後世の人々に申し伝える記念碑」国道225、3、10号基点近くの鹿児島市山下町の中央公園(テンパーク)近くにある。
平田靱負銅像
薩摩藩の悲劇の家老、江戸幕府の命により難航を極めた木曽川治水工事(堤の造営、宝暦治水事件)を指揮を執る。国道3号沿いの平之町の平田公園に建つ。なお岩崎谷(城山町)には薩摩義士碑文があり平田靫負を含む犠牲になった多く薩摩藩士が奉られている。同所の常夜灯の碑文には東郷平八郎により「義烈泣鬼神(ぎれつきしんもなく)」と書かれている。
向田邦子住居跡
平之町。幼少期に東邦生命鹿児島支社長として赴任した父の転勤に従って数年過ごした場所で当時の社宅跡、小説『父への詫び状』等で描かれ、ここでの生活はその後の人生に終生影響を与える。
坂本竜馬、おりょうの新婚旅行の碑
与次郎の天保山公園の近くにあり碑文の袂に竜馬とおりょうの旅姿の小さなレリーフ。新撰組に追われ、小松清廉の支援で薩摩へ逃避行し怪我が癒えるまで滞在。その際、竜馬と恋女房のおりょうは、有名な霧島温泉への湯治以外にも薩摩藩の領内を何ヶ所か物見遊山した。これが「日本初のハネムーン」だといわれる。ちなみに開聞岳の異名「薩摩富士」も遊山の折に竜馬が命名したと伝えられている。

レジャースポット[編集]

鹿児島市平川動物公園

いおワールドかごしま水族館

ドルフィンポート

鹿児島市立美術館

鹿児島県歴史資料センター黎明館

維新ふるさと館
桜島
24時間運航の桜島フェリーで行き来できる。以前は大正溶岩の跡と展望台ぐらいしかスポットが無かったが、近年は桜島港の横の「桜島レインボービーチ(人工海岸)」や「恐竜公園」ができ、家族連れでも楽しめるようになった。また2006年3月には赤水採石場跡地(長渕桜島コンサート跡地)に『叫びの肖像』も完成、長渕剛のファンを含め、音楽を愛する若者達の来訪も増えている。国立公園内のため周辺の景観に配慮した桜島限定の溶岩色をしたローソンやファミリーマートもあり、観光に訪れた人たちがよく写真に納める姿が見られる。
磯海岸
鹿児島市内で唯一の天然の海岸。海と山に囲まれ潮騒や汽笛が聞こえる。夏季は海水浴客、それ以外はウインドサーフィンで賑わう。季節の風物としては「桜島遠泳」のゴール地点になっており、冬場は武道の寒稽古の場などにも利用されている。
平川動物公園
前身の鴨池動物園は1916年に開園。1973年に鹿児島市平川町に移転した。園内から眺める桜島と鹿児島市街地は美しい。コアラの家族数は日本一で、何度も出産に成功している。また園内で栽培されているユーカリの木は飼育の餌となり他の動物園にもお裾分けされている。
いおワールドかごしま水族館
鹿児島本港北埠頭にある、港のシンボル的な建築物。建物は豪州・シドニーのオペラハウスをイメージしたといわれている。テーマは黒潮の恵みを受けた鹿児島周辺の近海魚。ジンベイザメの飼育には実績がある。
ドルフィンポート
本港新町。2005年4月オープン、総木造二階建で日本唯一の第一種大型商業施設。
NHK鹿児島放送局
鹿児島港の新放送会館の階上には展望ロビーが設置されている。アンテナタワーは薩摩切子をイメージしている。
鹿児島港
港町でもある鹿児島のランドマーク。特に本港区は1990年代後半に再開発により美しく整備された。
海づり公園
鴨池新町にある。割安な料金で釣堀感覚の海つりが楽しめる。鹿児島湾は深いため近海魚の宝庫であり、季節により様々な魚を釣り上げることが可能。
鹿児島市立美術館
山下町の国道10号沿いの西郷銅像並びにある。公営の美術館としては地方都市では古い部類に属する。黒田清輝などの郷土出身の画家の常設展示以外に二科展などの会場にもなる。
アミュプラザ鹿児島
JR鹿児島中央駅ビルの複合商業施設。シネコンや観覧車「アミュラン」など、みる、買う、味わう、あそぶ、愉しむ、かごしまの今が凝縮されたスポット。
天文館むじゃき
天文館G3アーケード内の本店は名物のフルーツ入りかき氷である元祖しろくま発祥の店で、年中テイクアウトも可能。入口の白熊の張りぼては、観光客に人気。
鹿児島市電と芝生軌道
動く観光スポット。全区間一律160円。2006年以降、軌道敷を芝生で緑化する作業が行われている。
黎明館
鹿児島城の本丸跡地に在る。古代から現代までの鹿児島県の自然や歴史の流れや文化風俗に到るまで分かりやすく展示している。
甲突川岸
平田橋から天保山大橋まで川岸は緑地帯になっており、西郷隆盛や大久保利通など数多くの明治維新の立役者の生家が集中するエリア。
維新ふるさと館
鹿児島中央駅から徒歩圏の甲突川岸にあり、郷土から出た明治維新の立役者の業績や生涯などを中心とした博物館である。
マングローブの林
指宿枕崎線・生見駅で下車。同所が自生する北限であろうと推測されている。地元民もあまり知らないので、事前に位置を確認した上で訪れるた方が良い。
かごしま環境未来館
県民・市民への環境保全活動のPRを図る公共施設。
歴史的・学術的建造物

新波止場砲台跡

鹿児島県立博物館

鹿児島市中央公民館

鹿児島県立甲南高等学校(国の登録有形文化財)

鹿児島県立鹿児島中央高等学校(国の登録有形文化財)

鹿児島工業高等学校の大煙突
山形屋鹿児島本店[
大正時代に神戸以西ではじめて竣工した鉄筋コンクリート造りの近代的百貨店。
重富荘
清水町。個人所有だが、元は島津家の別邸の一つであった。日本庭園や池も美しく望む借景の鹿児島湾、桜島は素晴らしい。建物・庭園が一体として歴史的・民俗学な価値がある。明治維新後は華族となった島津家の資産の一つであったが、戦後はお狩場焼きで有名な料理旅館「重富荘」として県内外に知られ、著名人の会食の場にも度々活用されてきた。
祇園之洲
祇園之洲町。薩英戦争時の砲台設置の為に埋立てられた台場。
石橋記念公園
浜町。甲突川にかつて架かっていた五石橋のうち、西田橋を含めた3つが移設保存されている。
新波止
薩摩藩政時代の末期に築造された石組造の防波堤、桜島フェリーターミナル近くの路上に一部現存する。
鹿児島港の倉庫群
本港区北埠頭の背後地域に多くみられる。20世紀初頭の1906年-1925年頃にかけて造られた灰色の花崗岩の石組造でこのような様式は鹿児島以外ではあまりみられない、現在は店舗等に活用されるが、うち一部は現役として活躍中。
豊産業本社屋
泉町の本港区北埠頭近くの海運問屋の社屋で現在でも実際に社屋として使用されている。大正時代末から昭和初年で寄棟の瓦屋根に石目の化粧が施されたコンクリート折衷のモダンで味わい深い建築物である。
考古資料館
照国神社近く、19世紀末(1883年)建造の建築史学的にも貴重な建物。2008年1月現在、建物内部に入ることは出来ない。
鹿児島銀行別館
山形屋の真向かいにある現在の本店の裏側にある。鉄筋コンクリート造、昭和初年の1918年に竣工。
南日本銀行本店
山下町の電車通沿い、1935年(昭和10年)竣工の鹿児島県内初の近代的な鉄筋コンクリートオフィスビルであるが、国の登録有形文化財に登録されている。外観デザインは当時流行した曲線と流線型が全体的に多用され女性的な美しいフォルムが特徴。上層階の一部が後年増築されているが、それを除いても銀行の本店社屋としては当時は九州でも屈指の規模だったようだ。
鹿児島市役所本館
昭和初期の1937年竣工の鉄筋コンクリート建築で、設計監理は国会議事堂を担当した大蔵省営繕管財局工務部。建築様式は、日比谷公会堂、陸上自衛隊市ヶ谷講堂(現存せず)、東京大学安田講堂などと共通点が多い。特徴は建物の背部(山側)にまで丁寧な化粧仕上げが前面同様に施されていえることであり、これは当時の建築物では極めて異例なことである。
照国神社の大鳥居
昭和時代初頭に当時としては大規模な鉄筋コンクリート造りの建造物で貴重な史料である。
県立博物館
照国神社近く、1927年(昭和2年)に九州で初めて鉄筋コンクリート造の中央図書館として建てられた。流線型の女性的な外観もなることながら、コンクリート内壁に施されたスタッコ仕上げの紋様も印象的である。
県政記念館
長田町の旧鹿児島県庁跡地、県民交流センターの入口付近に建つ。明治時代末に建築された旧鹿児島県庁本館の一部を移築保存した建物。
中央公民館
山下町の西郷銅像の近く。竣工当時は鹿児島市公会堂だった。設計者は明治時代の有名な建築家辰野金吾で、1927年に建築された。現在でも現役のホールとして活躍中。
県教育会館
山下町の中央公園(通称テンパーク)の一角に建つ。昭和初頭の鉄筋コンクリートの建造物で建築デザインや内装仕上げは修作といわれている。
鹿児島県立甲南高等学校校舎
鹿児島中央駅近く、鉄筋コンクリート造。当時流行したスマートな流線型を多用しており現在でも新鮮なデザインである。現在も内装を改修して使われている。2007年7月に国の登録有形文化財に登録された。
鹿児島県立鹿児島中央高等学校校舎
市電加治屋町停留場近く、旧制鹿児島一高女校舎として甲南高校校舎と同時代に竣工。アーチ式の開口部を多用したエントランスの仕上げは芸術的で美しい。甲南高校と共に2007年7月に国の登録有形文化財に登録された。
鹿児島県立鹿児島工業高等学校の「大煙突」
鹿児島市草牟田町の同校敷地内にある。1920年に竣工された煙突部分と台座部分はいずれも耐火煉瓦詰。恐らく市内の現存する煙突では最古と思われる。優雅で美しく一見の価値あり。
日本ガス本社
1931年竣工の鉄筋コンクリート造。鹿児島中央駅前のナポリ通り沿いにある鹿児島の都市ガス供給者の本社社屋。道路から少し引込んでいるため見え辛い。
信号塔
高見馬場交差点の一角に建鉄筋コンクリート造りの奇妙な見張り台は鹿児島市電専用の手動式信号所で昭和20年代につくられた。レールのポイント切替等も手動で可能。完成後、およそ10数年程は人が配置されていたようだ。現在は非常用設備。
西郷屋敷
磯海岸の近くにある。西郷隆盛が狩りの際に使用したと伝えられる藁葺屋根の木造日本家屋。中に入る事は出来ないが幕末から明治時代にかけての南九州の平均的な民家の特徴がよく出ており、建築に加えて民俗学的資料としても評価に値する。
鹿児島ザビエル教会
東千石町。歴史的建造物には該当しないがカトリック教会には珍しくコンクリート打ちっぱなしの現代建築の様式をとっている。1999年に新築された。デザインが斬新で機能美に優れているため、建築専門誌『新建築』のグラビア特集で紹介された。
グルメスポット
天文館
南九州最大の繁華街、歓楽街。歓楽街の色合いの強い「文化通り」、山之口町の界隈のほか、東千石町の「七味小路」
や「グルメ通り」には、薩摩の伝統料理の老舗などの名店が軒を連ねる。
『鹿児島味の小径』
鹿児島中央駅のアミュプラザ鹿児島の地下1階にある郷土の名物料理を中心にした飲食街。鹿児島ラーメンや元祖氷白熊などが味わえる。
山形屋の大食堂[
最上階の七階にあり桜島を窓越しに眺めながらいろんなものをお値ごろに楽しく食事できる。長崎皿うどん風のかたやきそばは、来店者の大半が注文する程で50数年来不変の人気メニュー。夏季の夜は臨時で涼しいビアホール営業もされており、こちらも人気が高い。
名山堀飲食街
市役所近くの下町の長屋風の懐かしい飲み屋街だが、本格的な味の店も多く来鹿する芸能人・著名人のお忍び来店がある。
騎射場
鹿児島大学近くの飲食街。ディープだが美味しい店が多い。
朝市
南国の新鮮食材が一堂に揃い市場内の食堂や露天では格安で美味しいB級の郷土料理が味わえる穴場スポット。鹿児島中央駅前の西駅朝市と鹿児島港の北埠頭、鹿児島駅近くの小川町の滑川朝市がある。
じゃんぼ餅屋
仙巌園内の茶店や国道10号磯街道沿いにあり熱々の両棒餅とお茶が味わえる。「中川家」は有名な老舗で映画『男はつらいよ』でも登場した。渥美清は役を離れても好んだらしい。また「平田家」は長渕剛のお気に入りの店でもある。

温泉スポット
古里温泉
古里町。桜島に在り、1779年の安永大噴火で湧出。
公衆浴場
市内の各所に点在する観光向きではないが疲れを癒す手軽なスポット。ほぼすべて温泉が引かれており入湯料は格安で、大抵の温泉は360円(2009年現在)。分かりにくい場所も多いが、詳細を鹿児島中央駅の観光案内所で案内している。

展望・ドライブ・散策スポット

黎明みなと大橋
城山公園
城山町。鹿児島市で定番の展望台。
みなと大通り公園
鹿児島市役所前から鹿児島港まで大通りの中央のグリーンベルトは散策路のようになっており、ムーアの抽象彫刻がランドマークになっている。夜間のライトアップは非常に美しく日本の道100選などに選定されている。デートスポットでもあり近隣の名山堀飲食街の酔い醒ましの路でもある。
多賀山公園
清水町。鹿児島駅裏手の山で頂上からの眺めがよい。東郷平八郎元帥の銅像がある。
長島美術館
武三丁目。鹿児島中央駅の西口より車で5分。美術館の庭園は最近は市街地を見下ろす展望台としても有名。なお庭園内は亜熱帯植物が自生する北限でもある。
鹿児島県庁の展望台
鴨池新町。桜島・鹿児島湾・大隅半島が一望できる。冬場の快晴で空気が澄んでいる日には遠く霧島山系や開聞岳も望める。
アミュラン
中央町のJR鹿児島中央駅駅ビル・アミュプラザ鹿児島の屋上に設置されている大観覧車。一周は約15分で頂上付近の高さはおよそ90m。全てが透明なゴンドラが2基あるので地上とは一味違う動く展望台としても楽しめる。
唐湊墓地
隠れた展望スポット。高層ビルが林立する鴨池新町方面を中心とした景色が愉しめる。このポイントからの桜島の見え方は魅力的であり、夜景も美しい。
歴史と文化の道
鹿児島城前から照国神社の大鳥居前までの歩道の愛称。こぢんまりとしているが、沿道には西郷銅像、市立美術館、黎明館などの観光スポットと鉄筋造りの歴史的建築物が多い。歩道は石畳で美しく舗装されガス灯が等間隔で設置されている。ガス灯の総延長は現段階で仙台駅前の五番街を抜き日本一となった。また市立美術館から鹿児島県立図書館までの歩道脇には小さな堀端風の用水池がつくられ多くの錦鯉が放流されており、黎明館横の鹿児島城跡の堀には多くの蓮が自生しており、自然と四季の移ろいも感じることも出来る。
ナポリ通り・パース通り・工学部前通り
街路樹が美しく、幅広の中心市街地を代表する大通り。
天保山シーサイドブリッジ
天保山町。市街地の展望や桜島が美しい。
与次郎・鴨池新町
沿道のパームツリーや幅広い道路、潮風が心地よい南国の臨港地区のドライブスポット。
谷山臨港大橋
東開町。鹿児島湾と城山を背景に市街地中心部が望める。来るなら夕方から夜がお勧め。
木材港の埠頭
東開町。広々として眺めもよく気持ちよいスポット。夜になると釣り人達が車で集まるポイントでもある。
国道226号
指宿温泉へ向う幹線道路、パームツリーの街路樹、潮風が心地よい。ただし迂回路がないため、週末や朝夕や雨天時には渋滞箇所が多く発生する。
八重山公園
郡山町。薩摩川内市との境である入来峠の頂上付近にあるキャンプ場。かなり標高が高く天上から遠い市街地を眺める様で、一味違う展望を愉しめる。市内を流れる甲突川の水源にも近い。
県立吉野公園
吉野町。美しい緑地帯とここからの桜島の雄大な眺めが魅力。春には花見客でにぎわう。
牟礼ヶ岡ウインドファーム
市北部の丘陵地帯に建つ、国内では珍しく市街地に近いウインドファームである。

 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社