天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
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長崎県・平戸市20160601




基本情報
所在地:〒859-5192 平戸市岩の上町1508番地3 
電話:0950-22-4111


【Official site】

平戸市
平戸市(ひらどし)は、長崎県北西部の平戸島とその周辺を行政区域とする市で長崎県と九州本土の市としては最西端に位置する都市。旧平戸藩松浦氏の城下町で、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港だった。
旧平戸市は、平戸島と度島などの離島を行政区域としていたが、2005年10月1日に周辺の北松浦郡田平町・生月町・大島村と合併(新設合併)して新たに平戸市となった。これにより本土にも市域が拡大した。市役所は旧平戸市役所の建物が引き続き使用されている。

地理
長崎県北部の北松浦半島の北西端の地域、および同半島と平戸瀬戸を挟んで西向かいにある平戸島、そして平戸島の北西にある生月島(いきつきしま)、平戸島の真北にある度島(たくしま)、度島のさらに真北にある的山大島(あづちおおしま)を主な市域とする。位置は佐世保市から北西約25km、長崎市から北北西約80kmの距離である。平戸大橋で九州本土と平戸島がつながり、生月大橋で平戸島と生月島がつながっている。
平戸島の西端部は九州の最西端である神崎鼻(佐世保市)よりも西にあり、日本本土(北海道・本州・四国・九州)または日本本土との間を陸上交通のみで移動できる全地域の中で最も西にあたる。
山:安満岳・屏風岳・志々伎山・吹上山
河川:神曾根川・久吹川
ダム:箕ノ坪ダム・久吹ダム

隣接している市町村
松浦市
佐世保市

歴史
特に鎖国が行われる前の江戸時代初期までにおいては、対外貿易の中心として栄えていた。

近世以前
鎌倉時代
1191年(建久2年) - 栄西が留学先の南宋から平戸島に帰着する。
栄西は平戸滞在中に島内の冨春庵(現在の千光寺の場所)において日本で初めて禅宗を伝え、また庵裏山にこれも日本で初めて茶畑を作った。
1225年(元仁2年) - 松浦党の一族峯持(平戸松浦氏の祖)が小値賀から平戸に移り、館山(現在の松浦史料博物館裏山)に館を築く。
室町時代
1550年(天文19年) - 松浦隆信が南蛮貿易に進出、平戸港にポルトガルの貿易船が初めて入港。同年9月にはフランシスコ・ザビエルが平戸に来航し、キリスト教(カトリック)の布教を始める。
1561年(永禄4年) - 宮ノ前事件が発生、翌年からポルトガル船の貿易港が大村藩領の横瀬浦(現・西海市西海町横瀬)に替わる。
安土桃山時代
1584年(天正12年) - イスパニアの貿易船が入港。
1600年(慶長5年) - 松浦鎮信が徳川家康より6万3千石の領地を安堵され、平戸藩が確立。
江戸時代
1609年(慶長14年)- オランダが商館を設置。(以下、詳細はオランダ商館を参照)
1613年(慶長18年)- イギリスが商館を設置。
1615年(元和元年)- イギリス商館長リチャード・コックス、日本で初めてサツマイモを栽培する。(当時の沖縄にあった琉球王国では、それ以前の1605年に初めて栽培されたとされている)
1620年(元和6年)- 三浦按針(ウィリアム・アダムス)、平戸で病没。
1623年(元和9年) - イギリス商館閉鎖。
1641年(寛永18年)- オランダ商館が長崎の出島へ移転、平戸での南蛮貿易が終焉を迎える。
1707年(宝永4年)- 亀岡城(平戸城)が竣工する。

近現代
1871年(明治4年)- 廃藩置県により、平戸藩が平戸県となる。(のちに長崎県)
1880年(明治13年)- 旧平戸藩主松浦詮が、元の藩士等の子弟教育のため「猶興書院」を開く。現在の長崎県立猶興館高等学校の前身。
1955年(昭和30年)- 旧松浦邸を改装した松浦史料博物館が開館する。
1969年(昭和49年)- 長崎国体相撲競技が行われ、臨席のため昭和天皇・香淳皇后が平戸を訪問。
1977年(昭和52年)4月4日 - 平戸大橋が開通し、平戸島と九州本土がつながる。
1991年(平成3年)7月30日 - 生月大橋が開通し、生月島と平戸島がつながる。

行政区域の変遷
1871年(明治4年)- 廃藩置県で平戸藩が廃され平戸県となり、さらに長崎県へ併合される。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制度施行により、以下の各町村が発足。
北松浦郡平戸町・平戸村・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村・田平村・南田平村・生月村・大島村
1925年(大正14年)4月1日 - 平戸町と平戸村が合併し、新たに平戸町が発足。(新設合併)
1940年(昭和15年)4月17日 - 生月村が町制施行。生月町となる。
1954年(昭和29年)4月1日 - 田平村と南田平村が合併し、町制施行。田平町が発足。(新設合併)
1955年(昭和30年)1月1日 - 平戸町・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村が合併して市制施行。平戸市が発足。(新設合併)
2005年(平成17年)10月1日 - 周辺の大島村・生月町・田平町と合併し、新たに平戸市となる。この結果、長崎県から村が消滅。(新設合併)




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社