私の家は壱岐市勝本町勝本浦という町です。
かつて長崎県下1位を誇った漁師町です。ちなみに長崎県は全国2位です。1位は北海道です。
危険という言葉をタイトルに据えましたが、どういうことかといえば競い合う昭和30年代、40年代、50年代
は猛烈を極める程の競争だったそうです。
なんせ、一つの漁港に800艘という町は全国を見回してもほぼないそうです。
いわば、みんな社長なんですね。
昭和40年代はじめに40t級のイカ釣り漁船があったとは今日知りました。
検査などが厳しく、やめて流行りだしたのは19t船、その他4~7tの中型船、中型船はブリ釣り組合、鯛釣り組合など任意団体があったほどです。
勝本の主流は中型船のブリ釣り、鯛釣り、イカ釣りです。
そして、19t船のイカ釣り漁船です。
ブリ釣り、鯛釣りは一本釣りです。
鹿児島県枕崎市、指宿市山川町、宮崎県日南市油津の19t船はマグロ、カツオの一本釣りです。
こちらの19t船は10人から15人(現在、フィリピン人などがほとんどだそうです)
勝本のイカ釣り19t船は3~5人で(恐らくサンパー等があるため大量に人数は乗れないのでは?と思っています)小樽(北海道)、金沢(石川県)、浜田(島根県)まで行ってました。
一番最初に19t船を造ったのは【末吉丸】、末松家です。
タイトルに戻ります。
私の家の左隣の隣、末松家・末吉丸、海難事故(ハリケーンみたいです)
私の家の左隣、阿田家・神恵丸、海難事故
私の家の右隣の前、片山家(船の名前は存じ上げておりません)
この片山家の長男が2007年にオープンし、壱岐で人気の店になった有名な大久保本店です。
本来、大久保本店は水産加工の会社だったと祖母からと大久保本店のおばあちゃんから聞いた記憶があります。
その件は、また別の機会に。
そうです。
私の家の周辺はそういう『気張った』方たちが多く、19tの創世機にお亡くなりになってます。
神恵丸に限っては私が20代前半だったと思います。
昭和も60年に入る頃は80艘もの19t船がいました(現20艘ほど)。
当時も北海道の三角波と呼ばれる危険地域に入り1億円プレイヤー大敏、それに次ぐ厳しさの大千。
大敏、大千は親戚関係だったと思います。
鈴丸、若蛭子丸、平和丸(現組合長)、平ヒョウ(漢字がわかりません)
私の5つ上の従兄弟は大敏の船に若い衆として乗ってました。
寡黙な男です。7年程前に初めて身内の酒宴の席で聞きました。『何十回、救命胴衣来たかわからんよ』と。
私は、正直、驚きました。
中学卒業し、そのまま大敏の船に乗り、主にこういう場合借金の犠牲です。
6年程乗り返し終えた彼は出ていきました。
私が言いたいのは漁業従事者というのは危険だということと同時に船頭、19t所有者は若い衆を載せるわけだから社員(若い衆)の人命第一を考えろ!ということです。
とかく、自分がいちばん危険な目に会ったなどを競いがちな町、それが今の衰退の一因になっていると思ってます。
19t船が若い衆を社員として雇用していれば?とこれは当時から思ってました。
そうすれば、50万も60万ももらって使ってしまうようなこともおきまい、と。
15、6の少年が大金になれたらどうなるか?言わずもがなです。
いろいろあります。
でも、出漁する漁師に対しては純粋に無事を祈ります。
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】