天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

宮崎県(串間市)・串間神社

20160613 宮崎県(串間市)・串間神社


いいね。

規模的に北部から宗像大社、宮地嶽神社、太宰府天満宮、宇佐神宮、天の岩戸神社、霧島神宮、青島神社、鵜戸神宮など
の規模はないけど、かなりの数の神社を参拝させて頂いたけど広々として、ゆったりした感じがします。

農業、安産、学問、商工の神なんだね。

落ち着ける神社ですね。

ここには鈴がありますね。

ない神社もあるんだよね、

周った数が多過ぎて思い出せないです。あとでテキスト調べればわかるけど(笑)

素晴らしいよ、串間。

もったいない感満載です。

どこかにもそんなとこあったような?あっ、壱岐だ(笑)

基本情報
所在地:〒888-0004 宮崎県串間市大字串間1410
電話:0987-72-2442

【Official site】




















彦火火出見尊を主祭神として他に十二柱の神々を祀るので十三所大明神と称していた。山幸彦と呼ばれる主祭神が猪、雉などの雁ものの多いこの地を狩場として笠沙の宮から通われた仮宮所で、穂槵宮と称しその宮跡を斎きまつったと「神名禄」は伝えている。
「高鍋藩寺社帳」によると桓武天皇の時に平安京の朱雀院に鎮座しその後、順徳天皇の時に当地に安置したともいうが詳細はわからない。
永保六年(1563)領主島津忠親の奏請に依り神階宜下勅額を賜り、以後藩主、世々、福島総社として尊崇された。正平十四年(1359)には、野辺盛房が十三所大明神の社殿を再興されたことが記録されており、その後応仁元年(1467)には島津立久、永正十二年(1515)、天文十三年(1544)と相次いで島津氏が再興、秋月領となっても元和七年(1621)から慶應二年(1866)まで再興が続いている。
而して明治維新後は専ら福島、北方、大束、本城、都井、市木六ヶ町村の氏神として、維持運営された。
明治五年(1872)都城県管轄中、神社改革の際、串間神社と改称し郷社に列せられる。
明治四十年(1907)旧六ヶ町村の出資により社殿を改築されたが、老朽化し損傷が著しく御接遇出来得ない状態にあり、時あたかも平成元年、串間市が市制三十五年の記念すべき年を迎えるにあたり、奉祝記念事業として昭和六十三年六月改築奉賛会を設立し、平成元年六月、工事に着工、同年十月に竣工した。


 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社