露天風呂というのにほぼ入ったことはなかった。
僕にとっては憧れでもあった平山旅館。
改装前の平山旅館ではあったが露天風呂は素晴らしかった。
板場の前を通って帰る時にはご馳走を横目に帰ったものだった。
最初に入浴したのはいつだったかと記憶を辿れば高2の頃、通ってた。
というよりついて行っていた。
誰に?
一つ上に従兄弟が漁師で19トンイカ釣り漁船に乗っていた。
一つ上には漁師が多く中学校を卒業してそのまま船に乗る。
不思議なことに勝本浦の同級生に中卒の漁師はいない。
彼らが平山旅館へ連れて行ってくれる。
たぶん自動車免許は持っていたんだと思う。
微妙ではあるが。
19トンイカ釣り漁船は金沢か小樽まで漁に行く。
上行きといい5月頃に行き10月頃、帰ってくる。
金沢港か小樽港に入港し金沢沖、小樽沖で漁をする
彼らは一航海で体が変化して帰ってくる
それを体感したのは大学一年の夏休み、漁協で荷上げのバイトをした。
入港した漁船のイカの入った発泡スチロールを陸に上げる。
船一艘20箱から60箱、少ないので10箱弱など。
正直、20箱で手足は震え、60箱上げた時などはしばらく筋肉が硬直し腕が上がらない
19トンイカ釣り漁船の若い衆は毎日、200箱以上、上げさせられる。
そりゃ体つきは変わろうというものだ。
彼らはペーロン大会で活躍する
勝本浦のペーロン大会は全国各所で行われる飾り付けられた船ではなくただの12人乗りの船。
トーナメント方式で一艘vs一艘のガチだ
船と櫂と叩き棒のみ
みんな「さっさと敗けて帰ろう」といいつつスタートが切られたら馬車馬のように漕ぎ出す。
勝本浦あるあるだ。
スタートも飛んでもない。
船は綱で岸に繋がれている。
スタートがかかると漕いで綱を切っていくのである。
恐ろしい奴らだ。
話を戻そう。
平山旅館から帰ると従兄弟の家がたまり場だったので5つ上の人間くらいまでいる時がある。
何が始まるか
花札か二枚株(カジノのバカラのようなもの)が始まる。
僕はさすがに所持金が追い付かず、途中で抜ける。
大学に入ってバイトするようになってからは帰省時にはしたが、二枚株の方が稼いでた記憶がある。
まあ、ほぼ運だけだけど。
もちろん飲みながらやっている。
焼酎を。
僕は高校二年生だ。
時間的にも学校が終わってもバスで帰ると遅くなる。
高校は町の対極にあるから遠い。
彼らが迎えに来てくれる。
そのまま平山旅館へ行ってのループ。
19トンイカ釣り漁船は勝本浦に帰ってくるとあまり勝本沖には出ない。
これは暗黙の了解で小型船、中型船が沖に出ているのに19トンイカ釣り漁船が沖に行けば結果は見えている
小型船、中型船の釣るイカ、魚はいなくなるから。
こういったことは誰が誰に教えるものでもなく、育っていく過程で見ているから。
ここで花札、二枚株が終わりそうになると誰かが「行こうか」と言い出す
誰も何も言わず「スナック漁火(現・寿司割烹漁火)」
僕は当時からある程度飲めた。いや、飲めた。
ここにはキリギリスしかいない。
飲むのは「ヘネシー」。
僕は支払い義務は免除されてる
余談だが、彼らは中洲に行き「何の仕事をしているの?」と聞かれると、ほぼ「水商売」と答える。
間違いではない。
平山旅館は素晴らしい温泉だと思ってる。
神功皇后が産湯に使ったとされている
いつの日か客として宿泊したい。
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】