勝本浦郷土史109
イカ等の水揚げが増加し、氷の需要が多くなった為、構造改善事業により、製氷所を建設する事になった。場所は以前の湯田の浜の埋立地とし、昭和四三年九月に着工して、翌四四年三月三一日完成した。
製氷能力は、日産十五トン製氷、貯氷能力四五〇トン、面積四一六平方米、総事業費三、八八〇万円、内国庫補助金六三二万円、県補助金四二一万円、町費補助金五一〇万円、自己負担金二、三一七万円である。
第二製氷所(改め第一製氷所)
四三年製氷所建設当時の漁船勢力に比べ、漁船数も五〇年には六三五隻と殖え続け、船型も漁業近代化により大型化して、漁場も沿岸より沖合へと進出する船が多くなり、従って漁獲量も倍加していった。また、流通面でも魚価を上げるには、鮮度の保持が重視された。勝本漁協においても、昭和四三年には、五トン以上のイカ漁船が六五であったが、四七年には、二〇四隻と三倍以上の増加率となった。中央突堤も四七年に完成し、汽船の接岸も九郵が着岸できないという事で、漁業組合の拠点とすべく、国県の許可もできた事から、中央突堤の先端を候補地として、昭和四九年度構造改善事業として、第二製氷所の建設に四九年より着工して、五〇年三月に完成した。製氷機種は、近代的な製氷機と評価されている。石川県漁連のノースター砕氷機を設備した。製氷能力日産四五トン、製氷貯氷能力一八〇トン、面積三八九平方米である。
第三製氷所(改め第二製氷所)
昭和四四年、第一製氷所、日産十五トンを、旧製氷所跡に再建して、昭和五〇年に第二製氷所を、中央突堤突端に、日産四五トン製氷所を建設、計六〇トンの製氷能力になったが、ブリの不漁によるイカ漁の激増、漁船の大型化による氷の需要も大きく伸び、又、第一製氷所と第二製氷所が離れていることから、氷の受渡し等に不便であることから、昭和六三年三月、全自動式日産四五トンを、中央突堤東側に建設した。第二製氷所と併せて、日産九〇トン製氷能力となった。従って第一製氷所は閉鎖し、第二製氷所が第一製氷所となり、新設された製氷所を、第二製氷所と呼称するようになったのである。
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】