勝本浦郷土史58
二部と二部制にした部落もある。要するに、私達の入会した頃の会長、乃ち若手頭は、怖い程威厳があって、部落の権力者で傍にも寄れなかった感がした。
昔の各部落の年中行事を調べて見ると、多彩であり、種々記されているが、実際には大きく変わったものではなかったのではなかろうか。
年中行事として一般化されていたものに、七社参拝がある。これは壱岐の主な七社を歩いて参拝していた。それに三月の節句の野山における散財、戦時中の入退営軍人の歓送迎、正月乃至は節句の氏神の参拝行事、町内の溝掃除、神社寺のあるところは社地の掃除、氏神の祭りの踊り等当番町の世話、何年振りに廻って来る弘法大師例祭日、角力の世話等である。町内に不幸時の青年会の果たす役は大きかった。今はほとんど火葬となって、不幸時の青年の仕事も容易となった。青年会の創立年月については、各部落に大きく差異があるが、歴史は尊重しなければならないが、狭い勝本浦中である。塩谷本浦の青年会が早くからあって、他の青年会の創立が四、五十年も遅れる事はないのではと思うがしかし、記し残されているものを知る限りにおいては、東部の方が正確に創立年月日が判明しているのに反して、西部に不明な所が多い事は何かと暗示するようである。
各部落の青年会の創立年月、目的、会員数(当時とあるのは昭和八年調査当時の会員数である)を参考のため略記する。
塩谷青年会 塩谷青年会は安政年間(一八五四ー一八六〇)の創立で、当時は塩谷若者中と称した。明治三三年青年会と名称を変更、その記念として聖母神社に博多織の幟を一本(時価一五〇円)を奉納、大正十五年十一月年長役員制を選挙制に改め、尚同年青年会場新築落成した会員は当時二五名である。
本浦東青年会 本浦東青年会は、文政元年(一八一八)旧五月六日の創立となっている。新町築出の両部落よりなっていたが、大正十五年五月六日に会の発展運営上両部落分離したが、昭和二年五月六日両部落円満合併し、東青年会と称し、会員は当時六二名となっている。
湯田青年会 湯田青年会は、明治二五年の創立で、会員は当時二〇名、時間励行、基本金の蓄積、公共的慈善事業の達成等である。
坂口青年共親会 坂口青年共親会は、大正元年八月二〇日の創立となっているが、その前身は坂口町、田の中の若手を以て組織していた。坂口青年共親会なるものが、明治維新前よりあって、大正元年養蚕奨励のため区有地を借りうけ桑園とし、大正四年一月十五日田の中青年会創立せられ、田の中出身者は退会した。当時の会員数三一名、基本金は五四四円九四銭、事業としては、部落内の諸般の事務、労役、公共事業、入退営軍人の歓送迎、年に一回の七社神社参拝、善行者の表彰等を行った。
田の中青年会 前述の通り、明治維新前より坂口と共にあったが、大正四年一月十五日に独立した。会員が少ない為か、満十六歳より満四〇歳までとし、当時会員二三名、会員の和親協同、風俗改善を目的としていた。
黒瀬青年会、第一部、第二部会 旧黒瀬青年会は、明治十五、六年頃の創立で、新黒瀬青年会第一部会、第二部会は昭和五年三月十日の創立である。満十六歳より満三〇歳までを一部会、三一歳より四五歳までを第二部会として、一部会は当時三九名、二部会二五名が当時の会員であった。
敬神崇祖の念を涵養し、質実剛健の気風を養成し、共同自治の向上、社交上の弊風改善、危難救済、善行者の表彰、入退営軍人の歓送迎等を行い、毎月一日例会を開き、一、四、七月に大会を開く。
加賀里屋青年会 創立年月日は不明であるが、その前身は既に維新前よりあり、当時は若年寄と云い、大正九年従来の役員年長制を選挙制に改めた。満十五歳より満三五歳までとし、当時の会員数二四名、町務の労役に服し、社会公共事業に奉仕し、春夏秋冬の四季に大会を開き、毎月一回修養会を開き、時事の研究をなす。又町内死亡者ありたる時の諸世話は、従来町内全部の者が手伝っていたが、飲食物にも多額の経費を要するので、大正九年以来之を青年会で引きうけた。
鹿の下東青年会 旧来若者中と称して、年長者(三五歳)が町内青年の取締りをなしたが、明治三一年青年会としての組織を見た。満十六歳より満三五歳までとし、当時の会員二七名、青年の智徳を啓発し、品性を修養するを目的として、町内事業の推進力となる。
鹿の下仲青年会 明治十七年三月五日の創立となっている。満十五歳より満三七歳までとし、二男三男は十七歳よりとなっていた。
昭和八年頃の会員数二三名、部落の満掃除、志賀神社の周囲の除草掃除は年二回、東町、仲町、西の町共同にて行い、其の他学校登校路の道路掃除、困窮者救済等、社会公共事業に尽力している。
鹿の下西青年会 明治二五年創立、明治四〇年勝本西部青年会が組織されるや、その支部となり、西部青年会が解散となるや、従前の如く独自の部落青年会となった。会員相互の和衷協同、社会奉仕、会員相互の素行の改善、身心の修養等に力を注いでいる。満十六歳より満三六歳までとし、当時の会員は三〇名で
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】