勝本浦郷土史39
六、たぐり
タグリ(クリヅリ)
エバ(餌)をたぐりながらブリを釣る一本釣漁法で、タテヅリともいうが勝本では普通クリヅリと呼んでいる。明治初期、山口県の家室から漁に来ていた人々が伝えた漁法である。この漁法はその後勝本を本場として、隣村、在部方面にも伝わり盛んに行われた。
使用する道具は現在までいろいろ変ったが、手早くたぐってエバの動きを活発にし、ブリを誘って釣るという方法は変わっていない。同じエバで一日中でもブリを釣ることのできる便利な漁法である。道具は、元糸、ビシ糸、サガリ、エバからなり、釣糸のことを「ヨマ」といい、クリヅリヨマとも呼んでいる。ビシマはマガエで絹糸の縒
ったもので、大きさを「匁」であらわし双子合せて使用する。一
かせ分一八尋、二かせ分三六尋で、ひとへり分(一本)のビシマとする。普通使用するのは四匁二、三分で、ヨマにこる人は四匁、慣れていない者は無理しても切れないように四タ五分ぐらいのものを使用した。タイ釣用は一・五匁から一・八匁で作った。ブリ用夜釣糸は三コ合せで、地廻り用が五匁三コ、沖の曾根用が六匁三コであり、長さは二三尋である。クリヅリ用は、これに小さな鉛玉をだいたい六〇個前後つける(別に麻かラミーで芯糸をより鉛玉を打ち付ける。マガエは切って、もやい付ける。鉛玉〔ビシ〕は、六〇匁の重さの鉛を一尺八寸に延ばせば六〇個ぐらいできる)
先の方は間をつめて(ガイガイビシという)後の方は間を遠くする(最後のビシを親ビシという)。家
室
から伝えられたカムロモヤイというビシの付け方があり、最近までこの方法でもやっていた人もあると聞く。ビシマの長所は、風のある時や潮の悪い時でもまっすぐに早く沈むことである(ヨマがほおるとかほおらないとかいう)。指先と手首を振って、エバやドンブリが海底に着いとたかどうかを知ることができる。
これに麻の元ヨマをつける。マガエより大きめに作り三コ合せで六〇尋、素
ヨマである。ビシマと元ヨマは反対縒りになるように作る。「縒取り」等はなかったから、お互いにヨリを反対にしてヨマの「すわり」をよくしたものと思われる。長い間の知恵であろう。
注 ラミー=いらくさ科の多年草。茎の皮の繊維は織物の原料。
〈サガリ〉はがね針金でチュウジャクまたはジャンガネという。太さは番数であらわし、タグリ用は二八番か三〇番の細いものを二尋半から三尋に切って使用した。
まっすぐにして引っ張ると強いが、ちょっとでもねじると簡単に切れる。これの伸ばし方には要領がいり、軽くこすると思いのままになる。家室船から習った頃は、伸ばし方がわからずにブリは食うのだがチュウジャクが切れて一本もあがらない。ウソを教えたと憤慨したという話も伝えられている。見習の頃はうろたえるので、ブリを釣り上げる時この針金で手を切ったものである。この番手(糸の太さを決める番号)のものは戦時中もどうにかあったようであるが、曳繩用の二二番―二四番はなくなりワイヤーをほどいて使用した。
〈エバ〉鉛玉(重さ三〇匁から四〇匁のものを鋳込むか、叩くかして作る。これをドンブリという)にドジョウをくくりつけたものを、ドショウエバという。生きたドジョウを二匹、少し大き目で同じ大きさのものを選び出し、半殺しの状態にして紡績糸でつなぎドンブリのネソ(根元のシビリ)にくくりつけて餌とする(ドジョウつなぎとは紡績糸で後頭部を回して両エラから口を通し、別の糸で口の所をしめる。そしてドンブリの根元にくくりつける)。格好よく作ることをエバナリがよいという。釣は一本であるが、釣先に小さなドジョウをかける場合もある。頭を釣先にさしたままで使うか、前記のように糸でくくるかした。
糸でくくらないとブリを一本釣ると落ちてしまう。しかし付け替える手間はいるが生きたドジョウを使うので、ブリのあたりはよいようであった。またブリのアゴのところを細長く切ってかける場合もある。これを白エバといい、黒いドジョウの先に白いエバをつけるといかにもブリが食いつきそうである。ブリは歯を持たず、サメと呼んでいるザラザラした口であるから、エバを食い切られることはなく、同一工バで何本も釣れた。
新しいのより何本か釣って白くなりかけたものの方がよい、という人もいた。しかし見習時代、寒くて波のある時ドジョウつなぎをするのは、何んとも辛くいやな仕事であった。手がかじかんでなかなかつなげないし、あのヌルヌルとした感触もいやなものであった。ドジョウエバの欠点は、生き餌であるためフグが食いやすく、これにやられるとひとたまりもなく食い切られることである。エバはまっすぐ泳がないと駄目である。どんな工バでも引っ張る時にクルクル回ると食わないとされている。
釣り方
その名のとおり、海底から元ヨマ一杯たぐるのである。七里ヶ曾根の「本あいろ」と呼ぶ瀬の周辺で、なだらかなところが、たぐり漁の最適地である。深さは六〇―八〇尋ぐらいで親ビシまで引っ張るから、三〇―五〇尋を常にたぐるわけである。ブリの食う深さは一定でなく親ビシよりも上で食う時もあり、底にかかったかと思うぐらい底で食う場合もある。普通途中で食うことが多い。またその時の餌にもより、寒ざめの頃、大羽イワシを餌にした時が最も食いがよく、殆ど下層でばかり釣れる。魚は腹一杯エサを食べる程、人間の餌に食いつきやすくなるといわれている。
漁民にとってこのたぐりは最も興味のある漁法で、早くたぐったり、おそくしたり、いろいろと試してみるのである。
ブリがときたま食う時、今度は食うぞと何かしらいうにいわれぬ予感がするものである。かといって余り期待をかけては駄目で忘我の境で一回一回を大事にたぐる事であろう。
そしてフワーッと来る。あの手ごたえ、漁師ならではのだいご味であろう。
しかし一回で食い込むことばかりではなくて二回三回とあたっても食い込まないことも多い。そのような時は「ナメタ」という。一回なめられると、すぐにたぐる早さをおとしてゆっくりたぐるとまた食いつく。うろたえて早くたぐると、そのままで終りである。
ブリは餌に食いつくと食い上げる性質があり、「シメ込む」といって数回シメあげなければならない。ヒラス(ヒラマサ)やアカバナ(カンパチ)が、餌に食いついた途端に取って行くのとは対照的である。
たぐりの要点は、「たぐりそこない」をしないこと、手をすべらせないこと、「いきよま」を途中でもつれなどのために止めないことである。たぐり方の早い、おそいはあまり気にかけなくてよいようである。
延繩時代やサンマたぐりが導入されるまでのたぐり漁はだいたい旧正月前後から春の三、四月頃までで、それ以前、以後は曳繩であった。
手さばき
漁という仕事は潮時仕事であるため、ダラダラグズグズしていると折角の良い潮時を逃がしてしまう。短い時間によりよい漁獲を得るために、普段から手さばきはうるさく注意された。たぐりのドジョウつなぎや・サンマ白エバ切り、曳繩のサンマつなぎ、夜釣の餌切りと釣かけ、それにブリを釣り上げた後のヨマの仕出し(投入)など、一にも二にも手さばきよく、そして仕事はきれいに早く上品にと特訓を受けたものである。
ケイキ
昼間のブリ漁で欠かせないものは、カモメの群舞であろう。
カモメは、遊禽類に属し、上面は蒼灰色で下面は白色をしている。翼は長く、とがっている。習性としては、海岸あるいは湖沼に住み、飛ぶことが速く、水中に突入して魚を捕え食う。故にこの鳥の飛んでいる所には魚の集まっていることが、わかるのである。うみねこは、カモメ科の海鳥で、猫に似た泣き声をだす。我々が「ガセー鳥」と呼んでいる鳥であろう。春先に多くなる。
ブリが餌を追い上げる時、カモメが舞いはじめ、やがてブリの追い上げた餌を争って食べようとする。このような状態を漁民は「ケイキ」と呼ぶ。だからケイキの下には必ず潮時になったブリがいる。他船より早くこれを発見し操業すればよい漁ができるというわけである。船頭は舵を取りながら、また乗組員も一日中ウノ目、タカノ目でケイキの発見に努める。
従って漁師は目がよくなくてはいけない。またカモメで良い漁をさせてもらうので、カモメを殺したり、食べたりすることを大変嫌う。またイルカケイキは、鳥がたくさん群れ飛ぶがほとんど水面に突込まず割に高く舞う。
エバク
ブリが一回食べたものを吐き出すことを、エバクという。釣り上げられる途中でイカ、イワシ、サンマ等をよく吐き出す。またそれを食べに仲間が集る。このために時として多人数乗りの船に飼い付けられたようになり、他の船には(特に一人乗り)なかなか食わない場合がある。このような時、多くのブリを釣り上げる船は魚の「まわりが良い」という。夜釣等でエバクの匂いのわかる人が、このような場所にやってよい漁をすることもあった。
イルカの通った後も、食べかすや、吐き出すものがあるらしく鳥がよく拾って食べている。海面はところどころ薄く油を流したようになり(トネマワルという)、独得の匂いがする。昔から優秀な船頭はブリのエバク、イルカのエバクを感どって操業した。
にごりとブリ漁
海がにごりはじめると、食いが良くなり、ケイキなしで釣れる時もある。あまり海面に湧かなくなりケイキがすると、間違いなく釣れる時が多い。海がすむと良く湧くようになるが、たぐりには釣れにくくなる。それにケイキの移動も早い。従ってそういう時は曳繩の方がよいというわけである。
カカリ釣り
瀬の近くの比較的浅いところに錨を入れてカカリ、満潮一杯たぐるのであるが、これは割にカタイ仕事で。〇本
(またノーズケナシともいっていたが、最近では前浦船の口調をまねてカタがないというようになった)ということはあまりないので、春先になるとカカル船が多くなる。
潮はまずヤオリ(休み)からキバナ、次第に早くなりサカリの速い流れが続く。やがてガサ落ちとなり、潮の流れは止まる(ガサ落ちとはよくつけたもので、その名の通りガサッとやおるのである)。不漁で一、二本の漁しかない時には、このサカリ落ちに必ずといっていい程ブリはあたるものである。
ほうらせぐり
春先、ブリが瀬から離れない時がある。浅くてタグリができないので、櫓を押したり、帆をかけて船を進めながら釣糸をほおらせてたぐった。かかり釣と同じく、「カタイオ」釣りである。これは、雑誌『漁民』で他地区から発表されたことがあり、ヤッチャグリとも呼ばれるようである。
釣糸の手入れ
釣糸は、使ったあとは毎回柿シブをつけてよく乾かしておかないといけない。「シビカイ」といっていた。先ず「手ゴウ」をしてよく乾かしてから、桶またはカタクチ丼等の容器の中でよくしみ込ませて「かせ」に巻く。「釣糸の項」にあるように元ヨマとビシマは反対のむきに巻かなければいけない。このシビカイも若手の仕事であったが、なんともいやなシブの臭いが残り少し手を洗ったぐらいでは取れず、人前に出るのも気がひけた。
ヨマも新しいうちは少し使うとベタベタした感じで、扱い方が悪いともつれやすい。しかし長く使っていると、次第に色がつき使い易くなる。このようになった時を「シビダチ」といい、丈夫でノビがあり魚の一番釣りやすい時である。シビヨマはだいたい三年ぐらいの寿命しかなく、それ以後は作りかえる必要がある。ヨマを使ってそのままにしておくと梅雨時にくさるので、使用後は良く塩気を抜いてしまっておく必要があった。ぬるま湯または塩気のない水を汲んできて、半日ぐらいつけ込みよくすすぎ塩気を抜いて乾した。これは大事な仕事であった。
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】