二一、勝本の古い話・妖怪談 名烏島のエベス様昔、江戸時代に松尾右衛門なる人が平戸の殿様から名烏島を拝借した。そこで右衛門は半農、半漁を営んで生活をしていたという。たしか私が子どもの頃、名烏島の南側にイモ畑か麦畑があったことをおぼえている。右衛門は慶応年間に没したが、右衛門の子貞吉もまた島で生活をした。貞吉は、自分の仕事をするかたわら、海岸線を毎日見て回った。磯辺にはいろいろなものが流れ着いたが、特...
四、鯨伏(いさふし)村の漁業 兼業漁家鯨伏村は、海岸線が比較的長いにもかかわらず、漁業が充分な発達を遂げることはできなかった。それは漁業によってのみ生計を維持する者が極めて少なく、兼業が大部分であることも原因の一つである。このことは海岸地区の住民が集約的小規模農業経営であって、その余剰労力が、漁業として結びついていることを示すものである。 鯨伏村漁業組合の起り従来鯨伏村の漁業は、沿岸漁民の自給自足...
三、戦時体制下の組合 勝本町漁業会発足昭和一九年度に勝本町漁業協同組合の解散となると、さっそく漁業会組織の指令が出された。漁業会結成の計画は早急に行われ、一九年六月に設立し総会を開催した。七月に認可され、八月に登記を完了し国家総動員法に基づいて、大政翼賛政治による国の協力機関として、勝本町漁業会は発足した。役員は全員官選となり、会長に勝本町長吉田覚太郎氏、理事に町助役永元久造氏、漁民側から立石幸吉...
三、戦時体制下の組合 勝本町漁業会発足昭和一九年度に勝本町漁業協同組合の解散となると、さっそく漁業会組織の指令が出された。漁業会結成の計画は早急に行われ、一九年六月に設立し総会を開催した。七月に認可され、八月に登記を完了し国家総動員法に基づいて、大政翼賛政治による国の協力機関として、勝本町漁業会は発足した。役員は全員官選となり、会長に勝本町長吉田覚太郎氏、理事に町助役永元久造氏、漁民側から立石幸吉...
二、潮流対馬暖流 壱岐の海は、壱岐水道と対馬海峡に分れ、黒潮、即ち対馬暖流が流れている。奄美大島の西方で本流から別れた対馬海流の主流は、九州西岸のはるか沖合いを北上して五島列島の西方を通過している。そしてこの附近で北東方に転じて対馬南端に達し、更に別れて東西両水道に入る。 この海流は初め九州西方沖を北上するときは、その流勢は弱く〇・五㌩程度で風のために左右されやすい。しかし対馬海峡に近づくと著しく...
第二章勝本と漁業 一、遺跡よりみた漁撈生活 勝本町の遺跡この勝本の地に、人類がいつごろから住みついたのか明確なことはわからない。しかし調査を重ねていくと、古代の住居址や墳墓、貝塚などの遺跡から、古代の人々の生活のようすを知る手がかりをつかむことはできる。そこで現在判明している町内の古代遺跡を調べてみる。①若宮島(埋葬された石棺の中より、青銅鏡が発見された。)②名烏島(島の南面に、貝塚がある)③串山...
第二章勝本と漁業 一、遺跡よりみた漁撈生活 勝本町の遺跡この勝本の地に、人類がいつごろから住みついたのか明確なことはわからない。しかし調査を重ねていくと、古代の住居址や墳墓、貝塚などの遺跡から、古代の人々の生活のようすを知る手がかりをつかむことはできる。そこで現在判明している町内の古代遺跡を調べてみる。①若宮島(埋葬された石棺の中より、青銅鏡が発見された。)②名烏島(島の南面に、貝塚がある)③串山...
第一章勝本の生いたち一、勝本の位置と地形勝本浦荒波名にし負う玄界灘の真(まっ)只中(ただなか)に壱岐島が浮かぶ。島の遠望は平たくおだやかで、最高峰の岳ノ辻でさえも、標高わずかに二一二・九㍍と低い。この鍋を伏せたように円やかで、そしてなだらかな島は、玄界灘の怒濤に押し流されまいとして、懸命に耐えているかのように見える。その昔、鳥もかよわぬ、と詠(うた)われたこの玄界灘を中にして、現在、船便と航空路が...
発刊を祝して勝本町長原田薫 このたび勝本町漁業協同組合設立三十周年を記念して、『勝本町漁業史』の発刊をみましたことは誠に時宜を得たことで、心から祝福いたすところでございます。申し上げるまでもなく、今日の漁業は私達の祖先先輩諸彦が営々として築き上げてくださった尊い遺産であります。勝本港の発祥は、神功皇后三韓征伐の折の寄港に始まり、爾来今日組合員一、一六九名、在籍動力漁船六七〇有余隻をもつ県下はもとよ...
発刊を祝して 長崎県漁業協同組合連合会会長理事住江正三 このたび『勝本町漁業史』の編纂を企画され、約二年半の歳月をかけて、ここにめでたく発刊の運びとなりましたことを衷心よりお祝い申しあげます。勝本町は広漠たる日本海に面し、広大な漁場と豊富な魚族資源に恵まれ、古来より漁業基地として栄え今日に至っており、同町における漁業の歴史は、まさに本県沿岸漁業を象徴するにふさわしい輝ける歩みを刻まれたのであります...
発刊を祝して 長崎県知事久保勘一 このたび、勝本町漁業協同組合設立三十周年を記念して『勝本町漁業史』が刊行の運びとなりましたことを、心からお祝い申し上げます。勝本町の漁業につきましては、今更申しあげるまでもなく、漁船数六七九隻、組合員数一、一六九名、水揚高は三〇億円を越え、沿岸漁業としては長崎県はもとより、我が国屈指の漁業の生産基地であります。昨今、日本経済における産業構造のひずみの中で、漁村の過...