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富山駅

富山駅


基本情報
所在地:〒930-0001 富山県富山市明輪町1-225



富山駅
富山駅(とやまえき)は、富山県富山市明輪町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・あいの風とやま鉄道の駅である。
なお、本稿では当駅に隣接する以下の駅および停留場についても詳述する。
富山地方鉄道
電鉄富山駅(でんてつとやまえき)
電鉄富山駅・エスタ前停留場(でんてつとやまえき・えすたまえていりゅうじょう)
富山駅停留場(とやまえきていりゅうじょう)
富山ライトレール
富山駅北停留場(とやまえききたていりゅうじょう)

概要
富山県の県庁所在地である富山市の代表駅である。

乗り入れ路線
JR西日本・あいの風とやま鉄道の富山駅は、JR西日本の北陸新幹線ならびに在来線の高山本線、あいの風とやま鉄道のあいの風とやま鉄道線が乗り入れている。あいの風とやま鉄道線はかつては当駅の所属線であった北陸本線の一部であったが、北陸新幹線開業に伴いあいの風とやま鉄道へ移管された。これに伴い、在来線構内はJR西日本の在来線である高山本線も含めあいの風とやま鉄道の管轄となった。
富山地方鉄道の電鉄富山駅は本線の単独駅であるが、隣の稲荷町駅で分岐する不二越線[注 1]の列車も乗り入れており、事実上2方向の列車が利用できる。
駅南口には富山地方鉄道の富山市内軌道線が乗り入れており、乗換え圏内には富山駅停留場と電鉄富山駅・エスタ前停留場の2停留場が設けられている。線路名称上は電鉄富山駅・エスタ前停留場を境に南富山方が「本線」、丸の内方が「支線」、丸の内方途中にある分岐点(支線接続点)から富山駅停留場までを「富山駅南北接続線」と呼ぶ。運転系統上は、富山駅停留場で南富山方面に折り返す「1系統」、南富山方から富山駅停留場を経由し丸の内方へ直通運転する「2系統」、富山都心線経由の環状運転を行う「3系統」が発着する。
駅北口には富山ライトレールの富山港線が乗り入れており、駅前に富山駅北停留場がある。富山港線は元々はJR西日本が運営していた路線で直接富山駅へ乗り入れていたが、2006年にLRT化され富山ライトレールに移管された際に都心部のルートが変更されたため、改めて富山駅への接続駅として新設された。

歴史
富山駅
1901年(明治34年)当時の富山市区域拡張予測図。図中、「馳越水路」とあるのは河流改修事業後の神通川、「仮停車場」とあるは1908年(明治41年)移転以前の富山駅、「将来之停車場」とあるは当時における富山駅建設予定地、「県庁」とあるは現在の富山城址公園を示す。
1893年(明治26年)2月10日 - 帝国議会第一回鉄道会議に「敦賀ヨリ福井金沢ヲ経テ富山ニ至ル百二十三哩五十七鎖余」に係る「線路ノ形勢設計ノ概況」が提出され、「富山市船頭町裏字牛島」に当駅の開設が予定される。
1899年(明治32年)3月20日 - 官設鉄道北陸線の高岡駅 - 当駅間の延伸に伴い、一般駅として富山駅(とやまえき)が開業する。開始と同時に小荷物の取り扱いを行う。当時構想されていた神通川改良工事の影響を受けない婦負郡桜谷村(現在の神通川西岸、富山市田刈屋及び駒見)に設置された。また同日、同駅において芳川顕正逓信大臣をはじめ、各県両院議員等が参列し開通式を催行する。駅舎、機関車庫、客車庫、転車台及び石炭台等の建造物は、将来の移転計画を見越して仮設工事であった。
1901年(明治34年)3月16日 - 当駅において公衆電報の取り扱いを開始する。
1906年(明治39年)12月1日 - 富山郵便局の電話交換業務開始により、当駅に公衆電話を設置する。
1907年(明治40年)1月24日 - 富山市が当駅敷地として婦負郡愛宕、牛島両町内の地所27017坪を寄附した。この頃の当該敷地は神通川馳越線と本流との間に挟まれた中洲のようなところであったが、富山市や商工会の推薦により現位置に決定したという。

1909年(明治42年)当時の富山駅。

1932年(昭和7年)頃の富山駅構内
1908年(明治41年)
11月3日 - 当駅 - 小杉駅間に呉羽駅が開業する。
11月16日 - 神通川改良(馳越線(はせこしせん))工事の完成(1903年(明治36年))を受け、北陸線の経路を呉羽丘陵西側から変更するとともに馳越線への架橋(現在の高山本線神通川橋梁)工事を行い、当駅を現在地に移転する。併せて官設鉄道富山線の当駅 - 魚津駅間が開業する。また同日より許可を得て源 (食品製造会社)が、当駅構内営業人となり駅弁の販売を開始する。
1909年(明治42年)
9月29日 - 皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が行啓のため当駅に着御する。
10月12日 - 国有鉄道線路名称制定に伴い、北陸本線所属駅となる。
1913年(大正2年)4月1日 - 当駅 - 直江津駅間竣工につき当駅より臨時列車を出し、関係者を招待して試乗させたが、諒闇中であったので祝賀会は行われなかった。
1923年(大正12年)9月4日 - 関東大震災避難者保護のため、当駅駅前に救護所を設ける。
1924年(大正13年)11月10日 - 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が行啓のため当駅に着御する。
1927年(昭和2年)9月1日 - 飛越線の当駅 - 越中八尾駅間が開業する。また同日当駅 - 呉羽駅間に田苅屋信号場が開業する。ただし、神通川を渡る当駅 - 田苅屋信号場間は北陸本線と線路を共用する。

1934年(昭和9年)頃の富山駅前。駅舎左にはコンクリート製の省営バス笹津線の車庫、右端には駅構内に乗入れている市電の姿が確認できる。
1933年(昭和8年)3月31日 - 当駅 - 笹津駅間において省営自動車笹津線の営業を開始し、当駅においては一般運輸営業を開始する。
1934年(昭和9年)10月25日 - 線路名称を改定し、飛越線が高山本線に編入される。
1934年(昭和10年)1月17日 - 富山商工会議所が富山都市計画の完成及び当駅の拡張に関する建議書を、鉄道大臣、名古屋鉄道局長及び金沢運輸事務所長に提出する。
1936年(昭和11年)10月1日 - 富山市西町宮内大丸百貨店内に当駅派出鉄道案内所を設置する。
1937年(昭和12年)10月1日 - 構内に富山鉄道郵便局を開設する。
1943年(昭和18年)2月28日 - 同日限りを以て省営自動車笹津線を廃止する。
1944年(昭和19年)5月1日 - 富山鉄道郵便局を新潟鉄道郵便局に吸収し、その事業を同局に移管する。
1945年(昭和20年)

空襲後にバラック建築となった富山駅
3月12日 - 当駅構内に緊急疎開相談所を設置する。
8月1日 - 富山大空襲により駅舎が全焼する。同年8月3日まで北陸本線上りは東岩瀬駅、下りは呉羽駅にて折返し運転を行う。
12月29日 - 金沢鉄道管理局が、機関車の石炭不足を理由に各駅に切符の発売制限枚数の厳守を通達。富山駅の発売枚数の上限は1,920枚/日。
1946年(昭和21年)
8月5日 - 当駅における闇米取締を発端として朝鮮人による騒擾事件が起る(富山駅前派出所襲撃事件)。
9月15日 - 同年8月5日の富山駅前派出所襲撃事件等朝鮮人による狼藉に鑑み、同日当駅においてその大々的取締を行う。
10月8日 - 再び当駅にてヤミ米の取締を行い、約120石を摘発する。
1947年(昭和22年)11月2日 - 昭和天皇が同日午前7時50分当駅より越中八尾、猪谷方面に向け発輦する。
1948年(昭和23年)2月13日 - 当駅呉羽駅間の田苅屋信号場を、「田刈屋信号場」と改める。
1949年(昭和24年)
3月5日 - 先年12月より着工の待合室が竣工したので落成式を挙行し、同待合室において同月8日まで生花展覧会を行う。
6月1日 - 日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
7月4日 - 当駅にて国鉄行政整理反対闘争警戒中の警察官が1名負傷、4名を検挙する。

1953年(昭和28年)建替後の富山駅駅舎
1950年(昭和25年)2月21日 - 金沢鉄道郵便局富山分局を当駅構内に開設する。
1952年(昭和27年)
1月26日 - 空襲以来バラック建てであった駅舎を本建築とするため着工し起工式を行う。
10月30日 - 駅舎の第一期工事を完了し、11月1日より新駅舎において駅務を開始する。2階にはまると百貨店(富山ステーションデパート)が開業し、3階には物産観光陳列場が開設される。所謂民衆駅の方針をとって、民間の利用を広く受け容れた。
12月1日 - 当駅構内の無線基地局に対して無線局免許状が与えられる(呼出符号:JRG-71)。
1953年(昭和28年)
10月10日 - 同月9日に駅舎の第二期工事が完了したので、国鉄及び富山市主催の落成式を挙行する。第一期及び第二期工事の総工費は1億4千万円であった。
1954年(昭和29年)
1月28日 - 旧計量法第173条に基き、当駅を計量器使用事業場に指定する。
7月22日 - 旧計量法第173条に基き、当駅構内の金沢鉄道郵便局富山分局を計量器使用事業場に指定する。
4月20日 - 同年2月4日より着工の当駅跨線橋が完成する。総工費は376万4千円であった。
1955年(昭和30年)10月1日 - 当駅 - 東富山駅間に所在の富山操車場の一部使用を開始する。
1956年(昭和31年)
11月10日 - 当駅 - 東富山駅間の富山操車場の第一期工事を完了し、当駅 - 富山操車場(現在の富山貨物駅)間が複線化する。同日午前9時35分上り青森発大阪行機関車先頭に「祝富山操車場完成」の紀念幕を掲げ新線を走らせた。
11月19日 - 当駅 - 呉羽駅間の田刈屋信号場を廃止する。
1958年(昭和33年)
3月1日 - 高山本線において準急「ひだ号」の運転を開始し、当駅 - 名古屋間を約5時間で結ぶこととなった。
10月16日 - 当駅北口が完成し、同日より出改札の業務を開始する。
10月18日 - 昭和天皇が第十三回国民体育大会親臨のため、香淳皇后と共に当駅に着御する。
1959年(昭和34年)
4月17日 - 同日午前9時30分富山駅着下り直江津行において当駅 - 金沢駅間に初めてディーゼル機関車の試運転を行い、同日より当駅 - 大阪駅間を1日2往復することとなった。
11月16日 - 当駅 - 呉羽駅間に新神通川橋梁が完成し、旧橋梁は高山本線用となる。
1960年(昭和35年)
5月25日 - 同日午前1時40分頃、当駅前百貨店中の食料品店より出火あり、須田ビルはじめ軒並みの商店等14戸3棟を全焼、7戸3棟を半焼する。
5月31日 - 当駅 - 呉羽駅間が複線化する。
7月1日 - 当駅待合室内に観光案内所を設置する。
8月6日 - 当駅改良工事を完了し、同日より新設のホーム等の使用を開始する。
11月19日 - 地下道幅員拡張工事が完了し、荷物用跨線橋及びエレベーターが竣工する。
1961年(昭和36年)10月18日 - 第20回全日本産業安全大会への台臨のため行啓中の明仁親王及び美智子皇太子妃が、当駅より特別急行「白鳥」にて東京へ還啓する。
1964年(昭和39年)
10月1日 - 北陸本線のうち、当駅を含む金沢駅 - 富山操車場間が電化(交流20,000V・60Hz)、当駅 - 大阪駅間の電化が成る。
12月25日 - 北陸関西間の特別急行「雷鳥」及び北陸中京間の特別急行「しらさぎ」の営業運転を開始し、同日午后当駅において発車式を行う。
1965年(昭和40年)
7月30日 - 当駅 - 東富山駅間の複線化工事を完了し、同日午前9時40分より開通する。
9月24日 - みどりの窓口を開設する。
1966年(昭和41年)10月6日 - 神岡線開通、当駅 - 神岡駅間が全通する。
1969年(昭和44年)5月27日 - 第二十回全国植樹祭親臨のため富山県行幸中の昭和天皇が当駅に着御する。
1970年(昭和45年)
3月26日 - 当駅前南口地下道完成、市長、駅長等出席して開通式を行う。
6月5日 - 当駅にて貨車入替作業に用いていた蒸気機関車が引退するに伴い、その「お別れ式」を行う。
7月15日 - 当駅構内配線を変更し、国鉄列車急行「立山」及び急行「むろどう」、また名古屋鉄道急行「北アルプス」の富山地方鉄道線乗入れを開始する。
1971年(昭和46年)4月26日 - 当駅 - 福井間に特別快速列車が設定される。
1972年(昭和47年)1月28日 - 当駅と岡山駅が姉妹駅となり、同日その調印式を行う。
1974年(昭和49年)10月1日- 営業範囲を改正し、旅客、荷物及び貨物を扱うものとする[46]。
1976年(昭和51年)
2月13日 - 第31回国民体育大会冬季大会への台臨のため、明仁親王及び美智子皇太子妃が当駅に着御する。
6月22日 - 当駅駅前の富山東急インが開業する。
1979年(昭和54年)3月10日 - 当駅駅舎本屋改築工事が完了する。
1982年(昭和57年)11月7日 - 商業ビル建設のため、当駅東側の国鉄宿舎を撤去する。
1984年(昭和59年)2月1日 - 当駅構内の金沢鉄道郵便局富山分局を廃止する。
1985年(昭和60年)
3月14日 - 従前の立山終着を改め新たに新名古屋発名古屋鉄道特別急行「北アルプス」が当駅への乗入れを開始する。
8月1日 - 当駅構内において国鉄直営販売店「さんくす」の営業を開始する。
11月28日 - 当駅駅前に立体駐車場が完成する。
1986年(昭和61年)
3月16日 - 当駅において北陸新幹線周辺環境整備事業の起工式を挙行する。
11月1日 - 営業範囲を改正し、荷物(新聞紙を除く)の取り扱いを廃止する。

1987年(昭和62年)4月当時の富山駅北口駅舎
1987年(昭和62年)
3月14日 - 当駅駅舎2階待合室が完成する。
3月31日- 営業範囲を改正し、取扱荷物を「荷物(新聞紙に限る)」から「荷物(特約荷物に限る)」に改める。
4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)に継承される。日本貨物鉄道(JR貨物)の駅は、車扱貨物及びコンテナ貨物を取り扱う。
9月12日 - 富山ターミナルビル「マリエとやま」が開業する。
1988年(昭和63年)
2月5日 - 駅長室を改装する。
3月17日 - 便所を移転し改装する。
7月10日 - 駅舎外壁を改修する。
7月15日 - コンコース及び待合室を改装する。
7月16日 - 富山ステーションデパートが改装開店する。
1989年(平成元年)
2月2日 - 当駅北口再開発事業「とやま都市MIRAI事業」に必要な旧国鉄用地の商業施設化が、日本国有鉄道清算事業団新潟資産管理部の諒承を受ける。
5月8日 - 当駅駅前北陸電力本店ビルが完成し、同日より同所にて業務を開始する。
5月10日 - 当駅駅前再開発事業に係る「Amuse」ビルが完成する。
10月14日 - 発車ベルの騒音による近隣住民の苦情を受け、鉄道の日を期しこきりこ節を用いた発車メロディーの運用を開始する。
12月20日 - 当駅駅前に自転車駐輪場を設置する。
1990年(平成2年)
3月10日 - 富山貨物駅に貨物駅の業務を移管し、JR貨物の駅(当駅での貨物の取り扱い)が廃止される。
4月10日 - 西日本旅客鉄道子会社たるハートアンドアクションフーズがハチバンとフランチャイズ契約を締結し、当駅構内に飲食店を開業する。
7月21日 - 西日本旅客鉄道が富山地方鉄道線直通特別急行「リゾート立山」の運転を開始し、再び当駅構内に連絡線を敷設する。大阪駅発午前8時25分富山駅着午后0時6分特別急行「雷鳥15号」及び富山駅発午后3時大阪駅着午后7時8分の「雷鳥38号」にキハ65形気動車を2輌連結し、富山地方鉄道線内においてはキハ65形気動車が自走する。
1991年(平成3年)12月27日 - 当駅より当駅駅前再開発ビル(現:富山ステーションフロントCiC)を連絡する地下道を、当駅北口連絡地下道と接続し使用を開始する。
1992年(平成4年)
3月15日 - 当駅駅前街区市街地再開発事業の完成式を挙行する。
3月19日 - 当駅駅前街区市街地再開発事業として建設中であった富山ステーションフロントCiCが開業する。
3月25日 - 安田生命富山駅前ビルが完成し、落成式を挙行する。
1994年(平成6年)10月28日 - 当駅構内にコンビニエンスストアハートインが開業する。
1995年(平成7年)
4月20日 - 特別急行「サンダーバード」の運行を開始し、始発駅たる当駅においてその紀念式典を行う。
4月21日 - 運輸省が北陸新幹線富山駅暫定整備計画を決定し、日本鉄道建設公団にその建設を指示する。
4月28日 - 運輸省が日本鉄道建設公団の当駅駅舎工事実施計画を認可する。
5月25日 - 日本鉄道建設公団が北陸新幹線富山駅の測量及び設計を開始し、北陸新幹線整備調整事業起工式を挙行する。
8月24日 - 日本鉄道建設公団、北陸新幹線富山駅建設に向け地質調査に着手する。
1995年(平成8年)7月1日 - 当駅北側の「アーバンプレイス」ビルが開業する。
1997年(平成9年)
2月28日 - 当駅を高架化して南北を一体化し、地上及び地下の歩道により連絡できるように「複断面方式」とする基本計画を、第三回富山駅周辺地区南北一体的なまちづくり基本計画策定調査委員会が決定する。
3月 - 名古屋鉄道の直通特急「北アルプス」の乗り入れを中止する。
10月1日 - 当駅北口にみどりの窓口を開設する。
1998年(平成10年)
10月3日 - 当駅北側の牛島町地区市街地再開発組合が設立される。
12月19日 - 当駅南口駅舎2階にレンタルビデオ店が開業する。
12月25日 - 当駅北側牛島町再開発事業の起工式を行う。
1999年(平成11年)
4月10日 - 当駅開業100周年紀念式典を挙行する。
12月4日 - 同年7月より第55回国民体育大会に向けて建設中であった当駅北口駅舎が新築竣工する。
2000年(平成12年)
1月12日 - 列車の発車時刻等を表示する電光掲示板を設置する。
1月22日 - 同年2月8日からの北陸本線列車集中制御装置導入に伴い、こきりこ節を着想とする当駅発車メロディーの使用をとりやめ、試験的にこれを電子メロディへ変更する。
1月30日 - 第55回国民体育大会に向け、当駅南口駅舎待合室を改装する。
2月8日 - 北陸本線列車集中制御装置導入に伴い、正式に北陸本線標準電子メロディを発車合図として使用開始する。
2月11日 - 富山ステーションデパートをとやま駅特選館に名称変更し、改装開店する。
7月31日 - 当駅北地区再開発事業「とやま都市MIRAI計画」完成記念式典を、当駅北口地下広場において挙行する。
2001年(平成13年)5月27日 - 当駅南口広場にて北陸新幹線上越 - 富山間の起工式を挙行する。
2005年(平成17年)
3月8日 - 富山市が高架化工事完成後の当駅の完成予想図を示す。
6月27日 - 富山駅周辺立体交叉事業が国土交通省によって認可される。
10月6日 - 北陸新幹線の着工に伴う高架化工事が開始される。
2007年(平成19年)
3月18日 - 北口仮駅舎の使用を開始する。
10月11日 - 当駅構内にインターネットカフェ「@カフェサンダーバード」が開業する。
2008年(平成20年)10月20日 - JRの下りホームが仮設ホームに切り替えられ、同時に地下通路が廃止される。
2010年(平成22年)
4月19日 - JRの上りホームが仮設ホームに切り替えられ、南口仮駅舎での営業を開始する。
5月30日 - 北陸新幹線富山駅の駅舎建設に着工し安全祈願祭を挙行する。

建設の進む高架ホーム
2011年(平成23年)
5月22日 - 富山駅付近連続立体交叉事業に係る起工式及び安全祈願祭を挙行する。
11月30日 - 旧駅舎構内において営業していたとやま駅特選館等の商業施設が閉店する。
12月8日 - 同日よりとやま駅特選館が南口仮駅舎横の仮店舗にて営業を開始する。

建設中の新駅舎
2012年(平成24年)
5月14日 - 旧南口駅舎の解体に着手する。
11月17日 - 北陸新幹線開業後に使用される新駅舎の着工を行う。
2015年(平成27年)
3月13日 - とやま駅特選館が閉店する。
3月14日 - 北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間延伸開業に伴い、新幹線富山駅が開業。また北陸本線のあいの風とやま鉄道への移管に伴い、在来線富山駅を同社へ移管。同日より南口仮駅舎を閉鎖し、新駅舎の使用を開始する。これに伴い、構内の郵便差出箱を撤去し、郵便差出箱上に設置されていた売薬像を富山県薬業会館に移設する。また、当駅構内に商業施設「とやマルシェ」及び「クラルテ」が開業する。
3月26日 - あいの風とやま鉄道の駅でICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
4月20日 - あいの風とやま鉄道上り線とJR高山本線ホーム(1 - 3番)が、高架に切り替えられると共に、2階(中2階)改札口(新幹線連絡口)が使用を開始。
10月25日 - 今上天皇が第35回全国豊かな海づくり大会出席のため、皇后と共に富山駅を着御する。
2016年(平成28年)
2月19日 - 北口にみどりの券売機が設置される。
2月27日 - ICOCA定期券の販売また利用を開始する。
2017年(平成29年)3月13日 - あいの風とやま鉄道線ホームにおいて、「ふるさとの空」を接近メロディ、「四季」を発車メロディとして導入。


電鉄富山駅
1933年(昭和8年)当時の「富山駅構内配線図」。富南鉄道と富岩鉄道が富山駅に乗入れている。
1914年(大正3年)
12月6日 - 富山軽便鉄道の富山駅 - 笹津駅間の開通と同時に、富山軽便鉄道の富山駅が開業する。軌間1,067mm、動力は蒸気。
12月28日 - 富山軽便鉄道が国有鉄道富山駅の共同使用を開始する。
1915年(大正4年)10月24日 - 富山軽便鉄道が富山鉄道に社名を変更する。
1930年(昭和5年)3月5日 - 富山鉄道が飛越線(現高山線)開業に伴う経営悪化によって富山-笹津間の廃止申請を行う。政府はこれを認めず、飛越線開業に伴う赤字補填方針を打出し、昭和6年度より予算7万円を計上する。

戦前の電鉄富山駅。富山電気鉄道株式会社の本社でもあった。
1931年(昭和6年)
6月24日 - 富山電気鉄道の富山 - 上市間の鉄道敷設工事施行が認可される。
9月25日 - 当駅 - 富山田地方駅間が竣工する。
10月3日 - 富山電気鉄道の当駅 - 富山田地方駅間が開通し、電鉄富山駅が開業する。軌間1,067mm、電化(直流1,500V)。
11月7日 - 当駅 - 滑川間において直通運転を開始する。
1933年(昭和8年)
3月17日 - 富山鉄道が富山-堀川新間の富南鉄道に対する譲渡申請を行う。
3月31日 - 富山鉄道が富山-堀川新間の譲渡契約を富南鉄道との間に締結する。
4月20日 - 富山鉄道が解散し、富山駅 - 堀川新駅間を富南鉄道に譲渡する。
1937年(昭和12年)4月16日 - 富南鉄道が富山電気鉄道の傘下に入り、同社社長に佐伯宗義が就任する。
1941年(昭和16年)12月1日 - 富山電気鉄道が富南鉄道を合併。富山駅 - 南富山駅間は同社富南線所属となる。
1943年(昭和18年)1月1日 - 富山電気鉄道が富山県内の鉄道会社を合併し、富山地方鉄道に社名を変更する。路線名が整理され、電鉄富山駅 - 西三日市駅間が本線、電鉄富山駅 - 粟巣野駅間が立山線となる(電鉄富山駅 - 稲荷町駅間は電化された本線と非電化の立山線との単線並列。
1945年(昭和20年)8月2日 - 富山大空襲により当駅が罹災する。
1946年(昭和21年)
6月1日 - 電鉄富山駅(富山駅) - 稲荷町駅間のうち旧富南鉄道線の軌道(富南線)が電化され、立山線粟巣野駅までの直通運転を開始。
10月31日 - 富山大空襲による戦災により焼失した駅舎を復旧する。
1957年(昭和32年)9月1日 - 初めて自動券売機を設置する。
1960年(昭和35年)1月7日 - 自動券売機を増設する。
1961年(昭和36年)10月15日 - 第20回全日本産業安全大会への台臨のため行啓中の明仁親王及び美智子皇太子妃が、当駅より電鉄魚津駅に向け出御する。
1964年(昭和39年)4月10日 - 当駅 - 宇奈月駅間に途中停車なしの特別急行列車の運行を開始する。
1967年(昭和42年)11月30日 - 本線の当駅 - 電鉄桜井駅(現在の電鉄黒部駅)間がCTC化する。
1968年(昭和43年)6月11日 - 当駅宇奈月駅間の途中停車なしの特別急行列車の運行を休止する。
1969年(昭和44年)
4月1日 - 当駅 - 宇奈月駅(現在の宇奈月温泉駅)間を本線に改称する。
4月15日 - 当駅 - 稲荷町駅間の富山田地方駅が廃止される。
5月28日 - 昭和天皇及び香淳皇后が当駅を利用される。
1970年(昭和45年)5月10日 - 当駅 - 宇奈月駅間及び当駅 - 千寿ヶ原駅間に特別急行列車の運行を開始する[。
1971年(昭和46年)1月1日 - 定期券専用自動改札機の使用を開始する。
1981年(昭和56年)4月1日 - 自動改札機を廃止する。
1985年(昭和60年)
5月5日 - 当駅構内改築工事を開始する。
7月17日 - 富山ターミナルビル及び富山地方鉄道が、建設中の「富山ターミナルビル」及び「電鉄富山駅ビル」の計画概要を公表する。
11月24日 - 当駅構内改築工事を完了する。
11月28日 - 富山駅前立体駐車場が完成し、電鉄富山駅の乗務区施設を移転する。
1986年(昭和61年)11月1日 - 当駅駅ビル竣工により、ホームを移設する。これにより路線は、0.1粁短縮される。
1987年(昭和62年)12月5日 - 電鉄富山駅ビル「エスタ」が開業する。
1992年(平成4年)11月25日 - 各駅においてヤマト運輸宅急便の受付を開始する。
2010年(平成22年)3月14日 - 駅構内の乗車券センターに、富山市内軌道線に導入されたIC乗車券「ecomyca」の自動チャージ機(積み増し機)を設置する。
2012年(平成24年)3月17日 - 当駅をはじめ鉄道路線の17駅にecomyca対応の自動改札機が設置され、使用を開始する。

電鉄富山駅・エスタ前停留場[編集]

富山駅構内に乗入れた戦前の富山駅前停留場

昭和30年代の富山駅前停留場
1913年(大正2年)9月1日 - 富山電気軌道本線の富山駅前 - 共進会場前(現在の堀川小泉)間および支線の富山駅前 - 総曲輪(現在の丸の内) - 西町間が開業[131]に伴い、同社の富山駅前停留場(とやまえきまえていりゅうじょう)として開業する[116]。軌間1,067mm、電化(直流600V)[116]。
1920年(大正9年)
7月7日 - 富山電気鉄道が富山市に対し当該路線の軌道敷設免許及び事業経営権を譲渡する許可を受ける[45]。
7月1日 - 富山市に富山市電軌課が発足。富山電気軌道が市に譲渡され、富山市営軌道となる[132]。
1921年(大正10年)8月4日 - 富山駅前 - 西町間の複線化が完了する[45]。
1922年(大正11年)
7月7日 - 富山市営軌道が富山駅乗入軌道の免許を取得する[45]。
10月13日 - 富山駅構内への乗入れを開始する[45]。
1934年頃 - 桜橋 - 富山駅前 - 総曲輪間のルートを変更する[133]。変更前の富山駅前停留場の位置は現在の富山駅停留場付近(富山駅構内)にあったが、ルート変更で現在地付近(富山駅構外)へ移設された[134]。
1936年(昭和11年)10月13日 - 富山駅構内乗入線が開通により当停留場を移設し、富山駅構内に再度乗入れる[135]。
1943年(昭和18年)
1月1日 - 路線譲渡により富山地方鉄道の停留場となる[136]。
11月29日 - 富山駅構内乗入線を廃止し、路盤を撤去する[137]。
1945年(昭和20年)
8月2日 - 富山大空襲の戦災により休止する[122]。車輌及び軌道は全滅した[138]。
9月16日 - 富山駅前-南富山駅間に代行バスの運行を開始する[45]。
1946年(昭和21年)1月14日 - 南富山駅前 - 富山駅前間復旧に伴い営業を再開する[139]。午前7時より午后6時まで4車輌で15分間隔の運行であった[25]。
1949年(昭和24年)3月15日 - 富山駅前 - 旅篭町間復旧に伴い総曲輪方面の営業を再開する[139]。
1954年(昭和29年)4月1日 - 笹津線の富山駅前乗入れを開始する[45]。
1967年(昭和42年)10月10日 - 笹津線の富山駅前乗入れを廃止する[45]。
1970年(昭和45年)4月8日 - 富山駅前-南富山駅間のワンマン化を実施する[42]。
1988年(昭和63年)5月1日 - 接近表示装置を設置する[125]。
1997年(平成9年)8月12日 - 南富山駅行富山駅前停留場の拡幅を行う[125]。
2015年(平成27年)3月14日 - 富山市内軌道線の富山駅 - 電鉄富山駅・エスタ前間開通。富山駅停留場との混同を避けるため電鉄富山駅・エスタ前停留場(でんてつとやまえき・エスタまえていりゅうじょう)に改称する[140][141]。
富山駅停留場[編集]
2015年(平成27年)3月14日 - 富山地方鉄道富山市内軌道線の富山駅 - 電鉄富山・エスタ前間開通に伴い、富山駅停留場が開業する[140][141]。
富山駅北停留場[編集]

富山駅に停車中の富山港線475系電車
1927年(昭和2年)12月15日 - 富岩鉄道の貨物支線として富山駅 - 富山口駅間が開通し、同社の富山駅が開業する[142]。同日より国有鉄道富山駅の共同使用を開始する[117]。ただし、当時は貨物中継のみ。当初から電化されており、架線電圧は直流600Vだった。
1928年(昭和3年)7月11日 - 富岩鉄道当駅 - 富山口駅間において旅客運輸営業を開始し、同日より旅客も国有鉄道富山駅の共同使用を開始する。
1938年(昭和13年)
5月26日 - 富山市が当駅 - 日曹工場前駅間の鉄道敷設免許を取得する。
8月24日 - 富山市営鉄道運河線(貨物線)の富山駅 - 日曹工場前駅(後の奥田駅)間が開業し、富岩鉄道がこれを借受する。
1940年(昭和15年)5月6日 - 当駅 - 日曹工場前駅間の電化が認可される。
1941年(昭和16年)12月1日 - 会社合併に伴い富岩鉄道線を富山電気鉄道が譲受し、また富山市営鉄道運河線を同社が借受して、合せて同社の富岩線とする。
1942年(昭和17年)12月7日 - 1938年(昭和13年)8月富山市に対して免許され、富岩鉄道(のちに富山電気鉄道)が借受していた富山市営鉄道運河線(貨物線)の富山駅 - 日曹工場前駅間が、富山電気鉄道に対して譲受される。
1943年(昭和18年)
1月1日 - 富山電気鉄道が富山地方鉄道に社名を変更する。
6月1日 - 富山地方鉄道富岩線が国有化され、国有鉄道富山港線とな。
1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承される。
1960年(昭和35年)2月24日 - 当駅 - 奥田駅間の電気運転を廃止する。
1967年(昭和42年)3月30日 - 富山港線の架線電圧を直流1,500Vに昇圧する。
1984年(昭和59年)2月1日 - 当駅 - 奥田駅間を廃止する。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)に継承される。
1992年(平成4年)3月24日 - 日本国有鉄道清算事業団の用地整備事業のため、旧富山港線ホームを解体し、新富山港線ホームの使用を開始する。

建設中の富山駅北停留場
2006年(平成18年)
3月1日 - JR西日本富山港線が廃止され、再開業まで代替バスを運行する。
4月29日 - JR西日本富山港線が富山ライトレールに移管され、再開業する。架線電圧を直流600Vに降圧する。富山駅北停留場(とやまえききたていりゅうじょう)開業。
2010年(平成22年)3月14日 - チャージ(入金)機において、富山地方鉄道のIC乗車券「ecomyca」との相互利用を開始する。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社