基本情報
所在地:〒866-0862 熊本県八代市松江城町1-25
電話:0965-33-4111
【Official site】
八代市
八代市(やつしろし)は、熊本県南の中心的な市で、県下第2の人口を有する田園工業都市。日
本三大急流の一つである球磨川が分流して不知火海に注ぐ三角州地帯の北岸に市街地がある。江
戸時代には、熊本藩主細川氏の筆頭家老松井氏の城下町として栄えた。
概要
江戸時代以来の干拓によって広がった平野部では農業が盛ん。畳表の原料となるいぐさの生産は
日本一で、国産の約8割を占める。ただし、近年は安い中国産に押され、作付面積が最盛期の3分
の1と急激に減少している。また、国内最大の柑橘類・晩白柚(ばんぺいゆ)も特産品で日本一
の生産量を誇る。最近はトマトの一大産地としても知られる。
明治時代になり八代港が近代的な港湾として整備され、1890年(明治23年)に九州第1号のセメ
ント工場ができたのを皮切りに、以後製紙工場(九州製紙、現日本製紙)、日曹人絹パルプ(現
興人)、昭和酒造(現メルシャン)と相次いで進出し、工業都市へと発展した(八代臨海工業地
域)。
戦中、戦後を通して田園地帯や海岸埋立地に新しい工場が立ち並び、いぐさの生産も伸びて繁栄
。当時、商店街、歓楽街や日奈久温泉の賑わいは熊本一だったという。しかし、近年は中心部の
大型店の撤退や郊外の大型ショッピングセンターの進出などで中心市街地の活性化が課題になっ
ている。
毎年11月に行われる八代神社の「妙見祭」は、長崎くんち・博多祇園山笠と並ぶ九州三大祭。御
輿、獅子舞、神馬、花馬、傘鉾、亀蛇(がめ)などが居並ぶ行列は1kmに及ぶ。秋には毎年数十
万人の観光客が集まる「やつしろ全国花火競技大会」が行なわれる。
八代平野の南端にある日奈久温泉は、合計16の泉源が集中しており、湧出量は毎時140トン、ほ
とんどの旅館がかけ流しである。江戸時代に熊本藩の藩営温泉場として栄えた。のんびりとした
風情で、薩摩街道筋を中心に明治・大正・昭和の町の区割りがそのまま残っている。日奈久の名
産として、細川氏の御用窯だった高田焼(こうだやき)や竹細工、ちくわが知られる。
地理
西部は不知火海(八代海)に面した平野部で、その大半は江戸時代以降数次にわたる干拓によっ
て広がったものである。東部から南部にかけては九州山地の深い山間部で、合併によって市域は
平家落人の里として知られる五家荘まで及び宮崎県と境を接する。
山岳
三峰山 (714.2m)
八峰山 (574.3m)
龍峰山 (517.2m)
大金峰 (1396m)
小金峰 (1377m)
上福根山(1645m)
国見岳 (1739m)
河川
球磨川水系(一級水系)
球磨川(日本三大急流の1つ)
前川
南川
古麓川
二見川水系(二級水系)
二見川
下大野川
大鞘川水系(二級水系)
大鞘川
夜狩川
水無川水系(二級水系)
水無川
流藻川水系(二級水系)
流藻川
氷川水系(二級水系)
氷川
河俣川
滝
栴壇轟の滝(日本の滝百選の1つ)
隣接している自治体
熊本県
宇城市
下益城郡:美里町
上益城郡:山都町
八代郡:氷川町
葦北郡:芦北町
球磨郡:水上村、五木村、山江村、球磨村
宮崎県
東臼杵郡:椎葉村
歴史
肥後国誌には「八代」の地名の由来は社(やしろ)で、天照皇太神の山陵が上古にこの地に在っ
たので「やしろ」と言われるようになったと記されており、九州王朝説では倭姫命が定めた伊勢
神宮のあった伊勢の有力候補地とされる。(参照→九州王朝#伊勢神宮)
景行天皇十八年(88年?)が九州を巡幸した折、休息されたとされる芦北の小島は八代市の球磨川
河口にある水島である。
6世紀には、百済に仕え二位達率と極めて高い官位を与えられた後に朝廷に招かれた日羅大師の
父阿利斯登を輩出した。
推古天皇十七年(609年?)には百済の道欣恵弥ら僧11人と俗人75人が芦北の津(八代)に入港し
た。
古来より八代は博多、坊津と並ぶ九州の対外貿易港で、みかんが中国南部より伝来した地である
とされる。平安時代末期には日宋貿易を重視した平清盛の所領であり、鎌倉時代になると執権北
条氏の所領となった。室町時代初めの1334年に建武の新政時の功績により伯耆国で海運業を営ん
でいた名和長年の子、名和義高が八代荘地頭職を賜り、古麓城と城下町を築いた。名和氏は、隣
の球磨郡の領主・相良氏と室町時代を通じてたびたび争ったが、1504年、相良氏が名和氏を追い
八代に進出。相良氏は本拠を古麓に移し、徳淵津(徳渕津)が中国との貿易港として大いに栄え
た。しかし、1582年には相良氏は南の薩摩・大隅から勢力を伸ばしてきた島津氏に服属し、八代
から退いた。
その後の1587年には島津氏も豊臣秀吉の天下統一の過程で行われた九州征伐で八代を追われた。
当時の八代の人口は五万を数え肥後国の中で最も栄えていると記録されており、秀吉は隈本城や
古麓城など肥後を佐々成政に与えたが徳渕津は豊臣家の直轄領とし番大将として寺西次郎介が入
った。肥後国人一揆で佐々成政が滅亡した後、肥後国南部の領主となった小西行長は、古麓城を
廃城とし新たに八代支配の拠点として1588年に 麦島城を築いた。関ヶ原の戦いの後、熊本城主
・加藤清正が肥後一国の領主となり、1612年、城代として加藤正方が麦島城に入った。
1615年に一国一城令が出されたが、麦島城は一国一城令の例外として残り、肥後国は熊本城と麦
島城の一国二城体制となった
1619年、麦島城は大地震によって崩壊したが、幕府の許可により松江城(八代城)が新たに築か
れた。築城当時は、南北811メートル、東西1477メートルの大規模な城で、現在は本丸の石垣と
堀が残っている。幕府が一国一城令の例外として築城を認めたのは、島津氏に対する備えのため
といわれる。
1632年、加藤氏の改易により、細川忠利が肥後の領主となると、その父・細川忠興(三斎)が隠
居所として松江城に入城。1645年に三斎が亡くなると、筆頭家老の松井興長が入城した。以後幕
末まで松井家3万石の城下町として栄えた。
1688年に城主松井直之が築いた御茶屋「松浜軒(しょうひんけん)」が今に残り、国の名勝に指
定されている。ハナショウブなど四季折々の花が美しい庭園を備え、園内の松井文庫の資料館に
は松井家の家宝が展示されている。
1821年には、江戸時代の肥後国最大の干拓事業である七百町新地(鏡町)の干拓が行われ、米
2,400石、塩1,600石の増収となった。
市域の変遷(市町村制施行以後)
1940年
9月1日 市制施行(八代郡八代町・太田郷町・植柳村・松高村)
1943年
4月1日 八代郡郡築村編入
1950年
7月1日 八代郡郡築村分村
1954年
4月1日 八代郡八千把村・高田村・金剛村編入
7月1日 八代郡郡築村再編入
1955年
4月1日 八代郡宮地村・葦北郡日奈久町編入
11月1日 八代郡千丁村との境界変更
1956年
4月1日 八代郡昭和村編入
1957年
1月1日 葦北郡二見村編入
1961年
3月1日 八代郡龍峯村編入
2005年
8月1日 近隣町村である八代郡鏡町・千丁町・泉村・坂本村・東陽村と新設合併
経済
農業
2005年の農業産出額は302億円。主な農産物は、米、いぐさ、トマト、メロン、キャベツなど。
製造業
2005年の製造品出荷額は2,103億円。うち、パルプ・紙が531億円で最も多い。
主な事業所
日本製紙八代工場
メルシャン八代工場
YKK AP九州事業所
興人八代工場
ヤマハ熊本プロダクツ
神田工業八代工場
櫻井精技
つちや
サンテック八代工場
熊本くみあい飼料
西田精麦
パシフィックグレーンセンター八代支店
八代飼料
九州昭和産業八代工場
商業
2002年の年間商品販売額は2,762億円。
主な商業集積
本町商店街
通町商店街
イオン八代ショッピングセンター
ゆめタウン八代
特産品、伝統工芸品
特産品
いぐさ製品
晩白柚(ばんぺいゆ)
日奈久ちくわ、蒲鉾
塩トマト(塩分の多い干拓地の土壌ではトマトが水分を十分に吸い上げられず、その分小ぶりで
旨みが濃縮され糖度が高くなる。フルーツトマトの元祖。)
はちべえトマト(八代の冬トマトの愛称。産地が一体となって黄色灯を活用した害虫防除を導入
し、減農薬栽培に努めている。八代地方で生産されるトマトの約80%は温暖な気候を活かして冬
に栽培され、冬春トマトの出荷量は国内一。)
鮎製品(八代駅で販売されている駅弁「鮎屋三代」は、球磨川で獲れた天然の鮎を使った出汁で
炊いた御飯に、鮎の甘露煮が乗っている。JR九州の「人気駅弁ランキング」で3年連続1位に輝く
。)
辛子蓮根
このしろ寿司
しゃく味噌
かずらどうふ
しょうが、しょうが加工品
えのきたけ
やまめ、やまめ加工品
豆腐の味噌漬け
しいたけ
柚、柚加工品
伝統工芸品
高田焼(八代焼)
竹細工
手打刃物
刀剣
肥後つば(鍔)
宮地手漉き和紙
鮫(エイ)皮漆塗細工
鯉のぼり・武者絵のぼり
教育
高等学校
熊本県立
八代高等学校
八代東高等学校
八代工業高等学校
八代農業高等学校
泉分校
八代清流高等学校
私立
秀岳館高等学校
八代白百合学園高等学校
高等専門学校
国立
熊本高等専門学校 八代キャンパス(八代工業高等専門学校のキャンパスを継承して2009年10月に開校)
短期大学
私立
中九州短期大学
専修学校
八代実業専門学校
IEC九州国際カレッジ専門学校
八代市医師会立 八代看護学校
独立行政法人労働者健康安全機構 熊本労災看護専門学校
社会教育
八代ハーモニーホール
八代市厚生会館
八代市二見自然の森
八代市東陽石匠館
八代市千丁文化センター
八代市鏡文化センター
八竜山自然公園
五家荘自然塾
図書館
八代市立図書館
移動図書館ともだち号
せんちょう図書館
かがみ図書館
博物館
八代市立博物館・未来の森ミュージアム
天文台
さかもと八竜天文台
公民館
高田公民館
南部市民センター
金剛公民館
郡築公民館
宮地公民館
宮地東公民館
八千把公民館
松高公民館
植柳公民館
二見公民館
八代公民館
太田郷公民館
日奈久公民館
昭和公民館
竜峯公民館
麦島公民館
代陽公民館
坂本公民館
千丁公民館
鏡公民館
東陽公民館
体育施設
八代市総合体育館
八代市民プール
八代市弓道場
八代市民球場
八代市民グラウンド
熊本県八代市球技場
八代市スポーツ・コミュニティ広場
八代市立武道館
八代城址公園相撲場
八代市百済来スポーツセンター
八代市千丁体育館
八代市千丁テニスコート
八代市千丁東グラウンド
八代市千丁西グラウンド
八代市鏡体育館
八代市鏡プール
八代市鏡武道館
八代市鏡テニスコート
八代市鏡相撲場
八代市鏡総合グラウンド
八代市東陽スポーツセンター
八代市東陽運動公園
八代市泉運動広場
名所・旧跡・観光スポット
八代宮
八代神社(妙見宮)
松浜軒
松井神社
八代市立博物館・未来の森ミュージアム
古田阿蘇神社
若宮神社
塩屋八幡宮
萩原菅原神社
古麓稲荷神社
大名持命神社
日奈久温泉神社
二見神社
岩崎神社
印鑰神社
貝洲加藤神社
文政神社
柿迫神社
釈迦院
日奈久温泉
JRAウインズ八代
五家荘(旧泉村)
球磨川
自然体験
石匠館
日光の棚田
1999年7月 日本の棚田百選に選定された
2013年10月、地元全25世帯とNPO法人ハーヴェストにより、地域ぐるみで景観を守るための日光の棚田活性会を設立し共同管理を開始
重要文化財(国指定)
十三重石塔(植柳元町)
旧郡築新地甲号樋門
木造薬師如来立像(医王寺)
木造毘沙門天立像(明言院)
刀 無銘 伝雲生(松井文庫)
平石如砥墨跡(ひんせきにょしぼくせき)(松井文庫)
名勝(国指定)
旧熊本藩八代城主浜御茶屋(松浜軒)庭園「松浜軒(しょうひんけん)」
不知火及び水島
登録有形文化財
シャルトル聖パウロ修道院記念館
郡築二番町樋門
金波楼本館、大広間棟、正門及び塀
県指定重要文化財
八代神社(妙見宮)
木造阿弥陀三尊像(旧光明寺)
木造阿弥陀如来坐像(西宮町階下)
木造十一面観世音菩薩立像(奈良木神社)
木造阿弥陀如来坐像(盛光寺)
木造聖観音立像(医王寺)
銅造釈迦如来立像(釈迦院)
木造男女神坐像(釈迦院)
雲版(悟真寺)
鰐口(大門薬師堂)
鰐口(大門観音堂)
梵鐘(法浄寺)
鐔 林又七 三階松透(松井文庫)
宮本武蔵書状
小早川家文書
県指定史跡
八代城跡
大鼠蔵古墳群
高田焼平山窯跡
田川内第一号古墳
平山瓦窯跡
今泉製鉄跡
大鞘樋門群
妙見上宮跡
県指定重要民俗文化財
妙見宮祭礼御幸関連資料
県指定重要無形民俗文化財
八代神社祭礼行列
植柳盆踊り
古代踊り
県指定天然記念物
臥龍梅
久連子鶏
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】