天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

大分県・中津市20161130

中津市役所


基本情報
所在地:〒871-0058 大分県中津市豊田町14-3
電話:0979-22-1111


【Official site】

中津市
中津市(なかつし)は、大分県の北西端に位置する市である。

概要
大分県内では大分市、別府市に次いで人口が3番目に多い都市である。城下町で、青の洞門、羅漢寺、福澤諭吉旧居、中津城などの文化財や歴史的建造物、市域南部には景勝地の耶馬渓がある観光都市である。
中津市は旧豊前国に当たるため、福岡県北九州地方(北九州市、行橋市、豊前市、築上郡、京都郡など)との結び付きが強く、福岡県からの通勤・通学人口が非常に多い。特に旧上毛郡地域であった豊前市、上毛町、吉富町は、古くは旧下毛郡と合わせて三毛郡というひとつの郡であったため、中津市との関係が深く、経済・文化・生活面で中津市と一体である。そのため、山国川を挟んで隣接する福岡県吉富町・上毛町は、築上郡の中心都市である豊前市との合併を拒否して中津市との越境合併を視野に入れている。経済的に北九州都市圏の中にあり、同都市圏の5パーセント通勤圏であるが、小都市圏である中津都市圏(約217,000人)の中心都市としての役目も担っている。また南部の山国町は中津市街地よりも、日田市の方が距離的に近いため、日田市との結びつきが強い。
2004年(平成16年)末に、ダイハツ車体株式会社が中津市昭和新田に本社、工場を移転したため自動車関連工場の集積が進んでいる。2015年(平成27年)3月1日、東九州自動車道の中津ICが開設された。また、日田市方面に中津日田道路の建設も予定されている。福岡県北九州市・苅田町沖の北九州空港の開港や自動車関連企業の誘致予定もある。


地理

地形
北部は周防灘(瀬戸内海)に面し、南部の本耶馬渓、耶馬渓、山国町はほとんどが山間部でこの地域は「耶馬渓」と呼ばれ景勝地として有名である。
東部から宇佐市にかけては、広範囲に水田が広がり、県内最大規模の農業地帯である。
耶馬溪・八面山麓から山国川流域には県内最大規模の平野である中津平野が広がる。

自然
八面山 (大分県)
山国川(福岡・大分県境を流れる一級河川)
犬丸川
周防灘
英彦山
野依新池

気候
瀬戸内海式気候のため温暖で年間降水量も九州地方では少ない地域である。市内北東部の野依新池では環境省のレッドデータブックで絶滅危惧I種に指定され、現在生息が壊滅状態となっているベッコウトンボの個体群が繁殖している。山国川上流の耶馬溪町に位置する耶馬溪ダムは北九州・大分県北部の水がめの役割を担う。

近隣市町村
大分県
宇佐市
日田市
玖珠町
福岡県
豊前市
吉富町
上毛町
築上町
みやこ町
添田町

歴史
古代
国道10号南側には条里制による条里地割の跡が現存しており、古代から中津平野の開発が行われていたことがわかる。
日本神話に出てくる豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)はこの地であり、豊の国や中津という地名はその名残であるとする説があるが、一般に受け入れられていない。

中世・近世
城下町としての歴史は、1587年に黒田孝高が豊臣秀吉から豊前6郡(京都・築城・仲津・上毛・下毛・宇佐)の16万石と馬ヶ岳城(福岡県行橋市)が与えられた後に、拠点を山国川河口部に移し中津城を築城したところから始まる。市街地がほぼ完成したのは1600年代中頃とされる。城主は後に細川氏・小笠原氏を経て、1717年(享保2年)に奥平氏が入封し明治維新を迎えることになる。

近現代
廃藩置県により現在の市域は中津県となり、その後小倉県から福岡県となったが、1876年8月21日に福岡県のうち宇佐郡と下毛郡が大分県に編入され、中津支庁が設置されたことで大分県北の中心地として重要性を帯びるようになった。 。
近代工業の始まりは1879年から1880年にかけて工場が設置されたのが最初とされ、1890年代には繊維工業が集積するようになった。1944年の神戸製鋼所進出は第二次世界大戦後の重工業化のきっかけとなり、1970年頃までは鉄鋼業と衛生陶器製造(TOTOおよび関連企業)が特に盛んであった。1970年代後半からは自動車関連工場の進出が中心となり、1984年には『豊の国テクノポリス』の中心都市に指定された。
1871年(明治4年)7月14日 - 廃藩置県により、中津藩を廃し中津県が設置される。
1871年(明治4年)11月14日 - 第1次府県統合により旧豊前国の中津県等を統合し、小倉県が発足。
1876年(明治9年)4月18日 - 第2次府県統合により小倉県が福岡県に編入される。
1876年(明治9年)8月21日 - 宇佐、下毛両郡が福岡県から大分県に編入される。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、現在の中津市域に1町25村が成立。同日に中津町が町制施行。
1896年(明治29年)3月29日 - 福岡県上毛郡高浜村大字小祝のうち山国川支流以東を編入。
1925年(大正14年)4月1日 - 大江村、豊田村を編入。
1929年(昭和4年)4月20日 - 小楠村を編入し、大分県で3番目に市制施行。
1943年(昭和17年) - 鶴居村、大幡村、如水村を編入。
1951年(昭和26年) - 三保村を編入。
1954年(昭和29年) - 和田村を編入。
1955年(昭和30年) - 今津町を編入。
2005年(平成17年)3月1日 - 下毛郡(三光村、本耶馬渓町、耶馬溪町、山国町)を編入。

教育
高等学校
大分県立中津南高等学校
大分県立中津南高等学校耶馬渓校
大分県立中津北高等学校
大分県立中津東高等学校
大分県立中津工業高等学校(2011年3月閉校)
大分県立中津商業高等学校(2011年3月閉校)
学校法人扇城学園 東九州龍谷高等学校

大学・短期大学
東九州短期大学

専修学校
中津ファビオラ看護学校

経済
主な企業
ダイハツ九州(本社)
TOTO
ルネサス セミコンダクタ パッケージ&テスト ソリューションズ(大分工場)
西の誉銘醸(本社)
オイレス工業(大分工場)
DIC九州ポリマ
CKK
積水化成品工業(大分工場)

特産品
旧中津市:ハクサイ、ブロッコリー、大分味一ねぎ、梨、蛤しるこ、巻柿、かぼす麺、ハモ料理、丸芳露(丸ボーロ)
旧三光村:ややま味噌、イチゴ、大分味一ねぎ、三光桃、三光パン、トルコギキョウ
旧本耶馬溪町:耶馬渓茶、夏秋きゅうり、生しいたけ、いちご、にら、ソバ加工品
旧耶馬溪町:牛乳、耶馬渓茶、トルコギキョウ
旧山国町:夏秋きゅうり、豊後牛、木工品、梨、かずら工芸品

から揚げ
中津市にはから揚げを売る店舗が多く、惣菜店・肉屋以外にもから揚げ専門店がある。中津市はから揚げを扱う店舗を掲載した「からあげマップ」を作成しており、観光案内所でも同様の地図を配布している。
かつて1990年秋にケンタッキーフライドチキン(KFC)が中津市に出店したが、売り上げ不振のため1995年5月に撤退した。地元では、から揚げとの競争に負けたからという都市伝説が定説になっている。なお、KFCは2007年に再度、市内のゆめタウン中津に出店している。

中津市の銘菓
巻蒸(けんちん)
外郎饅頭(ういろうまんじゅう)
蛤しるこ
ビスマン
壱万円の里せんべい
びったれ餅
丸芳露(丸ボーロ)

主要大規模小売店舗
中津市街地
ゆめタウン中津(約27,000m2)
井筒屋中津店(ゆめタウン中津1階)
デオデオ中津店(ゆめタウン中津1階)
サンリブ中津(約8,900m2)
中津駅名店街 - 但し大部分は閉鎖されている。

郊外
イオンモール三光(旧・三光村)(約35,000m2)
フレスポ中津北(6,129m2)
ヤマダ電機九州テックランド中津店(約4,800m2)
スーパーセンタートライアル中津店
かつて存在した大規模小売店舗
「イオンモール三光」進出(1996年)などの影響を受け、中心市街地にある大規模小売店の多くが撤退した。
中津市街地
中津サティ・大分交通中津ビル(旧「丸吉デパート」。約11,000m2、2000年撤退) - 中津駅前。駐車場となっていたが2012年に市内下池永にあった結婚式場が新築移転。
中津寿屋百貨店(約14,000m2、2002年倒産) - 福沢通り・寿通り商店街入口。2012年現在売りビル。くらし館とレジャー館は2010年10月に解体。
AXiS中津寿屋百貨店本館・ファッション館
中津寿屋百貨店くらし館 → アパンダシアーズ1中津店(2006年倒産)
中津寿屋百貨店レジャー館
井筒屋中津店(2000年撤退、ゆめタウン中津1階に移転) - 中津駅前・日の出町商店街入口。2012年現在、更地・駐車場として利用。

中心商店街
日の出町商店街(全蓋型アーケード設置)
新博多町商店街・寿通り商店街(全蓋型アーケード設置)
博多町商店街
仲町商店街

道の駅
なかつ(国道10号)
耶馬トピア(国道500号)
やまくに(国道212号)


名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所
中津城
福沢諭吉旧居
薦神社(こもじんじゃ)
村上医家史料館
江戸時代初期から続く村上医家を始め、中津に残る医学・蘭学の史料を展示している。裏庭には、蛮社の獄で刑死した高野長英が潜伏していたと伝えられる土蔵が残る。
大江医家史料館
代々中津藩御殿医を勤めた大江家を始め、中津に残る医学・蘭学の史料を展示している。5代雲澤は、麻酔薬「通仙散」の発明で知られる華岡青洲の医塾で学び、中津医学校の初代校長を勤めた。
金谷武家屋敷
自性寺大雅堂
寺町
生田家武家屋敷門
蛎瀬豊後街道
菅公御着船の旧跡(かんこうごちゃくせんのきゅうせき)
犬丸天満宮(いぬまるてんまんぐう)
菅原道真が大宰府へ左遷させられる際、暴風雨に遭い難破して、九州で初上陸したと伝えられる地に、天歴10年(956年)村上天皇の命で道真公の旧跡を訪ねた孫の菅原文時が、この地に社殿を建立したと伝えられている。
若籏神社(わかはたじんじゃ)
植野神楽【県指定無形民俗文化財】が毎年4月29日と大晦日に行われる。慶長5年(1600年)、黒田孝高は石垣原の戦いで勝利し、若籏神社に弓二張を奉納したと伝えられている。
三光コスモス園
耶馬渓
深耶馬渓
青の洞門
羅漢寺
耶馬渓橋
馬渓橋
羅漢寺橋
大分県道411号中津山国自転車道線(メイプル耶馬サイクリングロード、大分交通耶馬渓線跡)
八面山金色温泉
耶馬溪温泉郷
守実温泉
中摩温泉
大勢温泉




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社