基本情報
所在地:〒750-0006 山口県下関市南部町1-1
電話:083-231-1111
【Official site】
下関市
下関市(しものせきし)は、山口県西部に位置する中核市。本州の最西端に位置し、関門海峡北岸に面する。山口県最大の人口を擁する都市である。
概要
山口県を代表する都市の一つであり、その人口規模は県庁所在地の山口市を凌ぎ、山口県一の規模を誇る。中国地方でも5番目(広島市、岡山市、倉敷市、福山市に次ぐ)の人口規模の都市。2005年(平成17年)10月1日に中核市の指定を受けた。
経済面でも山口県西部(旧長門国)の中心的都市であり、下関市に本社、あるいは営業拠点を置く企業も少なくない。例えば、中国・四国地方最大の金融グループである山口フィナンシャルグループおよび傘下の山口銀行、山口県下最大(中国地方3位)の信用金庫である西中国信用金庫、山口合同ガス、一般紙「山口新聞」や日本最大の水産食品専門紙「みなと新聞」(全国紙)を発行するみなと山口合同新聞社の本社などが置かれていることなどがあげられる。また日本銀行も山口市ではなく下関市に日銀支店(日銀下関支店)を置いている。
また、関門海峡対岸に位置する北九州市をはじめとする北部九州地域との交流も深く、下関市は北九州市とともに関門都市圏を形成している(詳細は後述)。
中心部の下関港周辺は、古くは赤間関(あかまがせき)と呼ばれており、これを赤馬関(あかまがせき,せきばかん)とも書いたことから、これを略した馬関(ばかん)という別名も用いられた。
1878年(明治11年)郡区町村編制法により、東京15区、大阪4区、京都2区、以下1区ずつで名古屋、横浜、堺などと共に赤間関区が置かれた。
1889年(明治22年)4月1日の市制施行時に、日本で最初に市制を施行された31市の1つとして赤間関市発足(山口県で唯一)。1902年(明治35年)6月1日に現市名の下関市となる。2005年(平成17年)2月13日、下関市、菊川町、豊田町、豊浦町、豊北町が合併(新設合併)して、新たに下関市が発足した。これは、山口県が指定する下関広域都市圏と一致し、広域都市圏が1市にまとまったことになる(→山口県#地域圏)
地理
地勢
山口県の最西端かつ本州の最西端に位置する。関門海峡を挟んで西を日本海(響灘)、南を瀬戸内海(周防灘)に接する。周防灘に注ぐ木屋川や響灘に注ぐ綾羅木川などの河口付近に形成されている沖積平野部を除くと、稜線が海岸ぎりぎりまで接近する地形となっており、特に旧市街では平地が少ない。旧郡部ではいくつかの盆地が点在し、それぞれの盆地で集落を形成している。市内に位置する主な山としては、関門海峡に面し観光スポットにもなっている火の山、航空通信施設などのある華山、あるいは狗留孫山などがある。人の住む島としては、関門海峡に面した彦島、響灘に浮かぶ角島、蓋井島、六連島がある。
気候
気候は複雑で日本海側気候と瀬戸内海式気候と太平洋側気候の境界に当たる。冬は北西の季節風の影響で曇天が多く、雨・雪の降る日もある。降雪量は少ない。
三方(西・南・東)を海に囲まれ、響灘を流れる対馬海流の影響もあり、旧市内及び響灘沿岸の日較差(日最高気温と日最低気温の差)は小さく、夏は山口県の他の地域に比べるとそれほど高温にならず、冬も低温にならない為、温暖で過ごしやすい地域と言える。しかし、豊田町や菊川町など山沿いの内陸部では寒暖の差は大きい。
交通の要衝
下関は山陽道と山陰道の結節点にあたり、さらには関門海峡を挟んで九州と対峙する位置にあったこともあり、古来より陸と海における交通の要衝であり続けた。陸路の例として、山陽道(西国街道)の終点であったことや現在の国道9号の終点であること、また国道191号の起点であること。海路の例として、近世に北前船(西廻り航路)の経由地であったことや、現在、下関港が特定重要港湾および中枢国際港湾に、下関漁港が特定第3種漁港にそれぞれ指定されていることが挙げられる。
交通の要衝であることは、国土防衛上重要な地点であることも意味する。明治期から終戦にいたるまで、下関から門司にいたる関門海峡沿岸一帯が西日本最大と言われた要塞地帯である下関要塞地帯に指定され、写真撮影や地図作成などが厳しく制限された。現在も市内各所に当時の標柱や砲台跡など、要塞地帯の遺構が残っている。
戦前は、関釜連絡船就航によって中国本土や朝鮮半島への玄関口として活況を呈した。終戦時に下関港が在日韓国・朝鮮人送還の主要な出発港の一つになったこともあり、また、現在、日本で唯一毎日運航されている貨客国際航路である関釜フェリーの存在により、現在では市内全域に多くの韓国・朝鮮系住民が居住し、とくに下関駅北側グリーンモール商店街一帯は事実上コリア・タウンとなっている。現在、国際定期旅客航路としては、前述の関釜フェリー(韓国・釜山行)のほか、中国へは青島(週3便)・蘇州太倉(週1便)行きがそれぞれ就航しており、計3航路という日本最多の国際旅客航路を有している。
関門都市圏の中心
下関市は、関門海峡の対岸に位置する北九州市とともに本州と九州の接点として発達してきた。両市が中心となって形成される都市圏は関門都市圏とも呼ばれる。両市の経済面および文化的な繋がりは極めて深く、観光や行政サービスなどで両市の交流が盛んなほか、買い物・娯楽・通勤通学・交通機関利用(小倉駅や北九州空港)等を目的とした両市間の人の流れが日常的にある。ゆえに北九州市小倉の商業・娯楽施設の動向が、下関市内にある同施設の経営戦略に大きな影響を与えている。
都市の課題
市制施行後、交通網の整備、新規街区の開発、市域の拡大とともに発展を続けた。しかし、もともと山がちで平地が少ない地形が開発計画の制約要素となって、街区の混沌と道路配置の輻輳などをもたらしていること、広い市域のわりに拠点施設が南部に偏っているなどの都市開発のアンバランスさ、山陽新幹線整備と関門橋完成により通過都市化が進んでいること、造船業や水産業の衰退、福岡市や北九州市の都市機能集中化による影響、少子高齢化などの複合的な要因により人口減と都市機能の低下が進んでいることが挙げられる。
隣接する自治体・行政区
山口県
長門市
山陽小野田市
美祢市
福岡県(海上で隣接)
北九州市(門司区・小倉北区)
歴史
古くより九州や中国・朝鮮半島といったアジア大陸からの本州の玄関口として栄えた。また日本史における数々の重要な出来事に関係している都市でもある。
「下関」の名称の初見は869年(貞観11年) であるのに対し、「赤間関」の名称の初見は1185年(元暦2年)である。ただし、これを関所の名称 と捉え、「あかま(赤間・赤馬)」が地名であると解すると平安時代まで遡ることができる。いずれにしても鎌倉時代に「赤間関」という呼び名が成立し、付属する港湾や関門海峡の長門国側を指す広域地名、更には対岸の豊前国門司関を含めた関門海峡全体の別名としても用いられた。
元寇をきっかけに赤間関を防衛するために長門守護は長門探題とされて北条氏一門が任ぜられた。北条氏が滅びると長門の御家人であった厚東氏が長門守護とされるが、南北朝の内乱の中で周防国の在庁官人・御家人であった大内氏が南朝方として周防・長門両国を征服、後に北朝方に離反して室町幕府から両国の守護、更に対岸の豊前国の守護にも任ぜられて赤間関を含めた関門海峡両岸を大内氏が支配する体制が16世紀中期まで200年近く続くことになる。大内氏は赤間関に代官を設置して直接管理し、港湾の管理・関銭や帆別銭の徴収・明や朝鮮などの外交使節への応対などにあたった。
特に外国からの船舶が東へと向かうためには必ず赤間関に立ち寄って瀬戸内海を経由して京都方面に向かうことになり、朝鮮の使節が博多に寄らずに直接赤間関を目指した例もある。また、室町幕府が派遣した遣明船の往復の際にも必ず赤間関に立ち寄り、帰国時には赤間関から京都へ使者が送られていた。遣明船の記録でも、往路は寧波到着時に日本の年号から明の年号に改め、帰路は赤間関到着時に日本の年号に戻す慣例 があった。また、16世紀に大内氏が日明貿易を独占すると遣明船から抽分銭を徴収する抽分司官が赤間関に置かれた他、明の朝廷に献上する貢物や輸出品を保管する倉庫も設置され、朝鮮などの外国人も居住していた。
戦国時代まで
弥生時代には既に現在の下関市域には集落が複数存在しており、綾羅木郷遺跡(川中地区)、土井ヶ浜遺跡(現在の豊北地区)などに当時の遺構が現在も残る。
200年ころ - 日本書紀によれば、このころ仲哀天皇が現在の下関市長府に穴門豊浦宮を設置したとされる。
7世紀 - 長門国国府を現在の長府に設置。
991年(正暦2年) - 大宰府赴任途中の藤原佐理が長門赤馬泊(赤間関の古称)にて「離洛帖」(国宝)を記す。
1185年(元暦2年・寿永4年) - 壇ノ浦の戦いで平家滅亡、安徳天皇入水、源平合戦終結。
1276年(建治2年) - 鎌倉幕府が長門探題を設置。
1557年(弘治3年) - 大内義長が長府の長福寺(功山寺)にて自害、大内氏滅亡。
江戸時代
1600年(慶長5年) - 毛利秀元(長州藩主毛利輝元の養子)が長府に館を構え、長州藩の支藩として長府藩が成立。
1607年(慶長12年) - 朝鮮通信使来関。以後、当地が朝鮮通信使の寄港地の一つとなる。
1612年(慶長17年) - 巌流島にて宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われる。
1653年(承応2年) - 清末藩(長州藩の孫藩)が成立。(現在の清末地区)
1672年(寛文12年) - 西廻り航路の北前船が就航
1840年(天保11年) - 長州藩が港に越荷方を設置。
1863年(文久3年) - 関門海峡航行中のアメリカ商船を砲撃する事件(いわゆる下関事件)が発生。豊浦郡田耕村(現在の豊北地区)にて中山忠光が暗殺される。
1865年(元治元年) - 下関戦争(馬関戦争)が長州藩と連合国(イギリス・フランス・オランダ・アメリカ)との間で勃発。高杉晋作による奇兵隊の功山寺挙兵(元治の内乱)。
明治から第二次大戦まで
1893年(明治26年) - 大阪に次ぐ全国で2番目の日銀支店として下関に日本銀行西部支店開設(初代支店長は高橋是清)。
1895年(明治28年) - 下関条約(日清講和条約)締結 。下関要塞司令部設置。
1898年(明治31年) - 山陽鉄道子会社により門司港との間に定期航路(関門連絡船)が就航。
1901年(明治34年) - イギリス領事館開設。馬関駅(現下関駅)が細江町に開業し、山陽鉄道の終点となる。
1905年(明治38年) - 関釜連絡船が就航。
1906年(明治39年) - 上水道給水開始(全国で9番目)。
1911年(明治44年) - 内務省下関土木出張所が設置される。(山口県・広島県・島根県の一部と九州・沖縄を担当。)
1912年(明治45年) - 新橋駅~下関駅間で日本最初の特別急行列車運転開始。
1914年(大正3年) - 長州鉄道東下関~小串間開通(現在の山陰本線)。
1921年(大正10年) - 生野村(山の田から東駅に至る領域)を編入合併。以後1955年(昭和30年)までに12の町村を編入合併し、市域を拡大。
1926年(大正15年) - 山陽電気軌道壇ノ浦~松原間開通(以後路線拡張し、1971年まで営業)。
1940年(昭和15年) - 鉄道省が「東京・下関間新幹線建設基準(弾丸列車)」(現在の新幹線)を制定。
1942年(昭和17年) - 世界初の海底鉄道トンネルである関門鉄道トンネルが開通。下関駅が現在地(竹崎町)に移転。
1945年(昭和20年) - B-29による機雷敷設および市街地空襲。対馬海峡の封鎖により関釜連絡船が休止に。
第二次大戦後
1949年(昭和24年) - まるは球団(大洋ホエールズ、現在の横浜DeNAベイスターズ)が下関の地に創設。
1950年(昭和25年) - 下関大丸オープン。
1951年(昭和26年) - 下関港を特定重要港湾(現在名=国際拠点港湾)に指定。下関漁港が特定第3種漁港に指定。
1956年(昭和31年) - 下関市立水族館オープン。
1958年(昭和33年) - 世界初の海底国道トンネルである関門国道トンネルが開通。人道部も同時開通し、徒歩で九州に渡れるようになる。
1959年(昭和34年) - 韓国工作船明星号沈没事件。
1962年(昭和37年) - 下関市立大学開学。
1963年(昭和38年) - 水産大学校設置。
1966年(昭和41年) - 下関漁港が年間水揚げ量日本一となる。(約28万5千トン)
1970年(昭和45年) - 関釜フェリーが就航。1945年以来25年ぶりに朝鮮半島・釜山との海上連絡が復活。
1971年(昭和46年) - サントス市(ブラジル連邦共和国)と姉妹友好都市締結。
1972年(昭和47年) - イスタンブール市(トルコ共和国)と姉妹友好都市締結。
1973年(昭和48年) - 関門橋が開通。(開通時点では日本および東洋で最長の吊り橋)
1975年(昭和50年) - 山陽新幹線開業、市内の新幹線停車駅として新下関駅を設置(長門一ノ宮駅を改称)。新関門トンネル開通。(開通当時は日本一長い鉄道トンネル)
1976年(昭和51年) - 釜山市(大韓民国)と姉妹友好都市締結。
1977年(昭和52年) - シーモール下関(オープン当時、西日本最大の複合商業施設)が開店。
1979年(昭和54年) - 青島市(中華人民共和国)と姉妹友好都市締結。
1992年(平成4年) - 下関港をFAZ〔Foreign Access Zone〕輸入促進地域に指定。
1995年(平成7年) - 運輸省が下関港を中枢国際港湾に指定。
1996年(平成8年) - 山口県国際総合センター(海峡メッセ下関)オープン。
1998年(平成10年) - ピッツバーグ市(アメリカ合衆国)と姉妹友好都市締結。青島航路が週1便へ 。
2001年(平成13年) - しものせき水族館 海響館オープン。
2002年(平成14年) - 特例市に指定。海峡メッセ下関にて国際捕鯨委員会 (IWC) の年次総会を開催。
2005年(平成17年)2月13日 - 下記の合併により新たに下関市が発足。この合併により特例市に再指定。
2005年(平成17年)10月1日 - 中核市に指定。
2006年(平成18年) - 蘇州航路就航。
2009年(平成21年) - 長州出島一部供用開始。ゆめシティオープン。
2011年(平成23年) - 国土交通省が下関港を日本海側拠点港および総合的拠点港に指定。光陽航路就航。
行政区域の変遷
1889年(明治22年)4月1日 - 市制の施行により、赤間関区の一部(六連島・彦島を除く)の区域をもって赤間関市(あかまがせきし)が発足。日本で最初に市制施行した31市の中の一つとなる(人口29,919人)。
1902年(明治35年)6月1日 - 赤間関市が改称して下関市(第1次)となる。
1921年(大正10年)1月10日 - 生野村を編入。
1937年(昭和12年)3月26日 - 長府町を編入。
1937年(昭和12年)11月15日 - 安岡町・川中村を編入。
1939年(昭和14年)5月17日 - 小月町・清末村・王司村・勝山村・吉見村を編入。
1954年(昭和29年)8月1日 - 豊西村の一部(大字吉母・蓋井島および室津上の一部)を編入。
1955年(昭和30年)11月1日 - 内日村を編入。
2005年(平成17年)2月13日 - 菊川町・豊田町・豊浦町・豊北町と合併し、改めて下関市(第2次)が発足。
産業
港町として栄えたこともあり、古くから海運や貿易および金融に関連した産業が盛んであった。金融業では、日本銀行が当地に支店を置くほか、中国・四国地方最大の金融グループである山口フィナンシャルグループおよび傘下の山口銀行、山口県下最大(中国地方3位)の信用金庫である西中国信用金庫などが本社・本店を置く。製造業では、造船業において、三菱重工業が彦島に下関造船所を置き、現在も同社造船部門の主要拠点の一つに位置づけられているほか、中小の造船所が存在する。他の製造業では神戸製鋼所(アルミ・銅製品)・ブリヂストン(タイヤ)・日清食品(即席食品)・シマノ(自転車)・ニチハ(窯業系外装材)・長府製作所(給湯設備、太陽光発電システム)などが下関に主な生産拠点を置いている。また、下関港は中枢国際港湾、国際拠点港湾、日本海側拠点港および総合的拠点港に指定されている。
企業
下関市に本社を置く主な企業
エストラスト
関光汽船
関釜フェリー
ケーブルネット下関
サンデン交通
下関大丸
下関三井化学
長府製作所
東武住販
西中国信用金庫
日本セレモニー
林兼産業
原弘産
前田海産
みなと山口合同新聞社
やまぐち県酪乳業
山口合同ガス
山口フィナンシャルグループ
山口銀行
やまぎんカード
ワイエム証券
レッドキャベツ(本店)
下関市に主力拠点を置く主な企業
神戸製鋼
シマノ
ニチハ
日軽パネルシステム
日清食品
ブリヂストン
三菱重工業
水産業
第一次産業では主に水産業が盛んで、以前は捕鯨が主であった。下関は、近代捕鯨発祥の地であり、全国有数の商業捕鯨基地であった。なお、現在も調査捕鯨の基地である。捕鯨を行っていたマルハニチロ(旧社名は林兼商店→大洋漁業→マルハ→マルハニチロ水産)は下関が創業の地であり、現在も林兼産業などマルハ関連会社が多数残る。また、日本水産(ニッスイ)も下関が創業の地である。現在はフグの水揚げ高が全国の8割を占め、市内にはふぐ専用の魚市場の南風泊(はえどまり)魚市場を構える(参照、下関とふく)。 また最近になり、アンコウの水揚げ高も日本一であることがわかり、下関の新たな名物としてPR活動を行っている。 市内には、一般人にも開放された唐戸市場、ふぐ専用の卸売市場である南風泊市場、特定第3種漁港の下関漁港にある下関漁港市場、旧豊北町にある特牛市場などの水産物部門の卸売市場がある。
主な港湾
下関港(特定重要港湾・下関市管理港湾)
本港地区
岬之町地区
西山・荒田・福浦地区(彦島)
長府地区
東港地区(唐戸)
新港地区(沖合人工島「長州出島」)
角島港(地方港湾)
特牛港(地方港湾)
主な漁港
下関漁港(特定第3種)
安岡漁港(第2種)
吉見漁港(第2種)
吉母漁港
王喜漁港
蓋井島漁港
六連島漁港
宇賀漁港
小串漁港(第2種)
川棚漁港
涌田漁港
室津下漁港
阿川漁港(第2種)
島戸漁港(第2種)
肥中漁港
和久漁港(第2種)
矢玉漁港(第2種)
二見漁港
角島漁港
下関市発祥のもの
床屋
自動販売機
国際フェリー
車両航送
近代捕鯨
大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)
マルハ
日本水産
アンモニア工業(下関三井化学)[13]
メタノール工業(下関三井化学)[13]
海底トンネル(世界初。門司と共に)
フグ料理(現在のフグ料理の多くが下関で考え出された)
瓶詰めウニ
辛子明太子
とんちゃん鍋
瓦そば
安岡ねぎ(ふぐねぎ)
ローマ(大葉春菊)
奇兵隊(日本における黎明期の近代軍隊のひとつ)
招魂社(靖国神社の源流となった日本初の招魂社は下関の櫻山招魂場(現・櫻山神社))
赤間硯
主な社会・文化施設
ホール
下関市民会館(本庁地区・下関駅周辺)
海峡メッセ下関 (本庁地区・下関駅周辺)
下関市生涯学習プラザ(本庁地区・細江町)
菊川ふれあい会館アブニール(菊川地区)
美術館・博物館
下関市立美術館(長府地区)
しものせき水族館 海響館 (本庁地区・唐戸)
やまぎん史料館(本庁地区・唐戸、山口銀行が設置・運営する企業博物館)
下関市立長府博物館(長府地区)
下関市立考古博物館(安岡地区)
下関市立烏山民族資料館(豊浦地区)
土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム(豊北地区)
三菱重工業下関造船所史料館(彦島、三菱重工業が設置・運営する企業博物館)
梅光学院大学博物館(本庁地区・東駅)
図書館
公共図書館
下関市立図書館
中央、長府、彦島、菊川、豊田、豊浦、豊北の7図書館(室)と移動図書館がある。
大学図書館 (一般利用が可能なもの)
下関市立大学附属図書館 (本庁地区・山の田。市民の利用が可能)
梅光学院大学図書館 (本庁地区・東駅)
水産大学校図書館 (吉見地区)
東亜大学(新下関地区)
下関短期大学(桜山町)
また、北九州市との協定で、下関市民は北九州市立図書関連施設(19施設)の貸出利用が可能。 このほか、 一般公開している学校図書館 (下関中等教育学校) もある。
スポーツ施設
下関運動公園(本庁地区・東駅)
下関陸上競技場、下関体育館など
下関北運動公園(安岡地区)
下関球場、山口県立下関武道館など
市民プール(長府)
乃木浜総合公園(サッカー場など)
夢が丘スポーツセンター(豊浦地区)
主な商業施設
下関駅周辺
シーモール下関
下関大丸、シーモールest(エスト)、専門店街
下関駅ビル ripie(リピエ)
グリーンモール商店街、長門市場(「リトル・プサン」、毎年11月23日に「リトル釜山フェスタ」開催)
豊前田(ぶぜんだ、県内最大の歓楽街)
下関駅名店街
長門市場
唐戸
サンリブ唐戸
唐戸商店街(唐戸銀天街、唐戸ふれあい通り商店街などから構成。)
唐戸市場
東駅・山の田
サンリブ東駅(2015年10月閉店)
レッドキャベツ山の田店(本店)
ゆめモール下関
長府・小月
ゆめタウン長府
イオン長府ショッピングセンター
(マックスバリュ、ナフコ、数軒の専門店で構成されており、一般的に言われる大規模なイオンSCではない)
長府商店街(鳥居前、乃木さん通り、金屋通り)
トライアル
勝山(新下関)
とみやま
ゆめシティ
コスパ新下関
トライアル
川中(綾羅木)・安岡
ハイパーモールメルクス綾羅木
イオン安岡店
アルク安岡(上記、イオン長府と同様に数軒の専門店で構成されている)
豊浦町
マーレとようら
川棚サンパル
観光地
旧下関市街地では幕末前後から明治・大正時代にかけての歴史遺産を整備した名所旧跡や歴史的建築物(洋館、神社仏閣など)が多数存在するほか、城下町の長府地区には由緒ある神社仏閣や武家屋敷などが集まっている。また関門海峡沿いには観光施設が複数建設されており、対岸の門司港レトロ地区(北九州市)と併せた周遊ルートとして多くの観光客で賑わう。 また、旧4町では「角島大橋」のある角島、「瓦そば」が名物の川棚温泉や自然景観を生かした観光地が中心となる。
本庁地区・彦島
関門海峡に面したエリアに観光スポットが多く並ぶ。
下関駅(竹崎町)・豊前田・細江町エリア
下関港(本港地区・下関港国際ターミナル)
グリーンモール商店街(コリア・タウン)、長門市場
豊前田(県内最大の歓楽街)
桜山神社
高杉晋作終焉の地
下関市民会館
巌流島(船島)
山口県国際総合センター
海峡ゆめタワー(展望室の高さ西日本一のタワー。但し超高層ビルを含めた展望室の高さでは大阪市の梅田スカイビル空中庭園展望台が西日本一)
海峡メッセ下関
海峡ゆめ広場
エキマチ広場
旧山陽ホテル(2011年に解体)
日和山公園
大歳神社
唐戸エリア
亀山八幡宮 - 境内に亀山砲台跡、床屋発祥の地
唐戸市場
カモンワーフ
唐戸桟橋
しものせき水族館 海響館
はい!からっと横丁(観覧車などがあるミニ遊園地)
旧下関英国領事館(国の重要文化財。現存する日本最古の領事館)
下関南部町郵便局(日本最古の現役郵便局舎)
旧秋田商会ビル(神戸より西で最初の鉄筋コンクリート造ビル)
青春交響の塔 (高杉晋作・坂本竜馬両名の記念碑)
朝鮮通信使上陸淹留之地記念碑 (朝鮮通信使の記念碑)
田中絹代ぶんか館
藤原義江記念館
金子みすゞゆかりの地(金子みすゞ詩の小径)
林芙美子ゆかりの地
赤間神宮(安徳天皇を祭った神社)
大連神社
春帆楼(しゅんぱんろう)(下関条約(日清講和条約)締結会場。ふぐ料理公許全国第一号店)
関門海峡
関門橋
関門人道トンネル
みもすそ川公園(前田砲台跡。長州砲の復元レプリカの野外展示)
壇ノ浦古戦場
平家の一杯水
火の山
東駅・山の田エリア
下関運動公園・下関陸上競技場
戦場ヶ原公園(通称「忠霊塔」)
生野神社(宮山古墳)
彦島エリア
南風泊市場(ふくのせり市)
老の山公園
ひこっとらんどマリンビーチ(西山海水浴場)
ナイスビューパーク(風車、休憩所など)
下関漁港閘門(世界最小の運河としてギネスに登録)
山陽方面(周防灘沿岸)
長府エリア
功山寺(仏殿は国宝。高杉晋作や大内義長所縁の寺)
乃木神社
櫛崎城跡(関見台公園)
長府庭園
長府毛利邸
忌宮神社・相撲資料館
土塀の町並み - 菅家長屋門、古江小路、横枕小路
檀具川
下関市立美術館
下関市立長府博物館
下関競艇場
小月・王喜・吉田エリア
東行庵 - 高杉晋作とその愛妾であるおうの(梅処尼)の墓所
東行記念館
奇兵隊陣屋跡
海上自衛隊小月航空基地
湯谷温泉
山陰方面(響灘沿岸)
川中(綾羅木)・安岡・吉見エリア
下関北運動公園・下関球場・山口県立下関武道館
深坂の森公園
下関園芸センター
綾羅木郷遺跡
下関市立考古博物館
中山神社 (祭神:中山忠光)
愛新覚羅社(中山神社境内摂社。祭神:愛新覚羅溥傑・嵯峨浩・愛新覚羅慧生)
綾羅木海水浴場
安岡海水浴場
吉母海水浴場
下関フィッシングパーク
豊浦エリア
川棚温泉
大河内温泉
クスの森
リフレッシュパーク豊浦(コスモスの名所)
福徳稲荷神社
豊北エリア
角島(角島灯台・角島大橋)
土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム
土井ヶ浜海水浴場
豊北峡
壁島ウ渡来地
内陸部
県道34号沿いのエリア。
勝山(新下関)エリア
住吉神社(本殿は国宝。日本三大住吉の一社。)
勝山御殿跡
菊川エリア
植松古墳公園
中山渓
豊田エリア
ゲンジボタル(国の天然記念物)
一ノ俣温泉
豊田温泉
石柱渓
豊田湖(木屋川ダム)
安徳天皇陵
主な祭り・イベント
2月:下関ふくの日まつり
4月中旬:維新・海峡ウォーク
4月14日:東行忌
5月2日 - 4日:先帝祭(市指定無形文化財)
5月3日:しものせき海峡まつり
7月下旬:リトル釜山フェスタ in SUMMER
8月7日 - 13日:数方庭祭(県指定無形文化財)
8月13日:関門海峡花火大会
8月下旬:朝鮮通信使行列再現
8月下旬:馬関まつり(県内最大の祭り)
10月/11月:ツール・ド・しものせき
10月第4土曜日:福江八幡宮流鏑馬
11月:下関海響マラソン
11月:下関さかな祭
11月23日:リトル釜山フェスタ
名産品
下関四大名物
フグ(ふく)
ウニ
クジラ
アンコウ
下関三大鍋料理
ふぐ鍋
あんこう鍋
とんちゃん鍋
その他の名産品
辛子明太子(下関が発祥地)
瓶詰めウニ(下関が発祥地)
瓦そば(川棚温泉、下関が発祥地)
韓国料理 … 焼肉
魚肉練り製品(蒲鉾、ちくわ、ソーセージなど)
角島・特牛のイカ
巌流焼・おそいぞ武蔵
亀の甲煎餅
うにぱい
阿わ雪(淡雪)
二見饅頭(旧豊北町)
小月最中
ふぐ提灯
ふぐ凧
河豚笛
赤間硯
教育
大学・短期大学
公立
下関市立大学
下関市立大学大学院
私立
東亜大学
東亜大学大学院
梅光学院大学
梅光学院大学大学院
梅光学院大学女子短期大学部
下関短期大学
省庁大学校
水産大学校
中等教育学校
高等学校
15校(公立11校、私立5校)
公立
下関市立下関商業高等学校
山口県立下関西高等学校
山口県立下関南高等学校
山口県立下関工業高等学校
山口県立下関中央工業高等学校
山口県立長府高等学校
山口県立豊浦高等学校
山口県立田部高等学校
山口県立西市高等学校
山口県立響高等学校
山口県立豊北高等学校
私立
クラーク記念国際高等学校下関キャンパス
下関国際高等学校
下関短期大学付属高等学校
梅光学院高等学校
早鞆高等学校
下関とプロ野球
下関市は、大洋漁業株式会社(現:株式会社マルハニチロ水産)の創業の地であり、西日本地区におけるベースオフィスでもあったことから、当地を本拠地に大洋漁業(当初は林兼商店)野球部が活動し、1948年国民体育大会優勝、その他都市対抗野球などにも出場する強豪チームとして知られた。
1950年の2リーグ分裂により、同チームはプロ化して「株式会社まるは球団」を設立。チーム名も大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)として、セントラル野球連盟に加盟し、旧・市営野球場を本拠とした。大洋は経営的に不利な状況が続き、1951年には広島東洋カープとの合併も囁かれたが、広島市民の熱意で合併は一旦回避される。しかし、1953年のシーズン開幕前に松竹ロビンス(京都市)と電撃合併が決まり、チーム名も「大洋松竹(洋松)ロビンス」として大阪市を本拠地とすることになり、下関のホエールズは3シーズンで消滅した。
大洋が下関から撤退した後も準本拠地的に年数試合の主催ゲームが開かれた。
プロ野球球団のファン傾向としては、旧市内を中心にして、旧大洋ホエールズファンを含む横浜DeNAベイスターズファンが多く見受けられる。巨人ファンも根強いが、地理的に福岡が近くメディア的に情報も入りやすいために、昔は西鉄時代の名残から埼玉西武ライオンズ、南海ホークスが福岡移転後は、ダイエー時代も含め福岡ソフトバンクホークスファンが多い。
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】