天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

熊本県・水俣市20161031

水俣市役所


基本情報
所在地:〒867-8555 熊本県水俣市陣1-1-1
電話:0966-61-1603


【Official site】


水俣市
水俣市(みなまたし)は、熊本県の最南部に位置する市である。西は不知火海に面して天草の島々を望み、もともと海の幸、山の幸に恵まれた風光明媚な土地である。重く長い公害の歴史を経て、2017年現在では環境都市づくりを推進している。

地理
熊本県の最南部、熊本市から南西に約70kmの場所に位置する。南は鹿児島県に接し、西は不知火海(八代海)に面するリアス式海岸である。中心部はJNC(チッソの子会社)とその関連工場などが多く立地し工業都市のイメージがあるが、北・東・南の三方を山に囲まれ緑の多い土地である。人口は水俣病発生後しばらくしてから減少傾向が続いており、2000年代前半に 3万人を割り込んでいる。
山:矢城山(586m)、大関山(902m)、国見山(867m)、鬼岳(735m)、矢筈岳(687m)
川:水俣川、久木野川、湯出川
水俣川支流の久木野川上流久木野地区は97%が森に覆われた水の美しい地域で、農林水産省の日本の棚田百選に選ばれた寒川地区の棚田もある。また、大学山の照葉樹林は環境省のかおり風景100選に選ばれており、明治時代より林業に力をいれ、スギ、ヒノキの植林を行っている。1996年から市民参加により、大学山の緑を倍増すべく「水源の森」において植樹、下刈りを行っている。水源の森は、全ての市民参加で植えた森としては全国有数規模であり、水俣病患者、漁師、住民参加も得て、不知火海の再生の一端を担っている。

隣接市町村
熊本県
葦北郡芦北町・津奈木町
球磨郡球磨村
鹿児島県
出水市
伊佐市

地名
石坂川
市渡瀬
江添
大迫
葛渡
小津奈木
陳内
薄原
月浦
中鶴
長崎
長野
南福寺
初野

深川

宝川内
湯出
大川(旧・久木野村)
久木野(旧・久木野村)
越小場(旧・久木野村)
古里(旧・久木野村)
旭町(1954年 ~ 1965年。浜・江添より発足し、大園町1丁目~3丁目・大黒町1丁目~2丁目となる。現・旭町とは別)
桜井町1丁目~3丁目(1954年、浜より発足。)
昭和町1丁目~2丁目3丁目(1954年、浜より発足。3丁目は1965年に桜井町1丁目~3丁目に編入され消滅。)
大黒町1丁目~2丁目(1954年、浜より発足。当初丁目はなかったが、1965年旭町・江添の一部を編入し、丁目がつく。)
天神町1丁目~2丁目(1954年、浜より発足。)
百間町1丁目~2丁目(1954年、浜・江添より発足。)
港町1丁目~3丁目(1954年、浜より発足。当初は2丁目までであったが、1965年、江添の一部を編入し3丁目が発足。)
旭町1丁目~2丁目(1965年、浜・江添より発足)
洗切町(1965年、浜より発足)
梅戸町1丁目~2丁目(1965年、浜より発足)
江南町(1965年、江添より発足)
大園町1丁目~3丁目(1965年、浜・江添・旭町・天神町1丁目~2丁目より発足)
古賀町1丁目~2丁目(1965年、浜・大黒町より発足)
幸町(1965年、浜・陳内より発足)
栄町1丁目~2丁目(1965年、浜・大黒町より発足)
塩浜町(1965年、浜より発足)
多々良町(1965年、浜・江添より発足)
築地(1965年、浜より発足)
中央公園(1965年、浜・江添より発足)
野口町(1965年、浜より発足)
八幡町1丁目~3丁目(1965年、浜より発足)
浜町1丁目~3丁目(1965年、浜・天神町1丁目~2丁目より発足)
浜松町(1965年、浜より発足)
ひばりヶ丘(1965年、陳内より発足)
平町(1965年、浜・江添より発足)
緑ヶ丘(1965年、江添より発足)
山手町1丁目~2丁目(1965年、浜・江添より発足)
浦上町(1967年、江添より発足)
祇園町(1967年、浜より発足)
汐見町1丁目~2丁目(1967年、浜より発足)
八ノ窪町1丁目~2丁目(1967年、江添より発足)
丸島町1丁目~3丁目(1967年、浜より発足)
明神町(1967年、浜より発足)
古城1丁目~3丁目(1968年、陳内・長野より発足)
桜ヶ丘(1968年、浜より発足)
白浜町(1968年、浜より発足)
陣内1丁目~2丁目(1968年、陳内より発足)
長野町(1968年、長野・陳内より発足)
南福寺(1968年、南福寺より発足)
牧ノ内(1968年、陳内・浜より発足)
わらび野(1968年、陳内より発足)

歴史
行政区域の変遷
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、葦北郡水俣村として発足する。
1912年(大正元年)12月1日 - 町制が施行される。
1949年(昭和24年)4月1日 - 市制が施行される。
1956年(昭和31年)9月1日 - 久木野村を編入する。

年表
2万数千年前(旧石器時代) - 水俣石飛地区には、人が住んでいた。
88年(景行18年)頃 - 景行天皇が熊襲征討の際、湯の児温泉を発見したと伝えられる。
延喜式(905年 - 927年)で、水俣と仁王に厭家(うまや)が置かれたとあり、そのころから交通の要衝だった。
1385年(至徳2年) - 今川了俊の書状に水俣城名が記されている。
1634年(寛永11年) - 水俣の惣庄屋(代官)深水家の初代頼氏(水俣吉左エ門)が茂道山に松を密植した。
1872年(明治5年) - 水俣郵便取扱所が開設される。
1873年(明治6年) - 棟内村列(31ヵ村)、浜村列(15ヵ村)の両行政区が布かれて、それぞれに戸長役場が設けられた。
1881年(明治14年) - 八代警察署水俣分署(現在の水俣警察署)が設置される。
1890年(明治23年) - 市町村制の施行にともない、両列が合併し水俣村(人口12,303人)が誕生する。なお、村役場が陣内に置かれた。
1907年(明治40年) - 野口遵・藤山常一・市川誠次らが日本カーバイド商会を設立し、水俣村に製造工場を設ける。
1908年(明治41年) - 日本窒素肥料(日窒)水俣工場が設けられる。
1911年(大正元年) - 熊本県立水俣高等女学校の前身である水俣町立水俣女子実業補習学校が創立される。
1916年(大正5年) - 日窒が、水俣工場の専用港として梅戸港の整備に着工し、翌年完工する。
1925年(大正14年) - 湯の児温泉でボーリングに成功し、豊富な湯量を得て温泉街の規模が大きくなる。
1926年(大正15年) - 国有鉄道川内本線が米ノ津駅から水俣まで延伸され、水俣駅が開業する。
1927年(昭和2年) - 国有鉄道が水俣駅から湯浦駅まで延伸され、同線の全通にともない鹿児島本線に改称される。(市内区間は現在の肥薩おれんじ鉄道線)
1931年(昭和6年)11月16日 - 昭和天皇日本窒素水俣工場を視察する。
1935年(昭和10年) - 熊本県立水俣工業高等学校の前身である水俣町立水俣実務学校が創立される。
1945年(昭和20年)3月29日 - アメリカ軍による初空襲があり、日窒工場に銃爆撃を加えた。荷揚げ用のクレーンと岸壁30mを破壊し、停泊中の貨物船を爆破沈没させた。
1948年(昭和23年) - 熊本県立水俣高等女学校と熊本県立水俣農工学校を統合し、熊本県立水俣高等学校が発足する。
1949年(昭和24年)5月30日 - 昭和天皇が水俣市日本窒素をご巡幸。
1953年(昭和28年) - 水俣市立病院(現在の国保水俣市立総合医療センター)が開院する。
1955年(昭和30年) - 水俣川の河口付近に36万立方米の残渣を捨てることが出来る埋立地が完成。
1961年(昭和36年) - 熊本県立水俣高等学校から機械科、建築科を熊本県立水俣工業高等学校に分離する。
1978年(昭和53年) - 水俣市が水俣城跡に運動公園を造成する。工事中には、地下から石垣が発見された。
1993年(平成5年) - 水俣市立水俣病資料館が開館する。
1997年(平成9年) - 水俣湾に安全宣言が出され、漁業も再開される。
2002年(平成14年) - 八幡残渣プールの外周道路の土地が、チッソから水俣市に無償譲渡される。
2003年(平成15年) - 水俣市コミュニティバス「みなくるバス」が運行を開始する。
2004年(平成16年) - 九州新幹線の部分開業に伴い、新水俣駅が開業する。
2011年(平成23年) - 第10回持続可能な地域社会をつくる日本の環境首都コンテストにて環境首都の称号を得る。

水俣病
1908年(明治41年)に、日本窒素肥料株式会社(現在のチッソ)水俣工場が開設されて以来、水俣市は同社の企業城下町として発展してきた。しかし同社はメチル水銀を含んだ廃液を海(水俣湾)へ流した水俣病の原因企業であった。水俣病の公式発見は、1956年(昭和31年)5月1日とされている。水俣湾内の汚染魚介類の流出を防ぐために仕切り網が設置されていたが、1997年(平成9年)には安全が確認されて全面撤去された。
しかし、多くの犠牲者が出て「死の海」と呼ばれるようになり、「水俣」は世界的規模で負のイメージを帯びることになった。この水俣病は地域社会の人間関係にも大きな傷を残している。

環境都市づくり
水俣病などの苦難の歴史を乗り越えるべく、「環境・健康・福祉を大切にする産業文化都市」をキャッチフレーズとし、市民・企業・行政が高い意識を持ち世界のモデルとなることを目指して環境モデル都市づくりを進めている。2008年(平成20年)7月に国が「環境モデル都市」と認定した全国 6地方公共団体のうちの一つである。
1993年(平成5年)から、全国に先駆けて、ゴミの分別収集を行っており、現在の分別種類数は24種類と、全国でも最も細かいレベルにある。このような共同作業は希薄になりがちな近所付き合いの活性剤となり、水俣病によって崩壊したコミュニティの再生にもつながった。こうした取り組みと地域における環境関連産業の振興を有機的に結びつけたまちづくりを目指し「水俣エコタウンプラン」を策定、2001年(平成13年)2月に経済産業省と環境省の承認を受けた。
複数の環境NGOで組織する「環境首都コンテスト全国ネットワーク」が主催する「日本の環境首都コンテスト」において、2004年(平成16年度)と2005年(平成17年度)の2年連続で1位となり、その後の2009年(平成21年度)と2010年(平成22年度)と2011年(平成23年度)にも1位になっている。

産業
第一次産業
もともと豊富な海の幸に恵まれた不知火海沿岸であるため漁業が盛んであったが、水俣病の発生以降、禁漁となり壊滅した。[いつ?]農業も風評被害に遇い、大打撃を受けたが、水俣病の経験を踏まえた環境を大切にする地域一体となったまちづくりの下、農薬・化学肥料を使わない農業が広がり、その一環として甘みがあって生でも食べられるサラダたまねぎのブランドを確立し、全国的にも高い評価を得ている(このサラダたまねぎは読売テレビ『どっちの料理ショー』において「特選素材」として紹介(同市内ではkkt!くまもと県民テレビを通して放送された)されたが、その際に生産地の「水俣市」の名が隠され、放送局側の偏見が批判された。これに関しては読売テレビに対し内容証明で抗議文が送られている。)。無農薬で作った茶や柑橘類の日本有数の産地でもある。これまでの取り組みにより水俣産の食材・食品の評価は高まりつつある。
長年禁漁であった漁業も海の浄化が進んだことによって現在[いつ?]は解禁されている。中でもタチウオは湯の児温泉の名物料理としても知られ、太公望が多く訪れる。

第二次産業
チッソ水俣工場は現在でも事業を移管した子会社のJNC水俣工場として操業しており、JNCの企業城下町としての性格が強い。JNCは世界でトップ3に入る液晶シェアを持っており、近年の液晶需要の増加から業績を回復させている。
一方、約20ヘクタールの水俣産業団地内にエコタウン事業等による環境関連産業の立地と既存企業の環境配慮型への転換を推進しており、既に、家電リサイクル施設、びんのリユース・リサイクル施設、使用済みタイヤリサイクル施設、廃プラスチック複合再生樹脂リサイクル施設など6企業が立地し事業を開始している。 このエコタウンへのリサイクル企業の進出については、市民が取り組んでいる高度なごみ分別収集が工場の立地を可能にしており、ペットボトルを始めとする全ての資源物の品質レベルが高く、「水俣ブランド」と呼ばれ全国的に注目されている。
また、進出企業については、ISO14001の取得を要請するなど厳しい環境協定を市と結ぶこととしている。
環境ビジネスなど地場産業の育成と技術向上のための支援を図り、環境モデル都市の実現に寄与するために地域企業と大学、公設試験研究機関等のネットワークを活かしながら、それを支援していくための交流拠点として、1999年に「みなまた環境テクノセンター」を設立している。
このような水俣病の教訓を生かした水俣独自の持続可能な資源循環型社会の構築を目指した取り組みにより、近年、多くの人が視察、研修で水俣を訪れている。

第三次産業
観光
昔から不知火海に面するレジャー指向の湯の児温泉、湯出川上流の湯治場・湯の鶴温泉の2つの温泉が知られている。水俣病の歴史学習や環境学習を目的とする修学旅行・視察旅行などの観光客も多く、エエコパーク水俣などに国・県・市・民間の学習拠点が整備されている。
近年は、地区全体を建物のない博物館と見立てて生活文化・産業を案内し体験してもらう村丸ごと生活博物館など、食材・食品や自然環境に恵まれた地域の生活を体験するグリーンツーリズムの取り組みも進んでいる。

主な観光イベント
3月 - サラたまちゃん祭り
4月 - 湯の児桜まつり、みなまた春まつり(水俣三社祭り)
5月 - ローズフェスタ(春)、みなまた港フェスティバル・みなまた総合物産展
7月 - 恋龍祭
8月 - 湯の児海上花火大会、湯の鶴温泉夏祭り
9月 - 湯の児女だけの太刀魚釣り大会
10月 - ローズフェスタ(秋)
11月 - 湯の鶴ウォーク

商業
中心商店街は水俣駅東側の国道3号線周辺を中心として広がる。核店舗は水光社本店、水光社エムズシティ(旧水俣寿屋百貨店)、鶴屋百貨店水俣店(小型店舗)である
郊外部には大規模商業施設はないものの、国道3号線沿いを中心に郊外地域にかけてもロードサイド型店舗の進出が見られる。

環境マイスター
環境にこだわったものづくりに取り組む職人を認定する環境マイスター制度を1998年に全国で初めて設け、紙漉き職人、お茶・みかん・野菜・米づくりを行っている人など9名を認定。現在は33名が環境マイスターとして認定されており、いずれも、原料、生産、加工、販売、廃棄物のどの行程においても、環境にこだわったものづくりを進めている。

主な企業・組合
生活協同組合くまもと(旧団体名:生活協同組合水光社)
ASBエコウッド
アクトビーリサイクリング
サン・エレクトロニクス
リプラ・テック
旭印刷
大森産業
新栄合板工業
摂津工業
福田農場ワイナリー
チッソ水俣本部
JNC水俣製造所
河村電器産業水俣工場
喜楽鉱業水俣エネルギー工房
マルイ食品しらぬい工場
肥後環境水俣支店

教育
高等学校
熊本県立水俣高等学校
熊本県立水俣工業高等学校(2014年に水俣高等学校に統合)

名所・旧跡・観光スポット
水俣諏訪神社
濱八幡宮
住吉神社
湯の児温泉
海水浴場
フィッシングパーク
湯の児スペイン村・福田農場 - 車で 5分程の高台上のスペイン料理レストラン・果樹園。
湯の鶴温泉
チェリーライン - 湯の児温泉と湯の鶴温泉を結ぶ約500本の桜並木の街道
大学山の照葉樹林:かおり風景100選
寒川地区の棚田:日本の棚田百選
村丸ごと生活博物館(頭石地区・久木野地区・大川地区・越小場地区)
久木野ふるさとセンター愛林館
徳富蘇峰・徳富蘆花生家 - 現存する町屋造りの建物としては県内最古、県史跡文化財。
水俣市立蘇峰記念館
侍街道はぜのき館 - 付近は和ロウソクの原料である「はぜの木」が多く栽培されており、ろうそく作り体験や歴史資料の閲覧ができる。
エコパーク水俣
観光物産館まつぼっくり
水俣メモリアル
水俣市立水俣病資料館
熊本県環境センター(県立)
水俣病情報センター(国立)
袋御番所跡 - 薩摩街道において薩摩国との国境警備にあたった。
村下孝蔵「初恋」歌碑




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社