基本情報
所在地:〒899-8605 鹿児島県曽於市末吉町二之方1980
電話:0986-76-1111
【Official site】
曽於市
曽於市(そおし)は、日本の鹿児島県本土の東部、大隅半島の北部に位置する市。2005年7月1日、曽於郡の末吉町・財部町・大隅町が合併し成立した。 畜産や畑作を中心とした農業が盛んな地域。旧末吉町・財部町を中心に隣接する宮崎県都城市と日常生活や文化面でのつながりが深く、都城都市圏の範囲内となる。
地理
北部は都城盆地、東部は鰐塚山地の一角をなし、南西部は主にシラス台地を中心とした丘陵地帯が広がっている。市内全域が大隅半島北部の内陸部に位置しており、鹿児島県内の市では、伊佐市と共に海岸線を有していない市の一つである。
山:白鹿岳 (604m)
河川:大淀川、菱田川 - 旧末吉・財部が大淀川流域、旧大隅が菱田川流域に属する。
隣接している自治体
鹿児島県
霧島市
鹿屋市
志布志市
曽於郡大崎町
宮崎県
都城市
地名
合併前の旧町名を以下の大字の前に冠している(例:曽於市大隅町岩川)。
大隅町
岩川(旧岩川町五十町)
中之内(旧岩川町中之内)
大谷(旧恒吉村大谷)
坂元(旧恒吉村坂元)
須田木(旧恒吉村須田木)
恒吉(旧恒吉村長江)
月野(旧月野村)
荒谷(旧野方村の一部)
境木町(1998年、月野から分立)
下窪町(1998年、岩川から分立)
段中町(1998年、岩川から分立)
鳴神町(1998年、岩川から分立)
財部町
北俣
下財部
南俣
末吉町
岩崎
諏訪方
二之方
深川
南之郷
栄町1丁目~2丁目(1967年に二之方から分立)
新町1丁目~2丁目(1967年に二之方から分立)
本町1丁目~2丁目(1967年に二之方から分立)
上町1丁目~7丁目(2012年に二之方から分立)
歴史
江戸時代は薩摩藩領。廃藩置県当時、曽於市域に存在した郷(外城)は末吉・財部・岩川・恒吉・志布志・大崎の6郷。そのうち末吉・財部・岩川・恒吉の4郷が大隅国曽於郡(当時の表記は囎唹郡)、志布志・大崎は日向国諸県郡に属していた。岩川郷は戊辰戦争後に新設(末吉郷から分割)された郷である。
1889年の町村制実施時に6郷はほぼそのまま村として引き継がれたが、1891年2月に志布志村から月野村、大崎村から野方村がそれぞれ分村した。1891年時点で曽於市域に存在した村は以下の通りとなる。岩川村には1887年に(近代以降の曽於郡の前身となる)東囎唹郡・南諸県郡(1883年の宮崎県再置時に南北に分割)の役所が置かれた[2]。
財部村(後に町制施行)
末吉村(後に町制施行)
岩川村(後に町制施行、1955年に合併し大隅町)
恒吉村(1955年に合併し大隅町)
月野村(1955年に合併し大隅町)
野方村(1955年に荒谷地域が大隅町へ編入、その他の地域は大崎町・西志布志村へ編入)
財部村は1926年4月1日、末吉村は1922年10月1日、岩川村は1924年4月1日にそれぞれ町制を施行。1955年1月20日に岩川町・恒吉村・月野村が合併し、大隅町が発足。同年4月に野方村の荒谷地域を大隅町に編入し、曽於市発足前の3町がほぼ確定した。
2005年7月1日 - 曽於郡末吉町・財部町・大隅町が合併し発足。
2005年11月28日 - 第一回曽於市議会議員選挙を実施。
2007年3月26日 - 宮崎県都城市蓑原町の一部を当市に編入、代わりに当市財部町大字下財部字田平下の一部を都城市に編入(平成19年3月26日総務省告示第159号)。
曽於市に本社を置く主要企業
南九州畜産興業
岩川醸造
津曲食品
商業
商業地区
末吉地区
鹿児島県道503号見帰二之方線沿い末吉郵便局周辺の本町地区、国道269号沿いの高松地区が主な商業地区。高松地区には、郊外型店舗の進出も徐々に進んできている。
大隅地区
鹿児島県道63号志布志福山線沿い国合同庁舎周辺の岩川本町地区、台地部のあけぼの、八合原地区が主な商業地区。あけぼの、八合原地区には、郊外型店舗の進出も徐々に進んできている。
財部地区
宮崎県道・鹿児島県道2号都城隼人線沿い道の駅たからべ周辺や、鹿児島県道482号塚脇財部線沿いの財部郵便局周辺が主な商業地区。
特産品
ユズ
スイカ(弥五郎スイカ)
白菜
シイタケ
食肉(黒毛和牛、豚)
茶
サツマイモ
蜂蜜
焼酎
教育
2016年現在の児童・生徒数(小中学生)は2,501人であり、1965年(14,863人)の17パーセントとなっている。
高等学校
鹿児島県立曽於高等学校(2014年に鹿児島県立財部高等学校・鹿児島県立末吉高等学校・鹿児島県立岩川高等学校を統合し開校。旧3校は2016年閉校)
曽於市発足時にあった財部・末吉・岩川の3校はいずれも定員割れが続いていたことから、鹿児島県は2011年6月から2012年3月に催された「大隅地域の公立高校の在り方検討委員会」のとりまとめとして、2014年に「都城の学校に行かなくても、大学進学を目指せる」新設校を設置し、2年後の2016年に従来の3校を閉校する方針を示し、2013年2月5日に決定した。新設校の名称は「鹿児島県立曽於高等学校」と決定され、末吉高校の場所に設置されることとなった。2014年に曽於高校が開校し、2年後の2016年に財部・末吉・岩川の各校が閉校された。
末吉町・財部町に居住する中学生においては、都城市に所在する高等学校(都城市#教育もしくは宮崎県高等学校一覧を参照)への越境通学が認められており、成績上位者を中心に都城市へ「流出」している。2012年春は市内342人の生徒のうち、102人が都城市・三股町の高等学校へ進学した。これが、上述した高校統廃合の一因となった。反対に、都城市から財部・末吉高校への越境通学も認められており、財部高校においては生徒の半数を都城市民が占めるほどとなっていた。
観光スポット・史跡・祭り・イベント
文化財・史跡
11月23日 - 流鏑馬(住吉神社)鹿児島県指定無形民俗文化財
1月7日 - 鬼追い(熊野神社)鹿児島県指定無形民俗文化財
11月3日 - 弥五郎どん祭り(岩川八幡神社)鹿児島県指定無形民俗文化財
投谷八幡神社(万治3年(1660年)建立 四所宮、地主社)鹿児島県指定文化財
末吉城跡 史跡
平松城跡 史跡
宝寿庵城跡 史跡
興昌寺基地五輪塔 史跡
熊野神社五輪塔 史跡
有馬厚軒の墓 史跡
白尾桃庵の墓 史跡
平季基墓 史跡
肝付竹友墓 史跡
村田雅楽助地頭墓 史跡
川内一里塚 史跡
佐久良谷(桜谷) 史跡
黒原勘兵衛墓 史跡
一字一石経塚 史跡
中津瀬 史跡
荒神免古墳 史跡
製鉄所跡 史跡
末吉通山宿場跡 史跡
入佐住居跡 史跡
姥石 史跡
中岳洞穴 史跡
祝井谷一字一石経塚 史跡
西南の役薩摩軍の墓 史跡
徳牟礼門直ヱ門法難記念碑
住吉神社本殿 建造物
地頭仮屋の門 建造物
光明寺仁王像 建造物
興昌寺仁王像 建造物
橋野六地蔵塔 建造物
光神庚申六地蔵塔 建造物
田之神 建造物
内村堂の山石塔群 建造物
祝井谷石塔群 建造物
原村小松谷石塔群 建造物
石敢当 建造物
末吉衆中引付帖写 書籍
末吉根元帖 書籍
末吉郷土禄高帳 書籍
住吉神社短冊 書籍
上別府家の鎧 工芸
前川内太鼓踊 無形文化財
鬼神太鼓 無形文化財
早馬神社の杜 天然記念物
久保のもぐらうっ
大蔵寺阿弥陀如来像
住吉神社神王面
岩屋観音
恒吉太鼓橋
恒吉城(日輪城)跡
市柴橋
岩元橋
官軍墓地
柳井谷石塔群(伝景清の墓)
日光神社
澤田神社
速玉神社
金峯神社
笠祇神社
太田神社
蹲踞神社
檍神社
早馬神社
諏訪神社
世貫神社
若一王子神社
天照大神社
芙蓉の塔
折田のスダジイ群 天然記念物
自然・景勝地
花房峡憩いの森
安楽川渓谷
大川原峡
悠久の森
桐原の滝
溝ノ口洞穴
三連轟
白鹿岳
大鳥峡
菅牟田のホタル
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】