天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐
どうぞ、食を文化をご堪能ください
佐賀県(佐賀市)・大隈重信記念館
来年は明治維新150年
くしくも佐賀県の今年の夏の甲子園出場交は早稲田佐賀。
薩長土肥のひとつ肥前の国・佐賀。
こういう時代の人々の記念館などに行くと重々しさを感じる。高杉晋作の生家でも思ったけど鴨
居が低いんだよね。
抜刀しにくいようにとも言われる。
しかし、薩長土肥スタンプラリーがあるとは知らなかった。
萩からよく来られるらしい(笑)
基本情報
所在地:〒840-0054 佐賀県佐賀市水ヶ江2-11-11
電話:0952-23-2891
【Official site】
早稲田大学の創設者、そして2度にわたり総理大臣をつとめた大隈重信(おおくましげのぶ)は佐賀の生まれ。少年時代を過ごした佐賀市の会所小路(かいしょこうじ)は、佐賀藩の家臣の屋敷が集まり、川筋には蔵屋敷や問屋街が並び、小路には役人や商人が集まる会所があったことからその名がつきました。その一角に、重信の生家である武家屋敷が残ります。天保年間に建てられた武家屋敷が残っている例は少なく、旧宅は国の史跡にも指定されています。建坪は30坪、葦葺(あしぶき)の2階建。1階は座敷と茶の間と玄関で半間の板縁がめぐらされています。6畳1間の2階が重信の勉強部屋でした。当時、重信は佐賀藩校弘道館(こうどうかん)に入り、朱子学を中心とした教育を受けていましたが、次第に学校の保守的気風に反抗するようになり、退学を命じられます。しかし、これを機会に蘭学を学び、藩主鍋島直正(なおまさ)を動かし、長崎遊学を果たし、英学塾を開くなどして、積極的に西欧文化を取り入れようとしました。維新後は、政治家としての手腕を発揮して近代日本の礎をつくりました。旧宅に隣接する記念館には、貴重な遺品や資料が展示されてあり、重信の足跡を知ることができます。なお、佐賀市の高伝寺には、重信の幼名にちなむ八太郎槙という槙があります。
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】