天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

三重県・津市20170418

津市役所


基本情報
所在地:〒514-8611三重県津市西丸之内23番1号



【Official site】

津市
津市(つし)は、三重県中部に位置する都市で、三重県の県庁所在地である。三重県内では四日市市に次ぐ人口を有する都市である。日本一短い市名(ひらがな1文字)でも知られている。

概要[編集]
伊勢平野のほぼ中心部にあり、海沿いに市街地がある臨海都市である。三重県内の市町で最大の面積をもつ。人口は四日市市に次ぐ三重県内第2位の約28万人で、現在の都道府県庁所在地のうちでは38位である[1]。市の最南端にある旧・美杉村地区は過疎地域に指定されている。三重県の工業や経済の中心は四日市市にあるが、官公庁や国の出先機関、文教施設は津市に集約されている。
三重県のほぼ中央部、伊勢湾に面する。市内中心部を安濃川、岩田川が流れ、安濃川以北を橋北、岩田川以南を橋南、両河川に挟まれた地区を橋内と呼ぶ。津・河芸地区が津市東部、久居・芸濃・安濃・美里・白山・美杉・一志地区は津市中西部と呼ばれる。
旧美杉村西部の太郎生地区は、他の地区と山地によって隔てられ、また河川の流域も他の地区では伊勢湾に注ぐ雲出川の流域であるのに対し、太郎生地区は淀川水系の名張川流域に属し、さらに名張市へ約15kmに位置するため、太郎生地区は生活圏・経済圏などで名張市との結びつきが強い。このため、住民が名張市との法定合併協議会設置を求める住民発議を起こしたが、両市村議会が合併協議会設置案を否決し、分村合併は日の目を見なかった。
津駅前に2001年(平成13年)、高層複合ビル「アスト津」が完成。地上18階地下1階・最高高さ94.63m(軒高85.72m)の、オフィスとホテルを主体とする建物で、津市の新たなランドマークとなっている。
地理[編集]

津市中心部周辺の空中写真。1982年撮影の26枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
河川[編集]
一級河川
雲出川水系
長野川
二級河川
志登茂川
安濃川 - 津市の人口集中地区を流れる川。
岩田川 - 津市の人口集中地区を流れる川。
相川
名張川
田中川
中ノ川
山[編集]
錫杖ヶ岳
摺鉢山
笠取山
長谷山
矢頭山
尼ヶ岳
三峰山
大洞山
倶留尊山
高須ノ峰
高所山
国見山
髯山
湖・池[編集]
君ヶ野ダム湖
風早池
大沢(澤)池
横山池
錫杖湖
隣接している自治体[編集]
三重県の旗三重県
鈴鹿市
亀山市
松阪市
伊賀市
名張市
奈良県の旗奈良県
宇陀郡
曽爾村
御杖村
歴史
近世以前
「津」とは「船舶の碇泊する所。ふなつき。港」の意味(岩波書店『広辞苑第六版』より)である。古くは、安濃津として文献にも記される良港であり、平安京にとって重要な港だったことから単に「津」とも呼ばれていた。しかし、明応7年(1498年)の明応地震(東海地震)に伴う津波のため港は崩壊した。
津藩藤堂氏の城下町として栄え、ポルトガル人やスペイン人の衣装を模した仮装行列を起源とし、後には「朝鮮通信使」などの影響も受けたとされる「唐人おどり」が伝承され(現在、三重県の無形民俗文化財である)、毎年秋に行われる津まつりで披露されている。
伊勢音頭の歌詞に「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」と歌われている。
江戸時代には伊勢参りの宿場町として栄えた。国学者、谷川士清(たにがわ・ことすが)の生家が、中心街の西方の旧道沿いの八町という町並みにある。

近現代
明治4年(1871年)に安濃津県が設置され県庁舎が置かれたが、翌年県庁舎が県中央に近い四日市(当時三重郡四日市町:現四日市市)に移転し、三重県と改称した後、その翌年に再び県庁舎が戻された経緯がある(名称は戻されなかったため、県名と県庁所在地名が一致しなくなった)。その後、度会県との合併によって津は三重県中央部に位置するようになった。)
1945年(昭和20年)7月24日、7月28日 津大空襲 死者1,239人。第二次世界大戦末期にアメリカ軍のB-29による大規模な空襲を受け、旧市街の全域及び橋北地区の工場地帯が焼失。この空襲では宝塚歌劇団在団中より歌手として活躍、その年の春結婚退団し、当市内の夫の家で生活していた糸井しだれも犠牲となった。
1959年(昭和34年)9月26日、伊勢湾台風により多大なる被害が出る。
2007年(平成19年)4月15日、午後0時19分の三重県中部地震で津市内では島崎町、河芸町浜田、芸濃町椋本、美里町三郷、安濃町東観音寺で震度5弱。また片田薬王寺町、西丸之内、久居東鷹跡町、香良洲町、一志町田尻、白山町川口で震度4を観測した。

行政区画の変遷

津市域の変遷
1889年(明治22年)4月1日 - 市制の施行により、安濃郡津城下(津京口町・津立町・津大門町・津中ノ番町・津宿屋町・津蔵町・津千歳町・津入江町・津堀川町・津沢之上町・津新中町・津魚町・津北浜町・津地頭領町・津分部町・津新魚町・津山之世古町・津大世古町・津南浜町・津南世古町・津片浜町・津築地町・津極楽町・津贄崎町・津西検校町・津東検校町・津北堀端・津玉置町・津新道・津西新道・津中新町・津西堀端・津丸ノ内・津南堀端・津一番町・津二番町・津三番町・津枕町・津五軒町・津松之下・津西町・津塔世町・津門前町・津釜屋町・津万町・津北町・津東町・津西来寺町・津宝禄町・津新立町・津東新町・津鷹匠町・西ノ口出屋敷・栄町)・伊予町・岩田村・津興村・八幡町および下部田村の一部(余慶町)・乙部村の一部(字川田・北浦・札ノ辻・七ツ家・南浦の各一部)・塔世村の一部(字新地・榎之下・川田・栄町・徳田および字清原・岡瀬谷・矢下の各一部)・古河村の一部(字東河原・宮元屋敷・東新屋敷の各一部)・藤方村の一部(枝郷藤枝町)・奄芸郡大部田村の区域をもって津市が発足。日本全国31市とともに、日本で最初に市制施行した市の中の一つで、東海三県でこの時点で市制施行したのは本市のみ。
1909年(明治42年)4月1日 - 安濃郡建部村・塔世村を編入。
1934年(昭和9年)6月1日 - 安濃郡新町を編入。
1936年(昭和11年)3月1日 - 安濃郡藤水村を編入。
1939年(昭和14年)7月1日 - 一志郡高茶屋村を編入。
1943年(昭和18年)8月31日 - 安濃郡神戸村・安東村・櫛形村を編入。
1952年(昭和27年)6月15日 - 一志郡雲出村を編入。
1954年(昭和29年)1月15日 - 河芸郡一身田町を編入。
1954年(昭和29年)8月1日 - 河芸郡白塚町・栗真村・安濃郡片田村を編入。
1973年(昭和48年)2月1日 - 安芸郡豊里村を編入。
2006年(平成18年)1月1日 - 久居市・安芸郡河芸町・芸濃町・美里村・安濃町・一志郡香良洲町・一志町・白山町・美杉村と合併し、改めて津市が発足。

 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社