天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

大分県(由布市)・湯平温泉 金の湯

地元の方と話すのは楽しいよね。

昭和30年代まで湯布院より湯平が栄えてたんだって。

湯布院の旅館がインバウンド専用?宿泊施設以外の旅館が断わっているため、湯平温泉に流れて
来ているみたい。

湯布院のインバウンドは福岡からの日帰りが主流らしい。

それでも多いけどね。

湯船から顔を出した7人のうち日本人は僕だけだったのは去年だったよな(笑)

200円也

※源泉かけ流しです。

基本情報
所在地:〒879-5112 大分県由布市湯布院町湯平
電話:0977-86-2367



【Official site】









湯平温泉
湯平温泉(ゆのひらおんせん)は、大分県由布市湯布院町湯平(旧国豊後国速見郡)にある温泉。
その歴史は、隣接する由布院温泉よりも古く、伝承では鎌倉時代に始まるとされ、史料でも室町時代には存在していたことが確認されている。 昭和の町村大合併で旧由布院町と合併して旧湯布院町となる以前は、療養型温泉として著名で、戦前は別府温泉に次ぐ、九州で第2位の入湯客を誇る温泉地として知られていた。

アクセス
鉄道:JR九州久大本線湯平駅よりタクシーで約10分または徒歩約1時間。同線由布院駅よりタクシーで約30分。
※湯平駅・由布院駅からの路線バスは2007年1月に廃止され、由布市コミュニティバスが運行している。
車:大分自動車道湯布院インターチェンジより国道210号・大分県道537号湯平温泉線経由で約30分。

泉質
ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉
弱食塩泉
飲泉時に胃腸に対する効能が特に優れているとされる。温泉水を料理に使ったり、飲用で提供したりする旅館も存在する。かつてはこの温泉水を全国に出荷していた。

温泉街
花合野川沿いの谷間に温泉街が広がる。
温泉街の通りには江戸期に作られた石畳が敷かれ、その両側に飲食店や土産屋、共同浴場、旅館が並ぶ。昔ながらの雰囲気で最近は海外の方にも人気のスポットとなっている。人気の由布院温泉にも近く、最近は外国人を中心とした宿泊者が増加傾向にある。

共同浴場
共同浴場は以下の5軒が存在する。上流部から順に記す。

金の湯
金の湯は以前は源泉に多量の土が混じり、黄色い色をしていたためにこの名があるが、湯量減少に伴う近年のボーリングにより現在は透明なお湯となった。透明となったあとも泉質に変わりはない。

中の湯
長らく休館していたが、リニューアルの上で再オープンしている。浴室が1つしかないため奇数日は女性専用、偶数日は男性専用となる。

砂湯(中央温泉)
砂湯は花合野川の川面の間近な場所にあり、台風や大雨などにより花合野川が増水した場合は土砂が流入したこともあったことから、現地では昔から「砂湯」の名称で親しまれている。中央温泉の別名があり、一時はこちらが正式名称とされ、川に面した壁に「中央温泉」と書かれていた。砂蒸し風呂ではない。

銀の湯
銀の湯は2006年にリニューアルされ、足湯が併設された。

橋本温泉
最も麓にあり、最も湯船や洗い場が広い。浴槽が2つに区切られており入りやすい。
入浴料は1箇所につき 200円であるが、管理人は常駐しておらず、各浴場の入り口付近に祀られた地蔵の賽銭箱又は入浴料入れに投入すべし。お釣りはでないので注意。当温泉の宿泊施設の宿泊者は半額の100円で利用できる。すべての共同浴場には備え付けのシャンプーや石鹸はないので持参すべし。またシャワーもありません。

歴史
実際のところは、江戸期、明治期に大火のため、湯平温泉の歴史を記す古文書の多くが消失してしまったため、その歴史をたどるには、湯平の外の文献に拠るしか方法がない。
一説では、大昔に木樵が猿が湯に入っていたところを見て、温泉があるのを発見したという開湯伝説がある。
その効能の高さから、古くから湯治客が多く訪れ、鎌倉時代には既に湯治場として開けていたとされる。史料でも、室町時代には温泉が存在していたことが確認できる。
現在の温泉街の象徴的光景ともいえる石畳は、約300年前の江戸時代に、住民たちにより花合野川の石を用いて作られた。明治時代に2度あった大火からの復興時も、石畳が取り壊されることはなく、石畳の道を中心として町並を復興した。
1930年には、種田山頭火がこの地を訪れている。
1959年5月4日、厚生省告示第115号により「湯布院温泉」として、由布院温泉とともに国民保養温泉地に指定。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社