福岡県(宗像市)・宗像大社
ここは16年ぶりと書こうと思ったら本殿を参拝するのは初めてと気づいた。
仕事で結構通っていたから来ていた気になってたんだと思う。
16年前は初めての新車購入だから車のお祓いをしてもらった。
トイレも新しくなってる、手水舎に柄杓がないのはインバウンド対応?なんて訝ってしまう。
今、思うよ。
宮地嶽神社も宗像大社も大きいけど、やっぱり宇佐神宮、霧島神宮って改めて大きいと思った。
二拝二拍一拝
基本情報
所在地:〒811-3505 福岡県宗像市田島2331
電話:0940-62-1311
【Official site】
宗像大社
宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社。日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である。また、道の神としての総合神、貴(むち)の称号を伊勢神宮、出雲大社に並び持ち、道主貴(みちぬしのむち)と称す。神宝として古代祭祀の国宝を多数有し、裏伊勢とも称される。
概要
『宗像大社』は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称であるが、現在では「辺津宮」のみを指す場合も多い。地図上で辺津宮から11km離れた中津宮、さらに49km離れた沖津宮を線で結ぶと、その直線は145km離れた朝鮮半島釜山の方向に向かう。古代から半島と大陸の政治、経済、文化の海上路であった。古くから海上・交通安全の神としての神威にちなみ、信仰されているが、現在では海上に限らず、陸上・交通安全の神として信仰を集めている。そのため、福岡県内では宗像大社のステッカーを貼った自動車が多数見受けられるほか、新車を購入した際に御祓いを受ける人も非常に多い。また、車に装着する交通安全のお守りは宗像大社が発祥である。
沖津宮のある海上交通の要所に位置する沖ノ島は、古来より島に立ち入り見聞きした事を口外してはならず「お言わずさま」と呼ばれ、島全体が御神体である。そのため現在でも女人禁制であり、男性であっても上陸前には禊を行なわなければならない。昭和29年以来十数年に渡り沖の島の発掘調査が行われ、4・5世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物が発見された。このことから、沖の島は俗に「海の正倉院」と呼ばれており、古代から信仰の対象とされていたことが偲ばれる。現在は、台風などの緊急避難港に指定されている。
近年、沖ノ島を世界遺産にする運動が起こり、2009年1月5日に沖津宮・中津宮・辺津宮及び沖津宮遥拝所と沖ノ島全体を含めて、『神宿る島・宗像・沖ノ島と関連遺産群』の構成遺産として世界遺産暫定リストに追加掲載された。2015年には推薦候補となる事が決定した。なお審査は2017年7月に行われる予定である。
祭神
3社にそれぞれ以下の神を祀り、宗像三女神(宗像三神)と総称する。
沖津宮(おきつぐう) : 田心姫神
中津宮(なかつぐう) : 湍津姫神
辺津宮(へつぐう) : 市杵島姫神
歴史
伝えられる伝承では日本神話に起源を持つ。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神が素戔嗚の剣を砕き、その息から生まれたのが宗像三女神。彼女達は天照の勅命を奉じ、皇孫を助けるため玄界灘に浮かぶ筑紫宗像の島々に降りこの地を治めるようになったのが起源とされている。古史古伝に記載されるいわゆる「天から地に降りた神」はニニギノミコトと宗像の女神だけである。
宗像は『古事記』では胸形という字が当てられ、また胸肩、宗形とも表記されるが、元は水潟であったとする説もある。古くから当地の民の氏神として信仰を集めてきたが、神功皇后が三韓征伐の際ここに航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに国に幣使を遣わす習いになったとされる。大和朝廷から重視され、またこの逸話からは航海安全の守護神として崇められるようになった経緯がうかがえる。
大化の改新後の律令制導入によって、国郡の制が敷かれると宗像一郡が神領として与えられ、当地の豪族宗像氏が神主として神社に奉仕し、神郡の行政も司ることになった。在地豪族の胸肩君('むなかたのきみ'宗方氏)の由緒を記した石碑によれば、宗像氏の当主が二代にわたって中国宗の商人の娘を正室に迎えている。また胸肩君徳善は娘の尼子娘を天武天皇の後宮に入れ、白雉5年(654年)に二人の間に生まれた第一皇子、高市皇子は壬申の乱で父を助けて大勝利し、後に太政大臣に任ぜられる。(高市皇子は長屋王の父であり高階氏の祖である)
鎌倉時代以降は戦乱により幾度の火災に見舞われたが、その都度に朝廷や武家の信奉があり再建されてきた。現在の拝殿は戦国の知将・小早川隆景が天正16年(1590年)による再建。杮(こけら)葺きの大屋根が美しい本殿は天正6年(1578年)に宗像大宮司氏貞が再建したもの。江戸時代には筑前福岡藩主、黒田氏などによる社殿の造修営、社領の寄進などが伝えられている。昭和に入り、再び荒廃していた社殿群は同市出身で宗像大社を信仰していた実業家、出光佐三の寄進により境内が大規模に整備された。
神事・祭事
秋季大祭 - 毎年10月1〜3日。1〜3日の辺津宮本殿での催しに先立って中津宮・沖津宮で神迎えの神事があり、漁船群の立てる色とりどりの旗や幟で海上神幸を行う(みあれ祭)。本殿では翁舞、風俗舞、流鏑馬、奉納相撲などが披露される。起源は平安時代にまで遡るといい、「放生会」と呼ぶこともある。
七夕祭 - 毎年旧暦7月7日夕刻時、筑前大島の中津宮末社で行われる。牽牛社・織女社というのがあり、その前に短冊を付けた竹笹を立てて技芸の上達を祈る。水に映る姿を見て男女の因縁を占う神事や、七夕揮毫大会も開かれる。
文化財
国宝
福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品・伝福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品 一括
玄界灘に浮かぶ絶海の孤島・沖ノ島の20数箇所の祭祀遺跡から発掘された一括遺物。1954年から1971年に至る第1次〜第3次の発掘調査で出土したもので、時代的には古墳時代から平安時代(4世紀〜10世紀)にわたる。中国・朝鮮半島製品を含む、各種の銅鏡、金銅(銅に金メッキ)製の馬具類のほか、土師器、三彩陶器、滑石製品、玉類、刀剣類などが出土品の主なものである。出土品中にはペルシャ・サーサーン朝製と見られるガラス椀の破片などもある。考古学、美術史、宗教史、古代史など、さまざまな分野の研究に資するところの多い、学術的にきわめて貴重な資料である。3次にわたる発掘調査の結果は『沖ノ島』『続沖ノ島』『宗像沖ノ島』という報告書の形で刊行されている。これら出土品は宗像大社の神宝館で公開されている。1962年に第1次・第2次発掘調査出土品が国宝に指定され、2003年には第3次発掘調査出土品が追加指定されている。約8万点に及ぶ一括遺物の国宝としては、数量の上で日本一である。
重要文化財
宗像神社辺津宮拝殿
宗像神社辺津宮本殿
木造狛犬一対
石造狛犬一対
藍韋威肩白胴丸 兜、壺袖付(あいかわおどしかたじろどうまる)-「胴丸」は鎧の一種。
経石(正面阿弥陀如来像・背面阿弥陀経)(阿弥陀仏経碑)
宗像神社文書 12巻 附:宗像神社記録5巻、1冊、宗像社家文書惣目録 1冊
色定法師一筆一切経 4342巻[1] 自文治三年(1187年)至嘉禄三年(1227年)奥書(宗像市田島 興聖寺所有、宗像大社管理)
滑石製経筒 仁平4年銘(宗像市稲元区所有、宗像大社管理)
史跡(国指定)
宗像神社境内
福岡県指定有形文化財
宗像神社中津宮本殿
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】