基本情報
所在地:〒877-8601 大分県日田市田島2丁目6番1号
電話:0973-23-3111(代表)
【Official site】
日田市
日田市(ひたし)は、大分県北西部に位置する市である。
地理
大分県に位置するが、筑後川水系にあるため歴史的に福岡県筑後・筑前地方とのつながりが強く、この地域の方言である日田弁は肥筑方言の特徴を持つ。
周囲を山に囲まれた典型的な盆地であり、多くの河川が流れ込み「水郷(すいきょう)」を形成している。そのため、春から秋にかけては、朝夕に地元では「底霧」と呼ばれている深い霧が発生する。また、雷の発生数も全国有数である。盆地特有の内陸型気候であるため、夏は暑く、冬は寒い。夏は日本国内でも有数の酷暑で知られる。最高気温が35℃を超える猛暑日となる日も多く、年間猛暑日数45日(1994年)、連続猛暑日22日(1992年、1994年)は国内1位[1]。一方、冬は寒さが厳しく、最低気温が氷点下になる日も多い。日田市は山間部にあるため、大分県内においては、積雪も多い地域である。市内中心部でも、多い時には10センチメートル程度の積雪が見られることもあり、より山間部に入っていけば、積雪が10センチメートルを超えることもある。また、山間部の地域では降水量が非常に多く、それが杉や檜の生育を早めるため、林業地域としての日田に寄与している部分もある一方で、土砂崩れのような自然災害を発生させる原因ともなっている。
日田盆地周囲の山地は、標高がおよそ1,000メートル、旧前津江・中津江・上津江村の位置する山間部では、標高が1,200メートルほどになる地域がある。
日田盆地に流れ込む多くの河川は、三隈川(筑後川)に合流する。これらの河川は江戸時代の末期には、日田周囲の地域で伐採された木材や物資を、筑後川下流の福岡県久留米や大川といった都市まで輸送する物流手段として欠かせないものとなった。これを日田川通船といったが、夜明ダムが建設されたことによって水運は行われなくなった。
山: 一尺八寸山(みおうやま)、大将陣山、岳滅鬼山(がくめきざん)、釈迦岳、御前岳
河川: 三隈川、大山川、玖珠川、花月川、中野川
気候
九州型の太平洋側気候だが、盆地のため夏と冬、朝晩の気温差が大きい。年降水量は1800mmと比較的多く、梅雨に一年の3分の1が集中する。 春から初夏の早い時期から暖気に覆われると真夏日や猛暑日となることがある。夏は猛暑日となる日が多く、その日の国内最高気温を記録することも珍しくないが、熱帯夜となる日は多くない。1994年猛暑 では、日本国内の猛暑日(35℃以上)年間日数が45日の最多記録、また猛暑日連続日数は22日間の最多記録、さらに日最高気温の月平均(7月)は36℃と記録された。 冬は1月の平均気温が3.9℃と九州の都市としては寒さが厳しく、冬日が多くなる。放射冷却がよく効いた日は氷点下5℃以下まで下がることもあり、近年でも2012年2月3日に-9.1℃を記録している。
気温 - 最高39.4℃(2013年(平成25年)8月20日)、最低-10.8℃(1945年(昭和20年)1月19日)
最大降水量 - 292.4ミリ(1953年(昭和28年)6月24日)
最大瞬間風速 - 50.2メートル(2004年(平成16年)9月7日)
夏日最多日数 - 173日(2005年(平成17年))
真夏日最多日数 - 109日(2005年(平成17年))
猛暑日最多日数 - 45日(1994年(平成6年))
熱帯夜最多日数 - 13日(1994年(平成6年))
冬日最多日数 - 106日(1943年(昭和18年))
猛暑日最早日 - 2013年5月24日
隣接している自治体
福岡県
うきは市
朝倉市
八女市
朝倉郡東峰村
田川郡添田町
熊本県
山鹿市
菊池市
阿蘇市
阿蘇郡南小国町、小国町
大分県
中津市
玖珠郡玖珠町
地名
市制施行当初は32大字からなっていた。
北豆田、隈(1968年消滅)、庄手、竹田、豆田、南豆田(以上、旧日田町)
十二町、友田、渡里(以上、旧光岡村)
上野、高瀬(以上、旧高瀬村)
花月、三和(以上、旧三花村)
求来里、田島、日高(以上、旧三芳村)
有田、西有田(以上、旧西有田村)
小迫、二串、山田(以上、旧朝日村)
石井、内河野、小山、川下、堂尾(以上、旧五和村)
小野(旧小野村)
大肥、鶴河内(以上、旧大鶴村)
羽田、東有田(以上、旧東有田村)
夜明(旧夜明村)
1966年から1968年にかけて中心部で住居表示を実施した。
上城内町(1966年、北豆田・田島から発足)
城町1丁目~2丁目(1966年、北豆田から発足)
田島1丁目~2丁目(1966年、田島・日高・竹田から発足)
淡窓1丁目~2丁目(1966年、南豆田・田島・十二町から発足)
中城町(1966年、南豆田・北豆田・田島・十二町から発足)
豆田町(1966年、南豆田・北豆田から発足)
丸の内町(1966年、南豆田・渡里から発足)
港町(1966年、南豆田から発足)
三本松1丁目~2丁目(1967年、南豆田・庄手・十二町から発足)
三本松新町(1967年、十二町から発足)
田島本町(1967年、竹田・田島から発足)
中央1丁目~2丁目(1967年、南豆田・竹田・庄手・田島から発足)
吹上町(1967年、北豆田・渡里・友田から発足)
本庄町(1967年、庄手・竹田から発足)
本町(1967年、竹田から発足)
丸山1丁目~2丁目(1967年、北豆田・渡里から発足)
南元町(1967年、竹田・日高から発足)
元町(1967年、竹田・田島から発足)
川原町(1968年、竹田・隈から発足)
亀山町(1968年、竹田・庄手から発足)
隈1丁目~2丁目(1968年、竹田・隈・庄手から発足)
竹田新町(1968年、竹田から発足)
中本町(1968年、竹田から発足)
東町(1968年、竹田から発足)
若宮町(1968年、竹田・日高から発足)
下井手町(日高から発足。年不詳)
三芳小渕町(日高から発足。年不詳)
刃連町(日高から発足。年不詳)
平成の大合併
平成の大合併で2町3村を編入合併した。これらの地区は従来の大字の前に、旧町村名を冠した「○○町」の町名を冠している。ただし、中津江村は「中津江村」を冠している。
前津江町赤石、前津江町大野、前津江町柚木(以上、旧前津江村)
中津江村合瀬、中津江村栃野(以上、旧中津江村)
上津江町上野田、上津江町川原(以上、旧上津江村)
大山町西大山、大山町東大山(以上、旧大山村)
天瀬町赤岩、天瀬町女子畑、天瀬町合田、天瀬町桜竹、天瀬町湯山(以上、旧中川村)
天瀬町馬原(旧馬原村)
天瀬町五馬市、天瀬町出口、天瀬町塚田、天瀬町本城(以上、旧五馬村)
通称町名
旧日田市の大字地区では、日常的に通称町名が用いられている。以下、その一覧である。
有田 - 有田町、尾当町、中尾町、三池町、水目町
石井 - 石井町1丁目~3丁目
内河野 - 内河町
上野 - 上野町
大肥 - 大鶴町、大肥本町、大肥町
小迫 - 朝日ヶ丘、朝日町、小迫町
小野 - 鈴連町、殿町、三河町、源栄町
小山 - 小山町
花月 - 秋原町、市ノ瀬町、小河内町、伏木町、藤山町
川下 - 高井町
北豆田 - 秋山町、城内新町
求来里 - 神来町、求町
庄手 - 亀川町、中釣町、中ノ島町、日ノ隈町
十二町 - 玉川町、新治町
高瀬 - 大宮町、京町、串川町1丁目~2丁目、琴平町、誠和町、銭渕町、高瀬本町、大日町、南部町、八幡町
鶴河内 - 大鶴本町、上宮町、鶴河内町、鶴城町
友田 - 北友田1丁目~3丁目、南友田町
堂尾 - 緑町1丁目~2丁目
二串 - 君迫町、二串町
西有田 - 石松町、坂井町、三ノ宮町1丁目~2丁目、上手町
羽田 - 岩美町、羽田町、東羽田町、日の本町
東有田 - 池辺町、上諸留町、月出町、松野町、諸留町
日高 - 大部町、小ヶ瀬町、古金町、日高町、桃山町
三和 - 財津町、清水町、天神町
山田 - 山田町
夜明 - 夜明上町、夜明関町、夜明中町
渡里 - 清岸寺町、日ノ出町
歴史
地名の由来
「日田」の地名の由来にはいくつかの説があり定かではない。
720年から740年頃に成立した『豊後国風土記』では、景行天皇が九州遠征時に浮羽から日田に立ち寄った際に、「久津媛」(ひさつひめ)と名乗る神が人となり現れたことに因んで名づけられたもので、後に久津媛が訛って「日田」になったとしている。
また、承平年間(931年 - 938年)に成立した『和名類聚抄』では、日高郡とされており、「比多」の訓が付されている(元和古活字本巻5)。現在も三芳地区には「日高町」という地名が残っている。
江戸時代に成立した『豊西記』には、「湖であった日田盆地に大鷹が東から飛んできて湖水に羽を浸し、羽ばたき、旭日の中を北へ去ると、湖水は轟々と抜けて干潟となった。そして日隈、月隈、星隈の三丘が現れた。」という「日と鷹神話」があり、それよりヒタカと呼ばれるようになったという。
先史・古代
小迫辻原遺跡より、3世紀末から4世紀初頭にかけての豪族の環濠居館の跡が出土している。また、ダンワラ古墳からは1世紀 - 3世紀頃の漢鏡と推定される金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(国の重要文化財)が出土している。この鏡には卑弥呼の鏡ではないかとの説もあり、2009年に九州国立博物館4周年特別展で展示された際には「卑弥呼の鏡か?」とのコピーとともにPRされた。
学術的には偽書とされる『先代旧事本紀』国造本紀に、古代ヒタにおいての国造には、「成務天皇の時代に葛城国造同祖、鳥羽足尼(宿禰)を定めた。」とある。止波宿禰(鳥羽宿禰)は、西暦470年以降(古墳時代後期)に靱編連(ユギアミノムラジ。現在の日田市刃連町付近)に会所宮(現在の会所山久津媛神社周辺)とよばれた屋敷に居住し、村人に農業などを指南した人物として『豊日志』(現存せず)に記されていたとされる。
『豊後国風土記』靭編郡の条には、欽明天皇の時代、日下部氏の祖である邑阿自(オウアジ)が靱部として仕えており、村について家を構えた。これにより靭負(ユギオイ)村とよび、後に靭編(ユギアミ)郡と呼んだとある。ちなみにユギオイとは、靭(ユギ・ユキ、矢を入れる容器)を使用する者をいい、ユギアミとは、靭を作る者のことをいう。大化の改新後は郡司に任ぜられ、大蔵氏 (豊後国)が郡司に就くまで日田の支配権を握っていたと考えられている。
古代 - 中世
834年頃に、在地小豪族の大蔵氏(大蔵氏の庶家)が居付いたとされている。日田大蔵氏に関しては中井王の子孫であるという説もあるが、一方、宇佐を本拠としていた大蔵鬼蔵大夫永弘が日田に居付いて、日田大蔵氏となったという説もあり、渡来の秦氏であるというものまであるので定かではない。
日田城および大蔵館(鷹城)、現在の慈眼山公園を拠点に栄華を極め1444年まで590余年一系を保ったが、家臣たちにより16代永包を殺害した永好を美濃国で殺害[2]し、豊後の大蔵氏は滅亡する。その後、大友氏より親満(永世)を養子に受けて大友系日田氏として再興するが大友氏滅亡とともに1548年に滅亡する。以降は、大友義鑑が選出した旧豊後大蔵氏一族の郡老8名が政治を執り行った。
近世
日田市内豆田町の町並み
1593年、豊後国を治めていた大友義統が文禄慶長の役において敵前逃亡の責めを負って改易され、領国内であった日田郡は蔵入地(豊臣家直轄地)となり、宮部継潤らによる検地(太閤検地)が行われた。宮木豊盛が代官として入領し日隈城(隈城)を築き、のち毛利高政が日隈城に入城し日田郡2万石および玖珠郡を治めた。1600年の関ヶ原の戦いで毛利高政は西軍につき、日隈城は豊後国内の攻略を行っていた黒田勢と講和を結び開城。毛利氏は豊後国佐伯への転封となり、日田は黒田孝高家臣の栗山善助預かりとなって日隈城に詰めた。
1601年、小川光氏が日田郡に入領し日田盆地北部にある丸山(月隈山)に丸山城を築城。日田郡の内、丸山城を中心とする北部を小川氏、日隈城を中心とする南部を栗山氏に代わって毛利氏預地として治めるところとなった。1616年、小川氏に代わり石川忠総が丸山城に入城。城の改修を行い永山城と改名し、城下町も移転して豆田町と改める。1633年、石川氏が下総国佐倉に移封となり、中津藩・杵築藩の預地となる。1639年、幕府直轄領となり初代代官の小川藤左衛門、小川九左衛門は城を廃して麓に陣屋を置く。その後、幕府の直轄領である支配所(天領)や他藩の預地、松平直矩などいくつかの大名支配を経て1686年以降は大名が入封することなく明治まで幕府の支配所となり、幕府が任じた代官が赴任するところとなった。
江戸中期の1767年、日田代官の揖斐政俊が西国郡代に格上げされ、それ以降は九州の支配所を治める郡代支配の拠点となった。最後の郡代は窪田鎮勝。享保19年(1734年)当時には、豊前・豊後・日向・筑前の直轄地合わせて12万石を支配し、江戸末期には16万石にもなった。
文化
江戸時代に京大坂江戸を手本に町人文化が繁栄し、現在でも小京都などと呼ばれる。特に、代官・郡代により掛屋に指定された商人は大名貸しの金利などにより利益を得ており、その利益や蓄えを俗に日田金(ひたがね)といった。日田金は一例として、広瀬淡窓の弟である6世広瀬久兵衛(ひろせきゅうべい、1790年 - 1872年)による治水工事(小ヶ瀬井路)や通船用への川の整備や干潟の干拓(呉崎新田・久兵衛新田(宇佐)など)工事などの事業、大名の財政再建などに投じられている。
幕末に広瀬淡窓の開いた私塾咸宜園には日本中から塾生が集まった。塾生には蘭学者の高野長英や近代軍隊の基礎を築いた大村益次郎などがいる。
近現代
1956年当時の市域
1868年(慶応4年)より支配所(幕府直轄領)は天朝御料(天領)に編入され西国郡代の支配下にあった支配所地方行政として日田県が置かれ、松方正義を知事として迎えて旧日田陣屋および永山城跡に県庁が置かれたが、その4年後の1872年に日田県は廃止となり日田県内の日田郡は大分県へ編入された。
1889年(明治22年)に施行された町村制により発足した旧陣屋町を中心とする豆田町と三隈川河畔の商業町(旧日隈城下)を中心とする隈町が1901年(明治32年)に併合し日田町が発足。
1940年(昭和15年)12月11日 - 日田町と三芳村・高瀬村・光岡村・朝日村・三花村・西有田村の6村が合併し市制施行。
1955年(昭和30年)3月31日 - 東有田村・小野村・大鶴村・夜明村・五和村の5村を編入。
2005年(平成17年)3月22日 - 日田郡前津江村、中津江村、上津江村、大山町、天瀬町を編入。
1889年(明治22年)の町村制度施行の際における日田郡全域が現在の市域にあたる(一部部分的な編入などによる例外あり)。
経済
伝統工芸
小鹿田焼(おんたやき)
日田下駄
日田土鈴
産業
古くから市周囲の山間部での林業が栄え、それらの林業地で育つ杉は、日田杉と呼ばれてきた。そのため、この杉を用いた下駄作りや漆器などの木工業がさかんである。しかしながら近年は外国産の安い木材の輸入増加などをうけ、林業自体が以前に比べて衰退傾向にある。
この他、三隈川では鮎などを対象とした内水面漁業が行われる。また、井上酒造、クンチョウ酒造、老松酒造などの酒造業も古くから存在する。
近年はTDK三隈川工場(1982年 - )、九州住電装(1993年 - )等の工場や、サッポロビール九州日田工場(2000年 - )、三和酒類日田蒸留所(2002年 - )(ニッカウヰスキー九州工場〈1989年 - 1999年〉跡)等の食品工業が進出している。
日田市に本社を置く企業
日田天領水
想夫恋
日田信用金庫
亀山亭ホテル
日田キヤノンマテリアル
ホンカワ
ニッポー物流サービス
地元新聞
中央発条工業
主要大規模小売店舗
日田市街地
サンリブ日田
イオン日田店(旧 ダイエー)
ロフティ日田駅前テリオ1-2階(テナント募集中)
黒潮市場日田店(旧「日田寿屋」)
ベスト電器日田店
上記すべての店舗が日田駅近くの中心市街地に立地する。
郊外
ケーズデンキ日田店
ヤマダ電機日田店
100満ボルト日田店
スーパーセンタートライアル日田店
サニー日田ショッピングセンター
マルミヤストア日田店
ナフコ日田店
中心商店街
日田中央商店街
三本松商店街
寿通り商店街
豆田町商店街
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】