いわゆる漁師の本当の祭りのような気がします。
皆様は、長崎市で行われる綺羅びやかな船をご想像されると思いますが、ただの小舟です。
そしてガチです(笑)
今の状況は正直わかりませんが、1987年くらいまで15、6地区に分かれて行われていた気がします。
年々、合併チームみたいになってきたようですが・・・。
東から天ヶ原、塩谷、赤滝、築出、新町、湯田、坂口、黒瀬、琴平、鹿の下東、鹿の下仲、鹿の下西、田間、川尻、正村、中折、馬場先、18地区ありますね。
これは恐らく昭和50年代初頭くらいじゃないでしょうか?
そう言えばエキビジションみたいに漁協vs自衛隊というのは未だに解せないですが(笑)
勝本漁協の小畑剛さんは恐らく田間チームと漁協でしんどかったはずです。
僕が住んでる鹿の下東は強いけど優勝できないチームという小さな頃の記憶です。
必ず決勝戦で築出の赤い鉢巻チームに負けます。
僕ら鹿の下東の子どもたちは『築出は診療所ん近かけん、なんか注射しよいとちばい(カンフル剤みたいな注射を打っている)』という根も葉もない話をしてました。
僕が中学・高校頃になると塩谷や新興住宅化した天ヶ原に若手が多くなり強かったような気がします。わが鹿の下東は常に準優勝だった気がします。勝つのは築出(つきだし)、みんな赤いハチマキをしていました。小学校時代は30歳で上がりでした。高校時代は「人ん足らんごとなろいけん、拓ちゃん、どうやろうか?」というのを断ってます、おふくろが(笑)
そしてA君とB君の家に行き二人はOK(笑)
出たかったか?はい、むっちゃww
そして、このペーロン大会、選手たちの会話の恐ろしさというか、笑ってしまうというか。
『よう、けーんた、早う負けち、帰っち飲み行こうや(おい、こんなの早く負けてさっさと帰って飲みに行こう)』
『きつうしっ、たまらんて、どけさるいとない!(きつくてたまらないのに、どうしてこんなことできるんだ』
『あーたたい、勝っち、よかでばい!(あなたたち、勝っていいよ)』
などという会話が飛び交います。
しかし・・・。
いざ、スタートが切られると、さっき飛び交った会話はどこへやら、血眼になって漕ぎ出します(正式には櫂をかくだと思います)。大声張り上げて(笑)
もう、凄い勢いですよ!!あの瞬間は殺気だってます。
大声張り上げて(笑)
スタートは船に繋いである綱を陸にいる人が竹で叩いて切ります。
それがスタートです。
※昔、スタート直後の白波の立ち方はこんなものじゃなかったですね。
別に欺こうとかそういうわけじゃないんです。
推測するに、『お互い手を取り合って頑張ろう!』的な臭さがみんな苦手なのです。
そう、みんなシャイなんです(笑)
そんなレースで伝説の人間が3人います。
櫂でかく、まあ漕ぐと言ったがイメージがつきやすいかもしれませんね。
・原爆(実は名前知らないです)、名字は中原じゃなかったかと思います。6学年上のはずです。(あだ名は志賀神社内でした放屁の音が凄かったかららしいです)
・阿田利秀、阿田の利坊です。隣です。5学年上です。彼の凄さは櫂を折り、そして、予備の櫂を折った人です。その流れてくる櫂を見ていたのが大久保あっちゃん(友達・同級生)です。あっちゃん曰く『いっぐおい(まあ、凄いと訳しておきます)』
利坊の伝説は僕ら鹿の下東ではもう一つあって、小学校の頃、ゴムボール野球で【からつやまで飛ばした男】として有名です。僕が野球できる体になった年になって呆れました(笑)
坂本、末松、阿田、うちの家がホームランです。
その先が大久保本店(現在cafe)、松本、中原、大久保、からつやです。
大体、特大を打っても松本までなんです(笑)
この二人だと最近まで思っていました。
・小畑剛(漁協)さんもらしいです。
(ジャイアンツのプロテスト二次試験で落ちた人、昔はドラフト外入団というのがあり、ドラフトから洩れ、テストで入った選手。江本孟紀、松沼博久 ・ 松沼雅之兄弟、西本聖 、 大野豊 、 松永浩美 、 鹿取義隆 、 秋山幸二)
今から10年程前、走破タイムを聞いて驚きました。
遅いんですよね。
今は・・・。
お盆の開けた16日に以前は行われてました。
櫂だけでも見に来て損はしないと思います。
夏の風物刺・勝本ペーロン大会へ是非、お待ち申し上げます。
※今、中学生、40歳超えの方たちもいるのも想像に難くないですね。
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】