天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡県(太宰府市)・太宰府天満宮

20160303 福岡県(太宰府市)・太宰府天満宮

ここは車で来るべきじゃないというのを来てから思い出す(汗)

それと記事に日付けを入れとかないといけない。

貯めてUPするから写っている梅の花がUPされる頃は桜満開の時期の可能性だってある(笑)

さすがに紫陽花の季節はないと思うが。

平日なのに人が多いと思えば福岡は公立高校の受験がまだじゃないかな。

でも、学校あるよな。

と思って歩いていると韓国語が聞こえて来た。

多い。

他の九州のどこよりも…。

確かにインバウンドが増えたとはいえ、霧島神宮(鹿児島県)、宇佐神宮(大分県)の比じゃない気がする。

確かにアジアの玄関を謳ってる福岡ではあるが半端ないね。

今日は二人に一人といっても過言じゃない気がする。

別に僕は差別意識はないけど、五月蝿い(笑)

太宰府天満宮はカップルで来ると学問の神様・道真公がお怒りになり、そのカップルは別れるという都市伝説が昔あった

な(笑)

30年程前の宮司さんのご子息が大学受験に失敗したというのは本当の話です(笑)

もし、来られる際は電車をお勧めします。

※今回、駐車場位置の関係により参道は通っておりません。

基本情報
所在地:〒818-0117 福岡県太宰府市宰府4-7-1
電話:092-922-8225

【Official site】
 
                            
 
  
 
    


















           



  
            

            












太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市にある神社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋である。菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年700万人以上の参詣者がある。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。

祭神
・菅原道真公
学問の神として広く知られている。

歴史
右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、翌々延喜3年(903年)に同地で薨去した。薨後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、これを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀で、正暦元年(990年)頃からは社号としての「天満宮」も併用された。
寛和2年(986年)、道真の曾孫菅原輔正によって鬼すべ神事が始められるようになった。
文明12年(1480年)に当地を訪れた連歌師の宗祇が『筑紫道記』にこの安楽寺天満宮のことを記しているが、道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世ごろから、道真が生前優れた学者であったことにより学問の神としても信仰されるようになった。
明治に入り、近代社格制度のもとで明治4年(1871年)に国幣小社に列格するとともに神社名を太宰府神社に変更した。これは北野天満宮が近代社格制度のもと「北野神社」に変更したのと同様に、「宮」号が基本的には皇族を祭神とする神社しか使用できなくなったからである。同14年(1881年)には官幣小社に昇格、次いで同28年(1895年)には官幣中社に昇格した。神社の国家管理を脱した戦後の昭和22年(1947年)に社号を太宰府天満宮に復した。
祭神の菅原道真が「学問の神様」であると同時に「文化の神様」としても信仰されていたため、それぞれの時代の人々による和歌・連歌・歌舞伎・書画の奉納を通じて、文芸・芸能・芸術、いわゆるアートと関係が深まっていった。特に奉納絵馬は九州でも指折りの質量となっており、それを掲げた絵馬堂はギャラリーとしての役割を果たしている。
参道を登りつめた先には延寿王院があり、ここは幕末維新の策源地といわれ、三条実美たち公卿5人が3年半余り滞在した所である。土佐脱藩の土方久元や中岡慎太郎も滞在しており、薩摩の西郷隆盛や長州の伊藤博文、肥前の江藤新平、坂本龍馬なども来訪している。
太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼ぶ。三天神には諸説あり、太宰府と北野天満宮までは共通するものの、あとの一つを大阪天満宮等とする説も存在する。

神事
・初詣(歳旦祭) - 1月1日
・鬼すべ - 1月7日
・鷽替え - 1月7日
・初天神祭 - 1月25日
・梅花祭 - 2月25日
・曲水の宴 - 3月第1日曜日
・斎田御田植祭 - 6月中旬
・神幸式大祭 - 9月21日~9月25日
・例祭 - 9月25日
・秋思祭 - 旧暦9月10日
・特別受験合格祈願大祭 - 10月18日

社殿
本殿は五間社流造で屋根檜皮葺。正面に1間の唐破風造の向拝(こうはい)を設ける。また、左右側面には各1間でこれも唐破風造の車寄を付け、廻廊が前方の楼門まで廻らされている。本殿は明治40年(1907年)5月27日に古社寺保存法に基づく特別保護建造物に指定され、昭和25年(1950年)文化財保護法施行に伴い重要文化財とされている。昭和41年(1966年)6月11日付で棟札9枚と板札2枚が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。

文化財
国宝
・翰苑 巻第三十
重要文化財
・本殿 桃山時代(附:棟札9枚、板札2枚)
・末社志賀社本殿 室町時代
・太刀 銘俊次 
・毛抜形太刀 無銘 
・梅月蒔絵文台
・太宰府天満宮文書 78巻、25冊、1幅 附:太宰府天満宮境内図1幅[5]
・蓮華唐花文塼
福岡県指定有形文化財
・石造鳥居 鎌倉時代
・石造燈籠 江戸時代
・鶴亀文懸鏡 桃山時代
・麒麟および鷽(うそ)像 江戸時代
・銅製神牛 江戸時代
・蒙古碇石 鎌倉時代
天然記念物
・大楠(おおくす) 樹高 33m、樹齢 300年以上
・ヒロハチシャノキ

交通
正月三が日は初詣客で周辺道路は大変混雑する。九州自動車道太宰府インターチェンジを降りて太宰府方面へ向かうと国道3号に出るが、交通規制により、すぐ側道を経由後左折して「水城1丁目交差点」から福岡県道112号を進み、同「関屋交差点」を左折後は福岡県道76号を利用し天満宮に向かうこととなる。この際所要時間は通常15分前後が数時間となる。ちなみに、国道3号を直進しても「君畑交差点」までの各交差点においては、インターチェンジ方面からの左折及び進入が規制されている。また、三が日以外の日においても志望校合格祈願の受験生と合格者のお礼参りが集中する例年1月から3月にかけての土日祝日を中心に混雑する。元々天満宮周辺の駐車場が不足気味であること、九州国立博物館への来訪者が同館の開館後に加わったこともあり、渋滞が顕著となり今後解消に向かって解決策が講じられる見込みもないため、自家用車の利用は推奨できない。これらの時期においては、西鉄電車西鉄太宰府線を利用した方が無難である。

JR・私鉄
西鉄太宰府線太宰府駅から徒歩5分
JR鹿児島本線二日市駅から西鉄バスで23分
1時間に1本程度の運行のため、時間が合わない場合はJR二日市駅から西鉄二日市駅まで西鉄バス、またはJR二日市駅から徒歩5分の西鉄紫駅から1駅の西鉄二日市駅から西鉄太宰府線を利用するのがよい。


九州自動車道太宰府インターチェンジから15分
九州自動車道筑紫野インターチェンジから20分








 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社