天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

鹿児島県(垂水市)・国旗日の丸のふるさと

20160315 鹿児島県(垂水市)・国旗日の丸のふるさと

いつも鹿児島に来ると斉彬公の凄さを思い知らされる。

あっ、極右的思想は持ち合わせてないんで、ちなみにですがw

これで観光地として成り立つのが凄かったりするよな。

長州、薩摩、大したもんだよ。

ある意味、両藩いろいろあったけど、侵略を防ぎ近代国家を成立させる。

凄いと思うよ。

ただひとつの間違いは東京一極集中?果たして彼らはそれを望んだか?

答えはわかんないよね。

高杉はぶっ壊し、西郷さんが望んだ近代国家は果たして・・・。


基本情報
住所:〒891-2123 鹿児島県垂水市本町14-2

【Official site】











幕末、西欧列強が東アジアに進出してきた時代に、島津家28代当主島津斉彬は「海から来る敵は海で防ぐべき」と考え、溶岩で埋没する以前の「大隅半島と桜島の間の海峡」の造船所で洋式帆船を建造しました。斉彬は、嘉永6年(1853) 桜島の瀬戸に造船所を設けて大型船の建造に着手、安政元年(1854)12月に竣工し「昇平丸」と命名しました。更に15隻の建造を計画して、その中の鳳瑞丸・万年丸が牛根で、大元丸・承天丸が桜島の有村で建造され、「大隅半島と桜島の間の海峡」では次々に洋式帆船が竣工されたのです。薩摩藩をはじめ日本各地で洋式帆船が建造されるようになって、日本の船の印が必要となり、そこで、斉彬が提案したのが「白地に朱丸一つ」の日の丸です。これが幕府に受け入れられ、日本の総船印となり、後に国旗になりました。そして、はじめて日本を示す旗として、日の丸が「大隅半島と桜島の間の海峡」で造られた昇平丸に掲げられたといいます。現在の垂水市牛根麓の造船所跡地は、ビワ畑になっており、近くには名残の山下造船所があります。釘や鉄片を造った牛根麓の鍛冶場の跡からは、今も多数の鉄くずが出るといいます。
まさに「大隅半島と桜島の間の海峡」のあったこの地は日本における近代造船発祥の地であり、国旗「日の丸」のふるさとなのです。 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社