天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
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鹿児島(南九州市)・知覧特攻平和会館

いつ来ても思う。

皆さん達筆だと。

やはり、厳かで粛々となるね。政治信条、思想など、一応、僕にだってあるけど、そんなのどうでもいい。

17、8歳の息子さんを持たれるご両親が見られたらたまらないだろう。

僕でも、しんどくなるもの。

切に平和を願う。


基本情報
所在地:〒897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡17881 
電話:0993-83-2525

【Official Site】























知覧特攻平和会館(ちらんとっこうへいわかいかん)は、鹿児島県南九州市知覧町郡(旧川辺郡知覧町)にある、第二次世界大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料を展示する施設。

展示内容
写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されている。その展示されている遺影、遺品のほとんどは、知覧特攻平和会館初代館長板津忠正(元特攻隊員)が集めたものである。なお館内の展示品は全て撮影禁止となっている。

戦闘機
四式戦闘機「疾風」I型甲 - 実物。世界で唯一原型を留めた良好な状態で現存する機体。フィリピンの戦いにおいて、アメリカ軍に鹵獲された経歴を持つ第一線からの里帰り機。
一式戦闘機「隼」III型甲 - 復元複製機。映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』の撮影に使用され、映画配給元の東映より知覧町へ譲渡された実寸大精巧レプリカ。屋外展示のため劣化が進行している。
零式艦上戦闘機五二型丙 - 実物。損傷が激しく機体前部と主翼及び主脚のみ現存の状態。薩摩川内市の甑島沖約500m、水深約35mに沈んでいたものを引き上げ修復したもの。
なお、1986年からは航空自衛隊岐阜基地で保管されていた日本国内で唯一現存する三式戦闘機「飛燕」II型改の貸与を受けて機体が展示されていたが、この機体は2015年9月に日本航空協会が行う修復作業に合わせて岐阜県各務原市の川崎重工業岐阜工場に搬出され、神戸市での展示を経て、2018年3月からは各務原市のかかみがはら航空宇宙科学博物館で恒久展示されることとなった。

特攻基地の歴史
太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所
大東亜戦争(GHQ呼称太平洋戦争)直前の1941年(昭和16年)12月、知覧町に陸軍の飛行場が完成。飛行場は直ちに太刀洗陸軍飛行学校の分教所となり、戦争に突入した翌1942年(昭和17年)1月、最初の入校者78人が知覧に到着した。
当初こそ九州島内や朝鮮(現・韓国)の各地に設けられた分校と同じく少飛や特幹の教育・訓練を行うことが目的とされていたが、1944年(昭和19年)夏以降、陸軍航空隊の戦術が艦船への体当たりを柱とする特攻を主軸とするものに転換。この過程で近い将来の本土決戦(決号作戦)に備えた航空関連軍学校の軍隊組織化が進められた。

特別攻撃隊の拠点化
陸軍飛行学校が教導飛行師団と改められるのに合わせ、 1945年(昭和20年)2月、太刀洗飛行学校は第51航空師団と改称。知覧分校は上部組織の第6航空軍に隷属する「第7飛行団」となる。こうして知覧特攻基地(ちらんとっこうきち)が誕生。振武隊(しんぶたい)と名付けられた特攻隊が出撃することになった。

1945年3月20日付で、陸軍第6航空軍は連合艦隊の指揮下に入り、振武隊は神風特攻隊と共同歩調を取ることになる。そして沖縄戦が始まった4月1日、第二十振武隊を皮切りに知覧からの特攻出撃が始まった。以後は海軍の鹿屋航空基地とともに特攻出撃の最前線となり、戦艦大和の最期となった坊ノ岬沖海戦で一度の戦いでは最大級となる陸海軍合わせて300機もの出撃の一翼を担うことになる。

沖縄戦線への特攻は6月22日の菊水十号作戦まで続き、6月25日、沖縄での組織的戦闘が終了(沖縄敗戦)するという大本営発表で知覧もその役目を終えるかに見えた。しかし、その後は間近に迫った米軍の日本本土上陸に備え、帝国陸海軍の本土防衛の最前線として出撃は続いていった。

陸軍関連の総出撃者1,036人のうち、全体の4割ほどにあたる402人が知覧から出撃したと会館では記録している。
なお知覧から出撃したのは基本的には陸軍の部隊であることに注目する必要がある。実際に、出撃した航空機数や戦死兵の数は海軍の鹿屋基地の方が多く、知覧の2倍前後もの数となっている。ただし、陸軍の兵士であっても鹿屋から出撃したり、逆に海軍の兵士が知覧から出撃するといったイレギュラーケースもあった。また振武隊自体が神風特攻隊と混同されることも多いが、戦史の上では厳密に区別される。
知覧から出撃した航空機は九七式戦闘機が最も多く、ついで一式戦闘機という順になっている。
 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社