壱岐の島の北部、漁師町・勝本町勝本浦の漁師が好んだ焼酎「山の守」
この焼酎はコクがあり、この焼酎を飲めれば一人前、またはこの焼酎を飲む人を「酒(焼酎)好き」と言われた秀逸品でございます。
25度 ¥1,850
35度 ¥2,450
41度 ¥2,800
(税込み・送料別途)
麦焼酎の故郷・壱岐、最古の蔵の 伝統に守られた甕仕込み
麦焼酎のふるさと長崎県・壱岐。そこに現存する蔵の中でもっとも古い蔵。米麹と地元壱岐産の大麦を用い、1次・2次仕込みともに甕(かめ)で仕込み、醪をひと釜ごとに常圧蒸留し、貯蔵熟成。百有余年の伝統を受け継ぐ丁寧な手造りで、すっきり・まろやか・深い味、と三拍子そろった麦焼酎を造り続けている。
環境
九州本土から約20km、玄界灘に浮かぶ壱岐は、壱岐対馬国定公園に指定されるほど海岸と山岳の景観の美しい島。古くから日本とアジア大陸を結ぶ大陸交通の要衝の地であり、中国の史書「魏志倭人伝」に「一支国」としても紹介されるなど歴史も古く、弥生・古墳時代の遺跡も数多く残ります。周囲の海からの新鮮な魚介を始め、黒毛和牛・壱岐牛や地鶏など山の幸も豊か。長崎県で2番目に大きな穀倉地帯があり、米も麦も多く収獲され、その麦を原料に大陸から伝わった蒸留酒の製法を活かして麦焼酎を生んだ発祥の地としても知られます。現在、島には7つの焼酎蔵があり、そのうち最も歴史の古い蔵がこの山乃守の蔵元です。島の南部、最も標高の高い岳ノ辻の北麓の豊かな自然に包まれて蔵は建ちます。
歴史
壱岐で焼酎造りが始まったのは16世紀頃。江戸時代、壱岐を支配した平戸藩によって米は全て年貢として取りたてられたため島民は麦を常食とし、余った麦で焼酎を造るようになったのが壱岐焼酎の始まりです。明治政府も初めのうちは自家醸造を許していましたが、酒税依存度が高まるにつれ次第に禁止の方向を打ち出し、明治31年には免許制とし、焼酎専門の蒸留所が生まれました。「山乃守」はその翌年の明治32年(1899年)の創業。壱岐のなかで最も古くから続く蔵元です。「壱岐焼酎」は、平成7年に世界貿易機関(WTO)によって地理的表示の産地指定を受け、シャンパンやコニャックなどとともに地名を名乗ることを許された数少ないお酒の一つです。
造り
米麹と壱岐産大麦、そして壱岐の良質な地下水を用い、創業以来百有余年の歴史に基づく技を活かした丁寧な手造りで、風味豊かな本格麦焼酎を造り出しています。米も木製甑で蒸し、麹も麹室で手造り。その米麹と大麦を一次および二次仕込みともに甕(かめ)に仕込みます。充分香りが引き立つように、醪をひと釜ごとに常圧蒸留し、品質的に安定して香味の優れている部分だけを採り、半年以上、長いもので5年も貯蔵熟成させ、山乃守ならではの風味とツヤを生み出します。創業時と変わらない甕(かめ)仕込みによる手造りだからこその、風味豊かで味わい深いを楽しめます。
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【壱岐の象徴・猿岩】
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