この前、基山ラジウム温泉で「壱岐は国として成り立つんだってね。肉、魚、野菜、米、いろんなものが新鮮で」
同じことを35年前に高校教師が言ってたのを思い出した。
生産者、関係者が思うほどの知名度はないが、北部九州、いや福岡エリアまでは届いてると思う。
一番、聞くのは「壱岐牛」、食べたことは一度あると記憶している。
正直、漁師町に生まれると農業のことは皆無と言っていい。田植えをしたこともない。なぜ?田畑がないから。
その前に、議会での出身町への利益誘導(補助金)などもってのほかだが、次も当選したいからだろうけど、それなら「町名を外してしまえば?」とさえ思い出し始めている。壱岐市1番地、2番地、3番地、(法律的にどうなのかは知らない)
就農移住なんて試みたのだろうが?実は就農移住は「若者」、「若い夫婦」、など結構成功している。これは各地で聞く。就漁移住は厳しいのかな?と思ったりする。最初に船酔いしたら逃げ出す可能性はある。だから、私は一度も船に乗ったことはない。しかし、大分県大分市佐賀関は10人成功していた。これには驚いた。
畜産について教えてもらった。簡単に言うと畜産農家と肥育農家があり、畜産農家は子牛を産んで、子牛のうち売る。その売り先が神戸、松坂で育んで成牛となり「神戸牛」、「松阪牛」となる(ほぼ間違いと思う)
肥育農家は成牛まで育てて「壱岐牛」として売り出される。これが4軒しかないらしい。畜産農家が多いのはコスト高で肥育農家になるにはリスクが高すぎるそうだ。ここが「補助金」じゃないの??なにもばら撒けと言っているわけじゃない。販売計画、経費見込み、何年後に黒字化とキチンと提出させ、行政で精査する。
私が何かを売りたくてもモノがないんです。
「売り先は決まってる」、後継者不足。それは世の中第一次産業はほとんどでしょ?同級生のJA職員は言った。「70を超えた方が重いメロンを運んでいるのは・・・。」「就農移住って知ってる?」知らなかった。壱岐にも移住してくださった方がいらっしゃる。しかし、それは「増えりゃいいだろう」という声が多いだろうと思う。
そうであれば壱岐が一人増え、どこかが一人減る。ただぐるぐる周っているだけ。彼ら彼女らの移住でに常に失敗してるのは、四六時中歓待するから、持ち上げて、持ち上げて落とす。「壱岐は人がいい」と言われる。たしかにそれはわかる。しかし、「移住してください」という姿勢がおかしい。彼らは「働きに来るんです」。上げ膳据え膳は「可愛さ余って憎さ100倍」。プロモーションを考えたほうがいい。そして自分たちで仕事仲間を育てないと。指導だけ行えばいい。仮にそもそも都市部から移住される方と話も合うはずもない。農業をしたい若者は意外と多く増加しれいる。
農業をしたい人を探しに行けばいい。いわば営業です。
勝本まぐろと大間のまぐろとどっちが美味しいか?大間だとと答える。何故?寒いからと思います。水産庁からの規制がかかっている以上、厳しいが勝本浦の漁業はまぐろが主じゃなかった。昔に戻ればいいという話では収まらないが、漁協、漁師、漁師と漁師、「みんなが社長」というのはわかるが、とにかく後継者、現状を話し合ってほしい。ここ三回程。帰って来るたびに友人と話した。目から鱗だった。そんなことを考える奴がいるなんてと思う気持ちした。イッチョカミしておこう。このままでは最初に衰退するのはわが町だろう。
【養殖】は絶対必要だ。しかし、無理だろう。何かしろ変わらないと思う。【壱岐剣】の復活を願う。あれは「売れなかった」じゃないと思う。「売り方を知らなかった」だ思う。
来年は一応、オリンピックその後の景気が冷え込むの当然だと思う。私はFBグループ。「インバウンド後の世界を考えていたほうがいいですよ」とよく言ってきた。コロナ騒動は予想外だが。それが襲ってくる頻度は早く、数多く襲ってくる。この準備を怠ると大変なことになる。
1993年、ガットウルグアイラウンドで「タイ米を食べなきゃいけなくなる」と話が世の中を走りました。みなさんタイ米を食べました?私は外食で一度食べました。やはり、日本の農業技術は高い。大学時代から終身雇用制度にも反対でした。「私は規制緩和には賛成です。相手国に負けたら、勝つような努力をする。すると重労働産業が動く、自然に産業賃金を上げざるを得ない。月50万円からスタートするかもしれない。競争がなくなると産業は伸びない。ただ50万円の転職、再雇用は頑張る。するといい商品が出来上がり商品力として伸びる。
これは私の中での妄想かもしれない。
私自身も、少しでも地域社会に協力していく精進していく所存です。
今後とも、よろしくお願い致します。
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】